インドネシアのおにぎり

 家に帰ってきて『朝日新聞』の夕刊を見て,我が眼を疑いましたね.社会面の半分以上がインドネシアの今回の事件に関する記事なのですが,その標題たるや「中3 おにぎり作り児童に」「日本人校,早朝の帰国」「739人,机で床で一夜」「『群衆来る』一時電気消す」「『深夜便飛び乗った』脱出の邦人家族」というものなのです.いったい『朝日新聞』はインドネシアで何が起こっていると思っているのでしょう.

 アジアの金融危機をきっかけとして,独裁政権の長年の腐敗と矛盾が一気に噴き出して,死者まで出ているというときに,「中3 おにぎり作り児童に」という美談仕立ての記事が紙面の大半を占めるとは,どういう神経の持ち主が,この新聞の編集を行なっているのか不思議です.これではまるで地震か噴火のような予期せぬ自然災害の被害状況の報道とまったく同じです.

 そういえば『ニューズ・ウィーク』やCNNやBBCが昨年からインドネシアの情勢を,かなりていねいに扱っていたときに,朝日に限らず日本のマスコミは,インドネシアのことをあまり報道してきませんでした.ところが,今回の事件が起きてから,一転して大きく取り上げるようになりながら,その最後のしめが,おにぎりなんです.絶望!今夜は眠れないかもしれない.

 立花隆氏が東大法学部の卒業生の教養について疑問を呈していましたが,この記事で,マスコミに多くの人間をこれまで送り出してきた東大社会学の卒業生の教養についても心配になってきました.せめて編集デスクが東大社会学の出身でないことを祈ります.

 日本のマスコミの報道姿勢は,ときどき疑問に思うことがあります.一昨年の冬に韓国でゼネストが起こっていて,ILOまで乗り出してきていたときにも,ほとんど日本の新聞は,このゼネストに対して沈黙を守りました.たまたまBBCのニュースを見ていて韓国の出来事を知り,それからあわてて新聞記事の商用データベースを調べたのですが,国際面にも事件発生後だいぶたってからの小さな記事しか発見できませんでした.BBCのニュースを見なければ,僕も気がつかなかったかもしれません.

 今日の『朝日』の記事に戻りますが,おにぎりもさることながら,「日本人校,早朝の帰国」「739人,机で床で一夜」「『群衆来る』一時電気消す」「『深夜便飛び乗った』脱出の邦人家族」といった,ナショナリズム過剰の言説も気になるところです.そこにはインドネシアの人間のことはほとんど眼中にないと言っても差し支えない.

 これについて,思い出すのは,中島みゆきの新譜『わたしの子供になりなさい』のなかに含まれている「4.2.3.」といううたです.「4.2.3.」というのはペルーの日本大使館の人質が武力解放された97年4月23日を意味します.この曲のなかで,中島みゆきは,日本のテレビが邦人救出のことだけを取り上げ,血塗れのペルー人兵士の犠牲者が画面に映っているにもかかわらず,彼のことはほとんど無視して,ひたすら日本人人質の無事だけを伝えるマスコミ人に対する違和感を表明します.

 彼女は歌います.「しかし見知らぬ日本人の無事を喜ぶ心がある人たちが何故 救け出してくれた見知らぬ人には心を払うことがないのだろう」と.僕もあのとき,人質救出に対して拍手喝采を送っている日本のマスコミに対して違和感を覚えました.このときの唯一の救いは,人質の死も兵士の死もゲリラの死も同じ死であると述べたシュプリアニ大司教の涙でした.

 彼女は続けます.「この国は危い」「日本と名の付いていないものならば いくらだって冷たくなれるのだろう」「あの国の中で事件は終わり 私の中ではこの国への怖れが 黒い炎を噴きあげはじめた」.インドネシアのおにぎりは,僕のなかに中島みゆきへの同感を生み出します.「この国は危い」「私の中ではこの国への怖れが 黒い炎を噴きあげはじめた」...[1998/5/16] 

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