19世紀ロシア文化研究会は、18-19世紀のロシア文学・文化に関する研究の中でも斬新な視点を持ったものを勉強する会です。
近年、19世紀ロシア文化を新しいアプローチでとらえていこうとする研究が欧米を中心に盛んとなっています。しかし一方、この分野の研究にあたっては、当時のテキストや古典とされる研究など、大変な量の「基本文献」を読みこむことが望まれます。よって、従来の19世紀ロシア研究が築き上げてきたものを越えようと思っても、最新の研究成果を消化しつつバランス感覚を保っていくことは、もはや個人では至難の業といってよいでしょう。
こういった状況を克服するために、新しい研究のレビューを共同で行い、情報交換をしていく場を設けようというのが、研究会設立の主たる狙いです。
19世紀ロシア文化研究会は現在、月1回くらいのペースで会合を開いています。
会合では毎回、担当者を一人決めて、18-19世紀ロシア文学・文化に関する論文ないし研究書(できるだけ「旬の話題」を扱ったもの)を1つか2つ選んで要約、紹介する、といった形式をとっています。希望者がいれば、オリジナルな研究や、19世紀ロシアと直接関係のない純粋に方法論的なものに関する発表も、取り入れていく方針です。
現在のところ、ロシア文学・文化・歴史を研究する東京大学の大学院生が中心メンバーですが、他大学の方の御参加も大歓迎です。まずはrus19vek@hotmail.comまで御連絡ください。
なお、これまでの報告の内容、および次回の報告の予定は以下の通りです。
2005年3月5日(土)には、5年間の活動の成果を問い、また会の活動をいっそう開かれたものとするため、シンポジウム「19世紀ロシア文学という現在」を開催いたしました。
公開研究会「テクストと身体」(2006/3/9-10)をリンク先に追加しました。http://www.human.niigata-u.ac.jp/~masami/koukai01/koukaiken01.htm
報告要旨:
19世紀半ばの「大改革」期をはさんで、ロシアでは様々な情報伝達メディアの変化が見られた。中でも統計情報を例に取ると、その動きを理解しやすい。本報告では、統計情報を伝えたメディア-すなわち各県の統計委員会が発行した『年鑑(Памятная книжка)』と、民間出版社による各種『カレンダー』-を とりあげて検証し、情報流通経路と受容者の変化を明らかにすることで、近代ロシア社会の変質を考えるための議論につなげていく基礎としたい。
| 報告日 | 報告者 | 報告日 | 報告者 |
| 第1回 2000年7月18日(火) | 鳥山祐介 | 第11回 2001年12月22日(土) | 久野康彦 |
| 第2回 2000年9月16日(土) | 久野康彦 | 第12回 2002年2月9日(土) | 大塚えりな |
| 第3回 2000年10月23日(月) | 青島陽子 | 第13回 2002年4月27日(土) | 安達大輔 |
| 第4回 2000年12月20日(水) | 安達大輔 | 第14回 2002年6月29日(土) | 坂上陽子 |
| 第5回 2001年2月21日(月) | 大野斉子 | 第15回 2002年7月30日(火) | 覚張シルビア |
| 第6回 2001年3月27日(火) | 尾松亮 | 第16回 2002年9月21日(土) | 金沢美知子 |
| 第7回 2001年5月26日(土) | 斉藤毅 | 第17回 2002年11月2日(土) | 小林銀河 |
| 第8回 2001年6月30日(土) | 坂上陽子 | 第18回 2002年12月21日(土) | 大野斉子 |
| 第9回 2001年7月28日(土) | 乗松亨平 | 第19回 2003年2月15日(土) | 田口卓臣 |
| 第10回 2001年11月3日(土) | 覚張シルビア | 第20回 2003年4月19日(土) | 小椋彩 |
| 報告日 | 報告者 | 報告日 | 報告者 |
| 第21回 2003年5月17日(土) | 巽由樹子 | 第31回 2004年12月18日(土) | 安達大輔 |
| 第22回 2003年6月28日(土) | 粕谷典子 | 第32回 2005年2月5日(土) | 大山麻稀子 |
| 第23回 2003年9月13日(土) | 五島和哉 | 第33回 2005年5月21日(土) | 久野康彦 |
| 第24回 2003年11月15日(土) | 大山麻稀子 | 第34回 2005年6月4日(土) | 宮風耕治 |
