説明責任

 新聞報道によると,現在,準備中の情報公開法のなかに,accountability(説明責任)に関する条項が盛り込まれるそうです.これは僕にとって非常に感慨深いことです.というのは,今から十五,六年前,東大社研の岡田与好先生の演習に大学院生として出席していたときの記憶が甦るからです.当時は,この言葉はそれほど知られていませんでした.

 このときの講読で取り上げられた英語文献(何だったかは忘れてしまった)のなかに,この言葉が出てきました.辞書を引けば「責任」という訳語が載っている.account(説明する)という動詞の派生語であることから何となく意味の想像はつく(当時の受験英語のバイブルであった『試験に出る英単語』のなかで,account forは必須の熟語でした).しかし,どうもしっくりこない.

 そこで先生に質問しました.先生は詳しく説明して下さいましたが,どうもピンと来ません.この問題だけに時間を費やすわけにはいかないので,僕は「分かりました」と答えて,その場を切り抜けようとしました.ところが,こちらが何も分かっていないことを見破っている先生から,「そう簡単に分かってもらっては困る」と言われました.

 その後,イギリスの社会政策の文献を読んでいくうちに,accountableだとかaccountabilityという言葉に何度も出くわすようになり,だんだんとその意味を得心するようになりました.また,ここ五,六年は,日本の新聞でも「説明責任」や「アカウンタビリティ」の言葉が目につくようになりました.

 この話は一人の無知な社会学者の成長の記録です.しかし同時に,日本社会の健全な成長の記録でもあるように思われるのです.(1998/2/21)

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