留学院生歴難簿 突然変化第六難    博士課程 上原 究一

 すっかりエッセイの間が空いてしまったが、留学生活も2年目に突入。去年の北京は国慶節が国慶節になってから(つまり、所謂「解放以後」)最もその期間の気温が高かったという異常気象だったため、いかにもな北京の秋、というのは今年で初体験だった。その北京の秋、短い。実に短い。東京で26年間暮らした身には、残暑と晩秋の間が9月末から10月頭の10日程度しかなかったように感じられる。しかも、その変わり目も、徐々に涼しくなるというよりも、ある日突然がらっと寒くなる感じなのだ。なるほど僅かな過ごしやすい時期が「金秋」と尊ばれるわけだと感じ入った。

 首都のそんな気候にあわせたわけでもないのだろうが、中国で暮らしていると何かにつけてこの「ある日突然がらっと変わる」という現象に出くわす。例えば、今学期が始まって10日ほど経ったある日、学食にいきなり「来週から現金払いは受け付けません。カードを持っていない人は速やかに臨時カードの手続きをすること」と張り紙が出され、実際に3日後から現金払いは出来なくなってしまった。自分の受け入れ大学ならSuicaのようなICカードが支給されているからこれでいいのだが、しょっちゅう通っている北京大学でも9月の末に同じ現象が発生し、カード発行の名分を持たぬ身の上では食堂でメシが食えなくなってしまった。あそこの水餃、安くて早くてそこそこ旨いのに…。

 その位はまだ小規模と言える。旅行に当たって発行年度を確かめて買った最新のガイドブックに載っている長距離バスのターミナルが、行ってみたらば3ヶ月前に移転していたなんてこともあった。もちろん(?)移転先の表示などなく、ホテルかどこかで聞くよりない。それはまあ地方都市の話であるが、中国に4つしかない直轄市・堂々たる天津においてさえ、もっと凄い事例に出くわした。

 今年の4月から中国の鉄道に新幹線が導入されたことは日本でも報道されていることと思うが、6月にさっそくそれに乗って天津へ行ってみた。天津まで1時間。中はお馴染みのぞみ号と全く一緒。快適である。天津に着き、予約済みの駅から徒歩5分のホテルに向かうべく、タクシーの客引きには目もくれずにさっさと駅前広場を脱出したのだが、なんだか様子がおかしい。2階より高い建物が見当たらない。天津駅と言えば市内の中心部にあるはずなのだが、これが直轄市の中心地か?どう見ても田舎都市の駅前の風情である。

 しかし、確かに天津駅に来たはずなのだ。切符にもちゃあんと天津と書いてある。天津西駅やら天津北駅ではないのは間違いない。それならこれが天津駅なのだろう、現にこうなんだから…と訝りながらも歩き始めたが、5分歩いても地図通りの場所に出るどころか、大きな道すら見えて来ない。流石におかしいと思い、時間も勿体無かったので、タクシーを拾って「ごめん、近いと思うんだけど、この○○ホテルってとこ分かります?」と聞いてみた。すると答えは「○○ホテル?ああ△△路ね。遠いよ。25元でどうだい?」と来たもんだ。

 騙されてるのかとも思ったが、確かに周りの様子はどう見ても天津市の中心部からは遠そうである。そこでタクシーに乗り込み、なかなか愛想の良い運転手さんに話を聞いてみると、「君らがいたのは天津“臨時”駅だよ。天津駅?2010年まで工事中。今はまっ平らになってるよ(「平了!」と言っていた)」!!!

 乗車すること20数分、「駅から5分」が売りのホテルに着いてみるとすっかり閑古鳥が鳴いており、駅に通じる路は多くの店が移転してしまってさながらゴーストタウンの様相。なんだこりゃ、天津駅が工事中で臨時駅になってるなんて情報は全く聞いてなかったぞ!新幹線でだって「天津站到了!」とは言ってたけど、「臨時」なんて一言も言ってなかったではないか〜!!天津駅の様子を見に行ってみると、駅前広場だったであろう広大な空間が本当にまっさらの更地になり、ブルドーザーが盛大に粉塵を撒き散らしていた。気を取り直して売店で前月発行の最新の地図を買うと、そこには相変わらず天津駅がど真ん中に堂々と、さもバリバリ稼動中であるかのように表示されていた(臨時駅もちゃんと載ってはいたけど)。もう、降参するほかなかろう。

 そんなこんなで、ある日突然何の前触れも無く何かが変わるのが中国である。シャワーを浴びていたら突然赤く濁った水に変わって逃げ出したこともあれば、通い始めてから半年ほどになる図書館で「君はうちの大学の関係者じゃないだろう、だったら紹介状を持って来なさい」と急に言われたこともあった。こうした突然の変化に動じることなく対応出来るようになって初めて中国に馴染んだと言えるのかもしれない。はてさて私もどこまで中国に馴染みきれますやら、且聴下回分解。

2007年11月16日




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