| 第25回 2004年2月14日(土) | 恒吉華子 | 第35回 2005年8月26日(金) | 三好俊介 |
| 第26回 2004年3月27日(土) | 飯田梅子 | 第36回 2005年11月26日(土) | 中村唯史 |
| 第27回 2004年4月24日(土) | 乗松亨平 | 第37回 2006年2月11日(土) | 鳥山祐介 |
| 第28回 2004年6月19日(土) | 越野剛 | 第38回 2006年5月13日(土) | 高橋沙奈美 |
| 第29回 2004年9月10日(金) | 尾松亮 | 第39回 2006年8月4日(金) | 尾松亮 |
| 第30回 2004年11月6日(土) | 青島陽子 |
第1回報告 2000年7月18日(火)
報告者 鳥山祐介 氏
報告内容 Harsha Ram, "Russian Poetry and the Imperial Sublime" (Russian Subjects. Empire, Nation, and the Culture of the Golden Age, Evanston, Illionis, Northwestern University Press, 1998, pp.21-49.)のレビュー
(論文の内容:ロモノーソフ、デルジャーヴィンといった詩人が活躍した18世紀は、ロシア帝国が「オリエント」との戦争によって領土を拡張していく時代でもあった。この論文は、彼らの頌詩において重要な役割を果たす「崇高」という美学的事象に焦点を当て、それが一方で持つ政治的局面に考察を加えつつ、当時の帝国権力による拡張政策と文学との共犯関係を探るものである。近年はポストコロニアリズムの潮流と連動して、ロシア文学における「オリエント」(主としてカフカース)の機能に関する研究も増えているが、その文脈で18世紀ロシアが本格的に論じられることはまだ少ない。また、これまで専ら審美的な観点から論じられていた詩の技法や題材の中に政治性を指摘しているという点でも、この論文は啓発的である。)
第2回報告 2000年9月16日(土)
報告者 久野康彦 氏
報告内容 Акимова Н.Н. Булгарин и Гоголь (Массовое и элитарное в русской литературы: проблема автора и читателя) (Русская литература, no.2, 1996, С.3-22.)のレビュー
+1990年代以降におけるブルガーリン研究の動向について
(論文の内容:1990年代に入って歴史・政治・文化的観点から再検討が進んでいる作家・ジャーナリストのファジェイ・ブルガーリン(1789-1859)に関する論文の一つ。ロシアにおいて急速に文学の商業化が進行していった1830年代には、「貴族文学者」たちと「商業文学」の担い手たちとの間に熾烈な読者獲得の競争が行われた。そのような現実の状況においてブルガーリンとゴーゴリが果たした役割を指摘・比較するのみならず、彼らの文学テクストにおける語りの仕組みの内にそれぞれの読者獲得の戦略を読みとろうとするアプローチが斬新と言える。芸術性が低いという理由で従来ほとんど研究の対象とはされていなかったブルガーリンの文学作品に、客観的なテクスト分析を行っている点でも画期的な論文。)
第3回報告 2000年10月23日(月)
報告者 青島陽子 氏
報告内容 「大改革」期の政治過程における「省」 ― 国民教育省を例として
第4回報告 2000年12月20日(水)
報告者 安達大輔 氏
報告内容 David Herman, "Innocents at home: 'Bednaja Liza' as a response to 'Pis'ma russkogo putesestvennika'" (Russian Literature, XLIV, 1998,pp.159-183.)のレビュー
(論文の内容:センチメンタリズム期のヨーロッパをロシアに紹介する目的で書かれた『ロシア人旅行者の手紙』だが、その末尾ではヨーロッパ的価値観の普遍性への疑問も示唆されている。その補遺とも言うべき『哀れなリーザ』はリーザとエラストの悲劇をネイティヴなロシアとヨーロッパの文化的接触のアレゴリーとして表象する。両者の境界の越境はロシア文化にとって致命的であり、ロシアのネイティヴなものにこそ文明化への推進力を見ようとする、『ロシア国史』へとつながりうるカラムジンの姿勢の萌芽があるとする論文。)
