To be, or not to be

 To be, or not to be, that is the question. この台詞,小田島雄志訳の『ハムレット』では,「生きるべきか死すべきか,それが問題だ」ではなく,「このままでいいのか,いけないのか,それが問題だ」となっています.実は,この心境,Wintelに包囲されたMac Userの現在の心境でもあります.To be, or not to be, that is the question for Mac Users.

 こんなことを書くのは,同僚のMac UserのUさんが,Mobile環境を整えるために,PowerBook 2400の購入を迷ったあげくWintelのサブノートを買うと言い出したからです.機種はソニーのVaioです(Vioと2400とのライバル関係については,先日のこの欄で日経Macの記事にリンクをはってあります).Mac Userとしての僕は,当然,Uさんに説得を試みます.悪魔のささやきに耳を貸してはならない,と.

 Uさんの言い分は軽量性とバッテリーの持続時間です.たしかに,この2点に関して,パワーブックは完全に劣ります.これに対して僕の言い分はこうです.0.5kgの差ははたして大きいだろうか(この抗弁ちょっと苦しい.実は僕も0.5kgの差は重要だと思っています).7時間も連続して使う必要があるだろうか(京都の学会で報告するためのレジュメを,東京発の新幹線のなかで作ることは,2400でも十分可能です.しかし売れっ子のUさんの場合,国際線の7時間の飛行機のうえで原稿を書く必要があるため,バッテリーが2時間というのはどうしても足りないようです.僕は7時間も連続して原稿を書き続けるなどという芸当はできませんから,この点に関しては何も言うことができません).

 とはいえ最大の言い分は,Mac OSの環境を使い続けることができる,ということです.終了しようと思ったらスタート・ボタンを押さなければならない,ということに対して何の違和感も感じない強靱な精神の持ち主だけが,Windows 95を使うことができる,というのが僕の信念です(あいにく僕にはそうした精神の強靱さはない.それからもう一つ.Windowsが起動するときに画面に表示される文字列は,MS-DOS時代のconfig.sysやautoexec.batの悪夢−−Mac以前は98互換機を使っていた−−を思い出させるため,精神衛生にたいへんよろしくない).この憶説を信ずることができれば,すべては許されるだろう,というのが僕の最終弁論です.

 と,このように書くと,Microsoft憎しで凝り固まっているのではないか,と思われそうですが,そうではありません.エクセルをはじめとしてMac OSの上で動くMicrosoftのソフトは従来から愛用していましたし,じつはWintelのノートもひそかに併用しているのです.科研費の共同研究に参加したときに,SPSSという統計ソフトを使わなければならなくなり,このソフトの最新版がMacに対応していないこともあって,Windowsのノートを買わざるをえなくなりました.このとき,ハードも安くソフトの種類も豊富なWintelに,いっそうのこと乗り換えてしまおうか(悪魔のささやき!?)とも思ったのですが,Macでは何も考えずに直感的にできることが,Windowsではなかなかうまくいかない,ということもあって,結局,メインのマシンはMacのままとなりました.

 それではWintelのノートは何に使うかというと,調査報告書を作成するとき,集計はSPSSの最新版に対応したWintelで,テキストの作成はWintelの画面を見ながらMacで行なう.また,原稿執筆のときなど,Macで書きながら,Wintelでインターネットによる調べものをする(Internet Explorerもわりと使いやすい).CD-ROMもWintelが中心ということになります(Mac版がないか,出ても半年以上遅れるということが最近は多くなりました).いくらウィンドウの切り替えができるとはいっても,ディスプレイが二つあることには及びませんから,こうした使い方はなかなか便利です.それからファイルを電子メイルに添付しなければならないときも,相手がWintelの場合は,Wintelの方から送信ということになります.

 Power BookとWintelノートとの以上のような併用は,周囲が圧倒的にWintelという環境のなかでの,Mac Userとして仕事をしていくための生き残り戦略です.この戦略はいまのところ成功しています.しかし技術の日進月歩のなかでは今後どうなるか分かりません.このため「このままでいいのか,いけないのか,それが問題だ」となってしまうわけです.[1998/4/16]

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