世紀末の詩

 

 残念ながら,昨秋放映された,愛についてのテレビドラマのことではありません.

 19世紀から20世紀へと変わるとき,いったい20世紀は1900年から始まるのか1901年から始まるのかという論争があったというのを,どこかで読んだ気がする.

 そういえば女性監督マルガレーテ・フォン・トロッタのドイツ映画『ローザ・ルクセンブルク』のなかに,社会民主党の世紀の変わり目を祝う(?)パーティの場面があって,たしかそれは1899年12月31日の晩に開かれていた.12時が近づくにつれてカウントダウンが始まり,時報とともに,舞台中央の1899という垂れ幕が1900に変わり,党員たちが拍手喝采する,というのがその場面であった(のではないかと思う.10年以上も前に見た映画なので記憶がデフォルメされているかもしれない).

 今日では21世紀は2001年から始まると考えられている.したがって20世紀最後の年は2000年である.しかし2000年よりも,今年1999年の方が世紀末という言葉にピッタリするような気がする.もちろん単なる錯覚にすぎないのだが,錯覚も多数から共有されれば現実である.トマスの定理!

 錯覚のついでにもう一つ.日本では未来について語るとき「21世紀には … 」という言葉が付されるのがここ十数年来の慣わしである.政治家は「21世紀の日本」について多くのことを語ってきた.しかしイギリスのメイジャー首相が,ということは90年代の初頭だったと思うが,議会の演説で,next millenniumという語句を使っているのをニュースで聞いて驚いたことがある.next centuryというのとnext millennniumというのでは受ける印象がずいぶん違うなあと思った.その後,気をつけていると,海外では多くの人が「次の千年紀」という言い方をしていた.しかし日本ではこの表現は普及しなかった.もっとも最近状況が変わりつつあるようだが.

 と,突然ここで思い出したのが,天才歴史家リヒトハイムの「20世紀は1900年からではなくて1914年から始まった」という言葉である.たしか『ヨーロッパ文明』のどこかに書かれてあったかと思うが,最初にこの言葉に遭遇したとき度肝を抜かれた.これもだいぶ前に読んだ本なので多少のデフォルメがあるかもしれない.19世紀文明は第一次世界大戦によって破壊されるまで続いたという趣旨だったと記憶する.この伝でいくと,1999年の現在すでに21世紀(この場合第3千年紀とすると大げさだろう)に入っているかもしれないし,まだ延々と20世紀が続くのかもしれない.

  … と「意識の流れ」にまかせて話が次々に変わるのは,昨年末みた『ダロウェイ夫人』(ヴァージニア・ウルフの同名の小説の映画化)の影響でした.[1999/1/10]

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