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文化経営学 教授
木下直之 KINOSHITA Naoyuki

研究テーマ

私の研究テーマの変遷をたどり直してみると、学生だった1970年代後半は西洋美術史、美術館学芸員だった1980年代は近代日本美術史を学び、美術館から大学へと移行する1990年代には、美術史を越えて、幕末期から明治期にかけてのさまざまな文化現象を追い掛けてきた。

転機はいくつもあったが、現在の研究の起源は、1990年に企画した展覧会「日本美術の19世紀」(兵庫県立近代美術館)へとさかのぼる。江戸時代や明治時代の代わりに用いた19世紀という枠組みは便宜的なものに過ぎなかったが、そのことで、時代間や分野間に自明のごとく引かれている境界線を疑い、いったん無効にする作業に着手できたように思う。祭礼のつくりもの、見世物、博覧会、写真、銅像、記念碑、文化財保護、博物館などが視野に入ってきた。

文化資源学研究室に関わるようになってからの6年間、私をとらえ続けてきたものは「お城」だった。それは城郭研究の対象としての城ではなく、思わず「お」を付けて呼んでしまう現代人の通念の中に存在している城である。

城は明治維新と廃藩置県によって無用の長物と化したにもかかわらず、今なお、それを実現・復元させようとする試みが続いている。1931年築城の鉄筋コンクリート造の大阪城はその嚆矢であり、内部がミュージアムとして公開された点でも、戦後の城のモデルとなった。1950年代後半に、雨後のたけのこのように城が建つ。この場合の「雨」とは、B29が投下した焼夷弾にほかならない。1989年には、今度は竹下内閣が全国の市町村に1億円の「ふるさと創生」資金をばらまいた。それがお城の建設に弾みをつけ、1990年代には新たな築城ブームが出現した。

文化経営学という専門分野を抱える研究室に所属する以上、こうした近年の地方自治体による築城や、城とミュージアムの関係にも関心を持たざるをえないが、主要な関心は、どうしても幕末期から明治期にかけての、さまざまな事物の価値の変遷に向かう。そこで何が断絶し、何が継承され、そして何が現代にまでつながっているのかを考えてみたいのだ。つぎに示す著作リストは、その成果の一端である。

なぜ、われわれは城に「お」を付けてしまうのか。これだって、大切な研究テーマになりうる。明治半ばになって、旧幕府関係者にその制度や役職の実態を聞き取りした『旧事諮問録』(岩波文庫)に、こんな興味深い話がある。外国奉行のほか、御小姓や御側御用取次などを務めた経験を有する竹本要斎が、質問をさえぎり、「御の字が付かぬと情合が移らぬ」から昔の言葉遣いで答えさせてほしいと断っている。竹本の生きた世界が、まさしく「お城」だった。

日本社会はそれからすっかり様変わりしたはずなのに、「お城」はなお存在を続けている。これから先は、『わたしの城下町〜天守閣から見える戦後の日本』(筑摩書房、近刊)をご覧いただきたい。「お城」から派生したテーマとして、大名墓、銅像、記念碑、戦争博物館などが、午歳の私の目の前に、まるで人参のようにぶらさがっている。

著書・論考

<著書>

  1. 『美術という見世物〜油絵茶屋の時代』平凡社、1993   (ちくま学芸文庫として再版、1999)サントリー学芸賞受賞
  2. 『ハリボテの町』朝日新聞社、1996 (第1部のみ『ハリボテの町〜通勤篇』と題し、朝日文庫として刊行、1999)
  3. 『写真画論〜写真と絵画の結婚』(岩波近代日本の美術4)岩波書店、1996、重森弘淹写真評論賞受賞
  4. 『河鍋暁斎』新潮社、1996
  5. 『上野彦馬と幕末の写真家たち』岩波書店、1997
  6. 『田本研造と明治の写真家たち』岩波書店、1999
  7. 『世の途中から隠されていること〜近代日本の記憶』晶文社、2002   

<最近の論考>

  1. 「殿様の銅像」『講座日本美術史』4、東京大学出版会、2005
  2. 「屋根の上のつくりもの」『講座日本美術史』5、東京大学出版会、2005
  3. 「明治維新と名古屋城」『講座日本美術史』6、東京大学出版会、2005
  4. 「記念碑と建築家」『シリーズ都市・建築・歴史』8、東京大学出版会、2006

文化資源学を志す人へ

今年、文化資源学研究室に入学してきた人たちに、こんな話をした。

つぎのふたつのことを心掛けて欲しい。ひとつは、自分の好きなことを研究すること、あとひとつは、それを他人に伝えること。このどちらが欠けても研究とはいえない。とりわけ後者が重要で、たとえどんなに魅力的な研究テーマであったとしても、それが他人に伝わらなければまるで意味がない。もっとも、このどちらも実現させることは、誰にとっても容易ではない。

研究を「志す」段階では、より前者が大切だろう。自分は何を知りたいのか、という問いかけを常に行ってほしい。そうすれば、なぜそれを知りたいと思うのか、どうすればそれを知ることができるだろうかなど、つぎつぎと問題にぶつかるはずだ。それらと真剣に対峙すること。別の表現をすれば、動機は何かということになる。したがって、「いったい何に突き動かされて、ここにやって来たのですか?」が、私の最初の質問になる。

大学に入ってからの生活では、後者が重要になる。自分の考えや関心を他人に伝えることには、技術的な問題もからむものの、それ以上に大切なことは、伝えようとする中身に他人が共有できるものが含まれているか否かにある。どんなに関心と知識を異にしていても、伝わるものがある一方で、同じ専門領域に属しながら、その面白さがさっぱり伝わらないものもある。

自分の研究が、誰に届くのかを意識してほしい。そして、読者や受け手の数を少しずつ増やす努力が必要となる。精魂傾けて書いた修士論文の読者が数人にすぎないという現実がある。しかし、その数人に、まずはメッセージを伝えなければならない。したがって、「この問題の何が面白いのですか?」が、私の2番目の質問になる。

文化資源学研究室の扉をこれからノックする人たちにも、たぶん同じ質問をすることになるだろう。


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