(報告者のコメント:『哀れなリーザ』が行なっていることは、それを読むことによって共感の共同体を形成することであり、そこでは主体形成と主体を踏み固めるために人種・階級・ジェンダーによる他者化が行なわれている。西洋中心主義的な二項対立では捉えきれない、主体構築の異種混交性の分析が必要である。)
第5回報告 2001年2月21日(月)
報告者 大野斉子 氏
報告内容 ロシア1840年代の木版画
(発表の要旨:1840年代に流行を見た木口木版画付き出版物の一つ『ゴーゴリの作品からの100枚の絵:『死せる魂』』(以下『100枚の絵』と表記)の分析を通じて、当時の出版状況やメディアの考察を試みる。フランスの木口木版画の強い影響下で発展
したロシアの40年代の木口木版画事情を反映しながらも、『100枚の絵』は、特異な出版形態や優れた表現力によって、40年代のロシアの木口木版画から抜きん出た新しさを示している。
『100枚の絵』の分析を通じて、当時の木口木版画とフランス製出版物の関係や、出版者・版画家らの活動状況など、木版画を巡る当時のロシア出版界の一端を考察する。その中で、『100枚の絵』が40年代に既にロシアの木口木版画が新しいメディアに成長しようとする要素を内包していたことを読み取っていく。)
第6回報告 2001年3月27日(火)
報告者 尾松亮 氏
報告内容 ドストエフスキー研究史における批評家ソロヴィヨフの位置付け
(Kostalevsky,M. Soloviev onDostoevsky// Dostoevsky and Soloviev The Art of Integral Vision, New Haven and London,1997 のレビュー)
(論旨の紹介:ソロヴィヨフのドストエフスキー論は、ロシアドストエフスキー研究史における転換点である。社会性重視に偏った批評(ドブロリューボフ等)が克服され、より本質的な理解への道が開けた。ドストエフスキーの宗教的理念Всеединствоを見抜いたソロヴィヨフの業績は、イワノフを通じ、バフチンのポリフォニー論(芸術形式面でのВсеединствоの指摘)に引き継がれる。)
(報告者のコメント:ソロヴィヨフがドストエフスキーに求めた「超芸術家(預言者)」「リアリズムの克服者」「普遍的団結の伝道者」という芸術家像は、ソロヴィヨフの思想的プロジェクト(全地普遍教会、地上世界の美的救済、等)のなかで、独自の意味をもつ。他の批評家との比較や批評史における位置付けを行う際、このようなドストエフスキー解釈の裏にある、批評家(ソロヴィヨフ)の戦略的意図を考慮すべきである。)
第7回報告 2001年5月26日(土)
報告者 斉藤毅 氏
報告内容 Bethea D.M. Realizing Metaphors. Alexander Pushkin and the life of the Poet. Wisconsin UP, 1998のレビュー
第8回報告 2001年6月30日(土)
報告者 坂上陽子 氏
報告内容 "Москва в русской и мировой литературе"(Н. Д. Блудилина編、Москва, "Наследие", 2000)より数章のレビュー
(論文の内容)
Усок И.Е. Лермонтов в Москве (1814-1832гг.).С.94-110.
二つの首都、モスクワとペテルブルクの対比は、1820年代から40年代に文学の伝統となっていたが、レールモントフは完全にモスクワに共感を抱いていた。彼のモスクワに関する詩は、息子のような愛情と愛国的誇りで貫かれており、彼にとってクレムリンとは、何世紀もの間のロシア民族の栄光の証人であり、また単なる偉大な
過去の思い出としてではなく、過去と未来をつなぐものであった。
Виноградов И.А. Москва и Рим в творчестве Гоголя. С.117-155.
ゴーゴリは、モスクワをローマ、ウクライナになぞらえ、ペテルブルク、パリを文
明都市として、モスクワ、ローマ、ウクライナと対比させている。ゴーゴリはロシア
の精神的民族的復興をモスクワにゆだね、正教による人類救済を唱えて、その役割を
ロシア皇帝が担うべきだと考えていた。
Великанова Н.П Москва в книге "Война и мир". С.170-184.
