『北海道新聞』 2005-5-17夕刊掲載 

3つの中国語圏 映画文化の現在/異なる歴史意識、社会観

台湾 鉱山労働連想 地下鉄拒む/中国 事実あいまいな「紫胡蝶」/香港 カンフー作品も家族第一

藤井省三(近現代文学・教員) 
 

 この春、私は香港・嶺南大学中文系に招かれ、彼の地に半月ほど滞在した。折しも香港国際映画祭が開催中で、依頼された三度の講演の合間を縫って映画館に通ううちに、中国本土で反日暴動が発生し、香港でも大きな話題となった。自然と講演では日本人の歴史認識に関する説明が増え、聴衆からは香港人らの歴史意識に関する発言が多くなった。映画祭で出会う友人知人たちとの語らいでも、諸作品の歴史意識、社会意識に関する議論が目立っていた。

 私の講演の一つは「台湾映画の地下鉄というトラウマーー鉱山の街台北の坑道の記憶をめぐって」というものである。四半世紀にわたり地下鉄をデート場面やカンフー、ホラー映画の舞台に多用してきた香港映画の名場面をDVDで一〇分ほど上映したのち、一九九六年の台北地下鉄開通以来、この地下風景を映画に取り込むことを頑なに拒んできた台湾映画を分析したのだ。台湾において炭鉱金鉱を主とする鉱業は日本統治期(一八九五〜一九四五)にはすでに台湾の主要な輸出産業であり、鉱山の大部分が台北盆地を囲む山間区に集中していた。戦後も炭鉱は旧・国民党独裁政権下における高度経済成長を支え続けたものの、六〇年代後半をピークとして減少し始め、地下鉄開通時にはほぼ消滅したのである。

 植民地政府および独裁政権下における苦しい鉱山労働は、台湾人の心の傷=トラウマとなって今も残り、民主化も坑道を連想させる地下鉄は映画の場面とはなりえなかった、と私は論じつつ、例外として万仁監督『超級公民』(一九九八)のVCDを引用した。それは死刑となって怨霊と化した先住民の建設労働者が、地下鉄でもの悲しく歌い踊る物語である。

 このような私の台湾映画論に対し、香港の学生たちは香港にも炭坑や銀山があったものの記憶として伝承されず、都市体験において台湾映画と香港映画とがかくも異なるのはなぜか、という鋭い質問を出していた。

 歴史の記憶という点では、映画祭で上映された中国の婁Y(ロウ・ヨウ)監督『紫胡蝶』は、実に奇怪な作品であった。婁Yは『蘇州河(ふたりの人魚)』(一九九九)で繁栄する現代上海における暗い情念を描いて注目されており、『紫胡蝶』も章子怡(チャン・ツーイー)と仲村トオルという豪華キャストだが、その歴史の記憶は曖昧模糊としている。

 物語は一九二八年の中国東北地方の長春で始まり、女学生(章子怡)と満鉄通訳(仲村トオル)はなぜか恋人同士で彼女は仲村のアパートのベッドに横たわり、翌日東京に帰る彼を駅まで送るのだが、なんと駅名は新京駅であった。日本が中国を侵略して傀儡政権の満州国を作り、長春を新京と改名して首都に定めたのは一九三二年のことであり、二〇年代に新京駅があるはずもなかろう。

 舞台は数年後の上海に移り、今や抗日テロリストとなった章子怡は特務機関に勤務する仲村に接近するが、上海租界での反日学生デモを取り締まるのは、イギリス軍ではなく中華民国政府の制服を着た軍警でもある。死んだはずの抗日テロ集団のリーダーが生きているなど辻褄が合わず、最後には日本軍による空襲場面、中国人生き埋め場面の実写フィルムらしきものさえ登場して終わるのだ。

 観衆の間からまばらに生じた拍手は、折からの中国での反日暴動に連帯するものであろうか。そのいっぽうで香港の映画研究者たちが口を揃えて「Bizarre(ふしぎ)!」と語り、欧米人が“I hate this film!(嫌な映画だ)”と言っていたのは印象的だった。

 ドキュメンタリーにおいても中国第五世代の一人であった田壮壮監督がチベット「茶の道」を描いた『デラム』と、香港に生まれカナダで活躍する関卓中監督がマダガスカル島の華僑を描いた『中国料理店』とのあいだにも、語りの手法に大きな差が見られた。

 ところで香港映画の馮徳倫(スティーブン・フォン)監督『精武家庭』は、退休した元特務工作員を主人公としたカンフー映画だが、国家や組織よりも親子愛や兄妹愛が第一という家庭映画でもあり、黄秋生(アンソニー・ウォン)の健気な片親役や、アイドル鍾欣桐(ジリアン・チョン)のお茶目でツッパリの女子高生ぶりが楽しかった。

 香港で見た中国語圏の映画は、中国・香港・台湾三地の人々のそれぞれ異なる歴史意識と社会観を実に雄弁に語っていたといえよう。





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