東大法学部の教養

 『文藝春秋』に連載されている立花隆氏の東大論を,出張先の図書室で仕事の合間に読んでいたところ,東大法学部卒業の官僚には教養がないという前号の記事を読んだ文一の学生諸君が,講義のときに同氏のところへやって来て,「教養はどうやったら身につくのでしょうか」と質問したということが書いてあって,思わず僕は噴き出してしまいました.前号の記事に対して,教養のある人間はあまりこういうことは書かないのではないか,と思ったのですが,この無邪気な学生たちの話を知って,なるほどこういうことだったのかと考えさせられました.

 いまや教養のマニュアルも必要かもしれません(笑). … と書きたいところですが,社会学者としては,教養は自然に身につくようにみえて,じつは教養のマニュアルも存在してきたと主張せざるをえません(ブルデューの仕事はこのことを明らかにしたものでしょう).もっとも教養は無教養の対立項としてのみ存立が可能でしょうから,教養のマニュアルは万人が容易に知りうるものであってはならないはずで,隠されたものでなければなりません.先ほどの学生の話が,そこまで毒をはらんだ質問を行なったとは思えませんが.

 以前,ヨーロッパで刊行されている在外邦人向けの新聞を読んでいたとき,有名企業の駐在員が向こう(ヨーロッパ)のテレビは日本に比べてまったくつまらない,と書いている投書を読んだことがあります.この人が東大法学部出かどうかわからないのですが,ワイドショー的表現を用いれば「超エリート・サラリーマン」であることには間違いありません.彼がいうには,向こうのテレビは理屈が多い,日本に比べて退屈だ,娯楽性に乏しい,ということです.イギリスに住んでいたとき,日本だと延々2時間かけるような話を,軽快な30分番組に仕立ててあることが多く,このテンポの速さを気に入ってすっかりテレビ好きになっていた僕は,このエリート氏の投書を読み始めたとき,ちょっと意外な感じがしました.この意外な感じが驚きに変わったのは,「自分の趣味に合わない」と書けばよいところを「番組の出来が悪い」とか「日本に比べて遅れている」と書いていたからです.このエスノセントリズムには辟易なのですが,さらに驚いたことには,このエリート氏が念頭に置いて礼賛している日本のテレビ番組というもののなかに,どうも安上がりのワイドショーや学芸会的お笑いショーなども含まれているらしい,ということでした.これが日本を代表するエリート・サラリーマンたちの教養の程度ではないでしょうか.

 閑話休題.じつはこんなつまらないことを書こうと思ったのではありません.文一の学生のせいで,話が変な方向に向かってしまいましたが,本当に書きたかったことは,東大法学部を卒業した官僚のなかにも教養のある人が過去にはいたよ,ということです.例えば,長沼弘毅.彼は一般にはシャーロック・ホームズの研究家として名を成した人ですが,社会政策の世界では,ローントリーの『貧困』の翻訳者として知られています.彼も事務次官まで勤めた歴とした大蔵官僚でした.[1998/5/6]

戻る