モスクワのテーマは、『戦争と平和』の最初の構想の段階からトルストイの視点にあった。モスクワは『戦争と平和』の製作過程で擬人化され、独立した形象の特徴を持ち、その独立性と独自性はペテルブルクとの比較によって認識される。ナポレオンによるモスクワ侵攻を通して、単なるロシアの空間ではないモスクワの意義・本質が
明らかにされてゆく。
第9回報告 2001年7月28日(土)
報告者 乗松亨平 氏
報告内容
Каролин Хайдер "В сей книжке есть что-то занимательное, но..." Восприятие русских писательниц в Дамском журнале."(Пол - гендер - культура. Изд. Э.Шорэ и К.Хайдер, M., 2000, С.131-153.)と
Ayers, Carolyn Jursa. "L'education sentimentale or the School of Hard Knocks? The Heroine's Education in the Society Tale." Neil Cornwell (ed.) The Society Tale in Russian Literature. Amsterdam - Atlanta, Editions Rodopi B.V., 1998のレビュー
(Хайдер論文の要旨)
『婦人雑誌 Дамский журнал』(1823‐33)に連載されたМ・Н・マカーロフ『女性作家史資料集 Материалы для истории женщин-авторов』(1830‐33)の紹介。女性が書くことが抑圧された時代にあって、女性向け雑誌がもった可能性を探る。しかしそこでは、カラムジン派的な女性賛美の一方で、女性の書く欲望は暗に否定された。
(Ayers論文の要旨)
1830‐40年代の社交界小説でヒロインが受ける教育を分析。知的でモラリスティックな教育と、社交界のモラルなき教育の二項対立が見られる。教育制度が未成熟ななかで、前者の教育は個人的で不安定なものとなり、ヒロインたちは社交界の壁に突きあたり滅んでいく。そうした物語を描くことで、社交界小説は社交界のコードを批判し
ようとした。
第10回報告 2001年11月3日(土)
報告者 覚張シルビア 氏
報告内容
Olson. Exporing the Bounderies of Realism and Romanticism. Ch.3. Russianness and femininity in War and peace: the communal self vs. the bourgeois family (pp.131-198). Michigan, A Bell & Howell Company, 1994.のレビュー
(論文の内容:「戦争と平和」には、世界史におけるロシアの役割をめぐる論争が反映されているが、ロシアの女性的特質を弱さとしてではなく、強さとして扱っている点で、スラヴ派の立場にたつといえる。クトゥーゾフやカラターエフにも、こうした女性的特性がロシア性と結びついた形で現れているが、その特性がロシアとの一体化をも可能にするのはナターシャである。彼女が道徳的堕落を経た後に、より完全なる存在へと移行することは、ナポレオン侵入後のロシアの復活を象徴する。エピローグにおいて、ナターシャの家族は、サロンの文化とは対立する自然な空間として描かれているが、そこには自由が欠如している。美的力の典型であったナターシャの脱審美化にも解決すべき多くの問題が含まれている。)
第11回報告 2001年12月22日(土)
報告者 久野康彦 氏
報告内容
Андрей Зорин, Кормя двухглавого орла... Литература и государственная идеология в России в последней трети XVIII - первой трети XIX века. М., Новое литературное обозрение, 2001 より以下の2章のレビュー
глава VIII. СВЯЩЕННЫЕ СОЮЗЫ. Послание «Императору Александру»В.А.Жуковского и идеология христианского универсаризма
(С.267-295)
глава X. ЗАВЕТНАЯ ТРИАДА. Меморандум С.С.Уварова 1832 года и возникновение доктрины «православие - самодержавие - народность»
(С.337-374)
(論文の内容)
アンドレイ・ゾーリンは現在モスクワのロシア国立人文大の教官。レビュー対象の本は、これまで発表された18世紀・19世紀初頭のロシアの文学や社会思想に関する論文をまとめたもの。序章のイデオロギー論に典型的に見られるようにヨーロッパの現代思想や理論も柔軟に消化しつつ、対象となっている時期のロシアの文学・思想に新しい光を当てようと試みた研究である。
第8章では、アレクサンドル1世時代、ナポレオン戦争にちなんで書かれた詩人ジュコフスキーの頌歌『ロシア兵士の陣営に立つ歌人』(1812)や書簡詩『アレクサンドル帝に』(1814)と、近代西欧史史上最も奇妙な国際条約とされる1815年の神聖同盟を成立させた国家イデオロギーに通底する理念を検討。詩人の人生と創作というプライベートな領域に、国家の政策とイデオロギーという、よりマクロで一見異質な領域を重ね合わそうとするアプローチが興味深い。
