市民権の構造転換

武川 正吾

問題の所在

近年,地域社会学やエスニシティ研究などの分野で市民権(Citizenship)の問題が議論されるようになっている.社会政策論の歴史のなかでは,市民権に関する議論は半世紀近い歴史を持っている.しかし両者の間で十分な意思疎通が行なわれていない.そこに架橋することに,この報告の一つの目的がある.

社会政策研究のなかで行なわれている市民権論には,市民権の発展のなかに歴史の進歩を見るようなバイアスがある.こうした進化主義から離れ,市民権の論理のなかに内在する矛盾を剔出するのも,この報告のもう一つの目的である.

市民権の内包と外延

市民権はあるコミュニティのメンバーシップにともなう権利と義務のあり方である.市民権を設定するということは,一定の境界を設定し,メンバーと非メンバーを確定することを意味する.そこには(1) 同一化と(2) 差別化という二つの契機が含まれる.

同一化原理としての市民権は,市民の同化と対内的平等の達成を追求することを意味する.これに対して,差別化原理としての市民権は,非市民の排除を意味する.古代的な市民権以来,奴隷や異邦人は非市民として排除されてきた.近代的な市民権においても女性,子ども,無産者は非市民として排除される.

また,市民権には(1) 広さ,(2) 深さとでも呼ぶべき二つの次元が存在する.広さというのは市民権を持つ人びとの範囲であり,近代化の過程で市民権の広さは次第に拡大されてきた.また,深さは権利と義務の範囲であり,近代化は権利・義務の双方の局面で深まりを見せた.

福祉国民国家の成立

市民権の広がりは,いわゆるNation-Buildingの過程と結びついている.この点についてはベンディクスとロッカンが強調した.近代的市民権は,国民国家的な性格を持つようになった.こうした過程は,大塚史学が強調した「国民経済」の形成や,ベネディクト・アンダーソンが強調した「想像の共同体」の形成とも対応する.

市民権の深まりは,Welfare State Buildingとでも呼ぶべき過程と結びついている.この点については,T.H.マーシャル以来,多くの社会政策学者が強調してきた.もっとも市民権の深まりの過程は,福祉国家化の過程であるとともに,われわれの生活が管理化される過程であった点にも注意すべきである.

こうした二つの過程を通じて,20世紀後半に,「福祉国民国家」(Welfare Nation State)の体制が成立した.

福祉国家的市民権の構造転換

ところが世紀末の現在,こうした福祉国家的市民権の限界が明らかとなりつつある.

第一に,グローバル化のなかで,市民権の国民的限界が顕在化しつつある.国境を越えた人の移動が増加するなかで,(a)外国人の市民権や(b)地域主義的市民権の成立など,市民権の国民的理解を超える問題が出現するようになっている.ここでは,差別化原理としての市民権が擡頭し,市民権は非市民を排除するものとなっている.

第二に,フォーディズムの終焉や福祉国家の危機のなかで,市民権の国家的限界が顕在化しつつある.現在,福祉国家のフレクシビリティのなさやパターナリズムが問題視されるようになってきており,市民社会論の復活や福祉社会論の叢生が見られる.市場に信頼を置く「欲望の体系」としての市民社会だけでなく,新しい社会運動などに見られる「必要の体系」としての市民社会が追求されるようになっているのが近年の特徴である.

さらに,市民権の論理に内在する同化主義も現在問題視されつつある点である.市民権によって支配文化の強制が行なわれ,差異への権利が奪われているという現状も見られる.開かれた市民権の可能性が追求されるべきである.