留学院生歴難簿 春節鯉魚旗第四難    博士課程 上原 究一


 夕刊紙「北京晩報」2月18日号より。昨夜の煙火爆竹により、火災114件、病院へ送られた負傷者125人、死者1名。警備に当たった市民48万人、出た爆竹のカス(「紅氈」と呼ぶらしい)900トン、その清掃に当たった衛生工2万人。

 確かに18日の昼間にはゴミはかなり片付いていた。過年を祝って長期間帰郷する人や、北京で何百元ぶんもの爆竹を鳴らしたりする人がいる一方で、春節の朝からその掃除に当たる出稼ぎもまたあり――。彼らの賃金は、同じく「北京晩報」同号によると、春節通じて僅か150元であるという。そんなことを考えながら歩く正月の道端で、真昼間から花火を上げる若者の姿を見た。そういえば、新聞に載っていた死者・重態者はいずれも10代末から20代の男性であった。誰が無茶をするのかは万国共通なのであろうか。

 煙火爆竹の話題はこれまでとして、夜のそれと並んで春節の昼間を彩るのが市内各所で催される廟会(びょうえ)である。北京では地壇公園・白雲観・東岳廟・瑠璃廠などが特に有名なようだ。正月初二の19日、またも日本人仲間と連れ立って(中国人の知人の多くは帰省中だし、図書館や本屋は閉まっているしで、日本人同士集まるくらいしかすることがないのである)、中でも最大規模だという地壇公園の廟会に行って来た。

 行ってみると、一体どこからこんなに人が沸いてきたのであろうか、ここしばらく街中が閑散としていたのが嘘のような物凄い人混み。目玉イベントの地壇での地を祭る儀式の再現パフォーマンスは今年は回数が少なく見られなかったが、他にもあちこちに多くのステージが設けられ、伝統芸能からヒップホップ風なダンスから素人カラオケ大会までなんでもござれの大喧騒。もちろんぎっしりと屋台が出ており、食べ物では日頃からお馴染みの「羊肉串」や「鶏肉串」はもちろんのこと、「アラビア焼肉」やら「日本鰻魚」やらの異国情緒漂うもの、強烈な異臭を放つ江南名物「臭豆腐」ほか各地の特産品、果ては「アワビ・ナマコそれぞれ1串5元」などという怪しげなものまであった(アワビを買ってみた人がいて一口もらったが、モノはもちろんのこと味付けすらアワビとは似ても似つかぬものであった:笑)。日本でも数十年前には普通に見られたと聞き及ぶ蛇女や二首娘などの見世物小屋もあれば、コマ回しやアクロバットの大道芸をする人もいて、一言で言えば恐ろしく規模の大きな縁日であった。お面やらぬいぐるみやら石細工やらおもちゃやらラジコンやらの日本のお祭りでも見るようなものは一通りあったし、ソフトボールを使ったボーリングのようなゲームで景品が貰える屋台もあり、これもまあ日本と似たようなものだ。日本と決定的に違うのは、被り物だとか、動物の耳やら角やら鼻やらの飾りだとか、変てこなマスク、或いは西洋の魔法使い風の帽子といったようなものを10代後半〜30代前半くらいの若い男女が好んで身に付け、そのまま地下鉄やバスまで乗り込んで行く点であろうか。反面ちびっこがお面や角を付けてはしゃいでいる姿は殆ど見受けられなかった。ちびっこにはおもちゃの青龍刀や槍などが人気のようであった。

 変り種としては、まずお見合いコーナー。「北京首届白領大型相親会(第一回北京ホワイトカラースペシャルお見合い大会、とでも訳せば近い感じだろうか)」と大々的に書かれたピンクの看板に、お見合い希望者の本名以外のプロフィールが一通り書かれた写真が貼られており、随時登録受け付け中のようであった。ホワイトカラーというだけあって年収何万元という人ばかりで、30代〜40代、初婚の人もそうでない人もいるようだった。
 そして、その日最も我々日本人ご一行様の目を引いたのは、夫婦連れの初老の男性が手に持っていたこの物体であった(写真)。
鯉魚旗
 こいのぼりだ。どう見てもジャパニーズこいのぼりだ。動物を模したりもっと素朴な形だったりの風車を持っている人は大量にいたが、こいのぼりには驚いた。昨年も北京で廟会を見た人も、去年は見た覚えがないと言う。残念ながら売っているところは探し当てられなかったが、その後他にもちらほらとこいのぼりを持っている人がいるのに気付いた。日本への輸出用の余り物が流れて来て訳も分からず売られているんじゃないの、などと話しながら次の目的地の孔子廟へ向かったが、こいのぼりのことはなんとも気になった。春節の北京で、孫を連れているでもない初老の夫婦がこいのぼり。日本人にはなんともインパクトのある光景であった。

 その数日後、今度は一人で瑠璃廠の廟会へ行ってみた。獅子舞や大太鼓、全身真っ黒に塗りたくって機械的な動きで練り歩くなどの大道パフォーマンスで賑わう中、地壇以上に多くのこいのぼりが目に飛び込んできた。赤、青、緑、黒、ピンクと色も豊富だが、どれも地壇で見た時のように一匹ずつしか竿に付いていない。これは是非とも売っている人を探し当てねばと思いつつ人混みの中歩いていくと、いました売ってるおばちゃんが。早速「これなあに?」と聞いてみた。すると、「li3yu2qi2」だという。ならば「鯉魚旗」と書くのであろう、ということはちゃんと鯉だということは知れ渡っているのだ。更に尋ねると、「これは春節に買うもので、家庭の円満、特に夫婦和合を祈願するんだ」ということであった。「僕は日本人だけど、元々日本のものだよね?」と振ると、「なんかそうらしいね」という感じのお返事。「日本では端午節の時に揚げて子供の健康を祈るんだ」と言うと「へーっ」という顔をしていた。一体いつ頃からそうなったのかは分からないが、おばちゃんの口ぶりからは春節にだけ出回るものとしてある程度定着しているもののように聞こえた。おばちゃん一人に聞いただけなのでどこまで本当か分からないが、何故か夫婦和合の象徴として捉えられているということであるから(まさか、なまじっか日本語が出来る人が「こいのぼり」を「恋昇り」とかけて輸入してしまったのではあるまいな…?)、地壇で初老のご夫婦が持っていたのは正しいあり方だったのだろう。夫婦和合の象徴なら一竿に二匹付いていても良さそうな気もするのだが、まあそれはそれ、こいのぼりはいつの間にやら5月の日本だけではなく、春節の北京にも活躍の場を広げていたのだ。いいぞ、頑張れ、頭より低い鯉魚旗!


2007年3月5日




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