第10章では、長らくロシア帝国の看板スローガンとなった有名な「正教・専制・ナロードナスチ(国民性・民族性)」を考え出したニコライ1世時代の官僚ウヴァーロフの思想的背景を考察。ギゾー、フリードリヒ・シュレーゲル、フォン・シュタインなどフランスやドイツの保守主義思想家との交流・影響、およびヨーロッパとロシアの保守主義の新旧世代の相違を検討することで、「正教・専制・ナロードナスチ」というドクトリンが、単純なロシア・ナショナリズムの発露でなく、ポスト・ナポレオンの時代の要請に応えた複雑な文化的・思想的モザイクの産物であることを明らかにしている。
第12回報告 2002年2月9日(土)
報告者 大塚えりな 氏
報告内容
Лотман Ю.М. «Письма русского путешественника»Карамзина и их место в развитии русской культуры (совместно с Б.А.Успенским) // Карамзин. СПб., 1997のレビュー
(論文の内容)
『ロシア人旅行者の手紙』は、カラムジンの手紙の集成でも、刊行するために改作された日記でもなく、ひとつの文学作品である。カラムジンの実際の旅行について我々はほとんど知り得ないが、『手紙』に書かれている内容を検証していくと、いくつか事実と乖離していると証明できる例を引き出すことができる。実際の旅行との違いや隠された事実が伝記的真実を語っているという側面はあるが、しかし、伝記的資料としての価値はないと言っていい。著者は、概して実際に眼にした光景ではなく、書物や絵画によってすでに知られている世界を記している。重要なのは、ガイド的な情報を与えることではなく、作者自身の像を創造することであった。作家の個性はこの時代、社会的な文化生活の事実となり、同時代人の行動と文学作品に対する彼らの理解に影響を与えた。いわば、文学は具体的な作者という媒介を通じて生活とつながりをもったのである。特に、ヨーロッパとの関係において、確固とした「ロシア人旅行者」の像を創造することは、作家はもとよりロシアは自分自身の像を認識するための道を開いた。
第13回報告 2002年4月27日(土)
報告者 安達大輔 氏
報告内容
Успенский, Б. А. Из истории русского литературного языка XVIII - начала XIX века: Языковая программа Карамзина и ее исторические корни. М.: Изд-во Московского уни-та, 1985.の前半部分のレビュー
(論文の内容)
本書は、ヴィノグラードフ、レーヴィンらの先行研究を吸収しつつ、記号論の枠組を用いてさらに多層的な分析を行い、その成果をコンパクトにまとめており、カラムジン(派)の言語観を紹介するうえで現時点では最適なものの一つだと言える。カラムジン派とシシコフ派の対立が、二項対立の様々な局面に解きほぐされることで、両派の運動のダイナミズムがうまく伝わってくる。
「ロシア標準語史におけるカラムジン」といえば、改革者としてのイメージが定着している。しかし本書でのウスペンスキイは、造語における彼の役割を再検討するよう促すなど、「新機軸の導入者というよりも、むしろその普及者」としてカラムジンを脱神話化しようとする姿勢を一貫している。カラムジンの標準語の概念を明らかにしたうえで、そのヨーロッパにおける起源を探るのが、本発表で扱う第1章である。2章以降では、それまであまり研究されてこなかったとされる、ロシア固有の起源が扱われる。カラムジンの言語観の先駆者として初期トレジャコフスキイが挙げられる(2章)が、彼はやがてシシコフ派に近い立場を取るようになると指摘されている(3章)。
第14回報告 2002年6月29日(土)
報告者 坂上陽子 氏
報告内容
Лотман Ю. М. Руссо и русская культура 18 -
начала 19 века : Лотман Ю. М. Собрание сочинений. Т. 1.
Русская литература и культура Просвещения. М. , 2000. С. 139 - 206.のレビュー
(論文の内容)
19世紀ロシア文化の複雑な問題は、「ロシアのルソー」の運命を考慮せずには理解
できない。この論文でロートマンは、18世紀から19世紀始めのロシアにおけるル
ソー受容、啓蒙主義受容を、ロシアの歴史的、思想的情況、出版事情やヨーロッパの
情況と絡めて、特にルソーの「自然ー人間」というアンチテーゼに注目しつつ概観し
ている。
第15回報告 2002年7月30日(火)
報告者 覚張シルビア 氏
報告内容
Юрий Манн. Русская литература 19 века: Эпоха романтизма. М., 2001.から第15章"В силовом поле романтизма"のレビュー
第16回報告 2002年9月21日(土)
報告者 金沢美知子 氏
報告内容
18世紀小説の研究方法: классификация とтипология
2,3研究論文またはその一部を取り上げて18世紀後半のロシア小説の研究例を紹介し、問題点を考える
(取り上げた論文)
Ревелли Дж. Образ ォМарии, российской Памелыサ П.Ю.Львова и его английский прототип. // XVIII век. Сб.21, 1999.
Орлов Р.А. Русский сентиментализм. М., 1977.
Ромодановская Е.К. Об изменениях жанровой системы при переходе от древнерусских традиций к литературе нового времени. // XVIII век. Сб.21. СПб., 1999.
第17回報告 2002年11月2日(土)
報告者 小林銀河 氏
報告内容
ドストエフスキーにおけるプーシキン起源のテーマの展開
(取り上げた文献)
Статьи из кн.: Бем А.Л.«Исследования.Письма о литературе» М.
