見田ゼミのこと

 昨日の『朝日』の夕刊に,定年退官を控えた見田さんが,教師生活30数年について記した文章を寄せています.「最終講義は逃げ切った」というのが,このあいだ会ったときのご本人の弁ですから,おそらくこれが最終講義の代わりでしょう.つねに「若さ」を体現してきた見田先生が還暦とは,非常に感慨深いものがあります.

 僕の世代の社会学者はだいたい駒場の折原ゼミか見田ゼミの出身者です.駒場での同学年を見渡してみると,都市社会学者の町村敬志や教育社会学者の刈谷剛彦は折原ゼミの出身者.彼らはウェーバリアンである折原先生の禁欲主義を今でも受け継いでいます.生まれつきのエピキュリアンだった僕は,折原浩先生の崇高な倫理主義にはついていけず(別に見田さんがアモラルだといっているのではない!?),メキシコから帰ってきたばかりの見田さんのゼミに出席していました(当時はカスタネダを読んでいた).同じ理由かどうかは分かりませんが,現在の社会学研究室の同僚の佐藤健二も当時,見田ゼミに出席していました.一緒に合宿の幹事をやったこともあります.一年下だと家族社会学者の山田昌弘と落合恵美子がやはり見田ゼミ出身者です.見田さんや彼らと一緒だった70年代末の見田ゼミの合宿の光景を,つい昨日のことのように,今でも思い出すことがあります.

 見田さんの記事を読んで意外だったのは,70年代のゼミを「真剣な祝祭」としてことのほか評価していたことです.というのは,吉見俊哉君や大澤真幸君を先頭に,見田さんの社会学的感性の正統な後継者が陸続として出現してくるのは,むしろ80年代以降の見田ゼミだ僕は思っていたからです.不肖の弟子としての僕は,若い世代の社会学者が見田さんの仕事を跳躍台にして活躍しているのを見ながら,見田さんもさぞかし満足しているだろう勝手に推測していました.しかし環境問題の舩橋晴俊さんや差別論の福岡安則さんやフェミニストの江原由美子さんのような硬派の論客が活躍した時代の見田ゼミにおいて「教えるということの楽しさ,学生たちと徹底的に討論するということの愉快さの感覚を知った」と見田さんが語っているのを聞いて,なるほどそうだったのかと思いを新たにしました.それにしても哀しいのは,70年代末にゼミ生だった僕は,どちらにも帰属しない端境期の中途半端な人間だということです.

 僕は文学部に進学しようとは思って大学に入学しましたが,そのとき社会学者になるとは夢にも思っていませんでした.社会学が何であるかは,高校生にとっては不可知であったからです(もっとも福武直先生は旧制高校に入る前から,社会学者になることを決めていたらしい).大学に入学し,受験勉強から解放されて貪り読んだ書物のなかにも,社会学の本がそれほどあったわけではありません.しかし何かの偶然で読んだ見田宗介と真木悠介の本と,駒場での見田ゼミへの出席は,僕が社会学科に進学するに当っての決定的な一撃でした.その意味で見田さんは僕の人生に決定的な介入を行なったのです.もちろん本人はご存じないでしょうが... (1998/3/6)

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