社会調査法

 パソコンの話題が出たついでにもうひとつ.

 僕は職業柄ときどき聞き取り調査に行くことがありますが,そのときの記録の整理を何とか合理化できないものかと従来から考えてきました.携帯用のテープレコーダにインタビューを録音して,後でいわゆる「テープおこし」をするということを試みたことがありますが,この方法はすぐに放棄しました.たしかに録音テープは「会話分析」のためには貴重なデータです.しかし,調査の目的が必要な情報の入手に限られている場合には,この方法が必ずしも最大の効果を生むとはいえません.また,この方法には膨大な時間を要すという難点もあります.

 さらに,録音機が置いてあると,相手が構えてしまって,インタビューがぎくしゃくしたものとなりがちだという点も重要です.これは相手側の慣れの問題もありますが,講義中に学生が勝手にテープレコーダーを回しているといい気分がしない,ということを思うと,単に慣れだけの問題として片づけることはできません.話されたものは書かれたものと違って,本来,hic et nunc のものだと私たちは心のどこかで考えているのかもしれません.

 このため聞き取り調査では,話を聞きながらメモをとり−−耳と口と手が別々の作業を行なうことになるので緊張を強いられる−−,それを後でノートに整理するという方法を僕は長らく採用してきました.と同時に,ノート整理のための時間を短縮するために,メモの時点で何とかデジタル化できないだろうか,ということも考えていたのです.

 そこで今回,ノート型パソコンでメモをとることを試みてみました.相手が日本(世界?)最大の広告代理店の人間であり情報機器にも慣れているだろうから大丈夫だろうと考えたからなのですが,結果は失敗でした.インタビュー前に許可を求めたときは,二つ返事で了解してくれたのですが,インタビューが始まって5分もたたないうちに,「どうもやりにくいから勘弁してくれ」という苦情が出て,急遽,メモ方式に切り替えたのです.テープと違って抵抗が少ないだろうと考えていたのですが,どうも考えか甘かったようです.

 何が失敗の原因かということはまだよく分かりません.いくら小型化したとはいえ,ノート型パソコンはメモ帳に比べると巨大ですから,これが威圧感を与えるということがあったかもしれません.大きな部屋で行なわれている会議だとパワーブックを使っていてもそれほど目立たないのですが,インタビューのような対面的状況ではメモ帳はおろか,ウォークマンと比べてもストレスの原因になるということはあります.

 また,キーボードを叩く音がストレスになっていたということも考えられます.この音はピッチが速ければ速いほど,いかにも「細大漏らさず記録を取ってやるぞ」というメッセージとして相手に受け取られる可能性があります.もしそうだとすると,キーボードを叩くことによって,僕は知らないうちに,話されたものは hic et nunc のものであるべきだとという規則に違反にしていたことになります.

 あるいは,それこそ最初に試した相手の単に慣れの問題なのかもしれません.別の人物だったら案外うまくいったのかもしれませんし,同じ人物でも回を重ねればうまくいくのかもしれません.時期尚早のゆえの失敗なのか,もっと本質的な理由による失敗なのか,いまは判断がつきかねているのですが,いずれにしても,インタビューのメモにパソコンを使うことは,当分のあいだは見送ることにしました.

 最近読んだ新聞記事のなかに,あるメーカーが音声認識の技術についての開発を進めていて,その実用化が近いことを紹介したものがあります.この記事の最後で,これが実用化されれば新聞記者の取材は効率化するだろう,というコメントが記されていました.この技術は社会学者にとっても朗報ですが,調査対象者が受け入れてくれるだろうか,という心配も少しあります.これが杞憂だとよいのですが.[1998/7/6]

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