2001
Статьи из кн.: Бочаров С.Г. «Сюжеты русской литературы» М. 1999
Достоевский Ф.М."Пушкин" из «Дневника писателя на 1880 г.»
(報告概要)
(1)Бем А.Л. "Достоевский ― гениальный читатель" из кн.:"Исследования. Письма о литературе" М. 2001 を紹介し、グリボエードフ、プーシキン、ゴーゴリにおいて提示されたテーマをドストエフスキーが自身の作品においてどのように展開させたかを見た。
(2)Достоевский Ф.М. "Пушкин" из "Дневника писателя на 1880 г." を再読し、ドストエフスキー自身におけるプーシキン理解を確認した。相対化のため、Бочаров С.Г. によって述べられているプーシキン受容の系譜についても簡単に言及した。
第18回報告 2002年12月21日(土)
報告者 大野斉子 氏
報告内容
A.F.マルクス社発行の『ゴーゴリ著作集』について
(発表の要旨)
ゴーゴリの死後50年が経過して著作権が切れたのが1902年のことである。この年に出版されたゴーゴリの著作や関連本の総数は、のべ200万部といわれる。当時、文学関連の出版物でこの部数は驚異的だった。ゴーゴリがなぜ古典作家としてこれほどの知名度を誇ったのか。これを考える上で一つの鍵となるのが、1902年の少し前、1900年にA. F. マルクス出版社が出版した『ゴーゴリ著作集』である。この著作集は従来をはるかに超えた規模でゴーゴリ作品を広く読者に提供した。
『ゴーゴリ著作集』はイラストつき週刊誌『ニーヴァ』の無料付録として出版された。『ニーヴァ』は数々の付録とマルクスの商才により圧倒的な発行部数を記録した雑誌である。しかし『ニーヴァ』が成功をみたのは出版形態や内容が何より19世紀末の読書事情に適っていたからだった。地方と首都の読書環境の格差、教育の普及、郵便事業の拡大などの観点から『ニーヴァ』の成功の理由とその付録の読者層を分析する。
『ゴーゴリ著作集』は内容面にも特色がある。原稿と照合してテクストの正確さにこだわり、作品だけでなく短い評論や記事を網羅するなど無料付録にそぐわない充実度を見せている。『ゴーゴリ著作集』の出版目的は『ニーヴァ』の販売促進だけでなく、読者を啓蒙し、古典と呼ぶにふさわしい正統なテクストを確立することにあった。『ゴーゴリ著作集』は『ニーヴァ』の大きな市場を通じてはじめて大規模にゴーゴリを大衆化した出版物であった。
第19回報告 2003年2月15日(土)
報告者 田口卓臣 氏
報告内容
ディドロとエカテリーナ2世 ---権力の組み替え、「代表」の回路、「文明化」の条件---
(報告概要)
18世紀啓蒙哲学の中心人物たるドゥニ・ディドロ(1713-1784)は、エカテリーナ二世によるロシア統治の状況を、いかなる目でみつめていたのか。ディドロは1770年代にはいってから、専制君主制における権力行使
の問題について批判的・具体的な考察をおこなうようになる。彼にとっての「ロシア」とは、18世紀「ヨーロッパ」の他の思想家たちと同様、この問題が最も明瞭なかたちで顕現するモデルケースだった。
第20回報告 2003年4月19日(土)
報告者 小椋彩 氏
報告内容
文学テキストにみる19世紀ポーランドとロシアの相互観
(報告概要)
第21回報告 2003年5月17日(土)
報告者 巽由樹子 氏
報告内容
商業的定期刊行物と読者集団の出現――近代ロシアの中間層に関する考察――
(報告概要)
ロシアでは「大改革」期検閲改革の緩和策が一因となって、商業的定期刊行物(新聞・絵入り雑誌)が、インテリゲンツィヤによる既存の「分厚い雑誌」を凌ぐ規模で普及し
た。その読者集団は、新興の都市中間層に対応すると考えられる。したがって商業的定期刊行物は、従来充分に検討されてこなかった近代ロシアの中間層を把握するの
に、有益な指標となりうるだろう。
第22回報告 2003年6月28日(土)
報告者 粕谷典子 氏
報告内容
Виноградов В. В. О Языке художественной прозы (1980)より、
О художественной прозеのなかの第1章、Язык литературно-художественного произведенияのレビュー
第23回報告 2003年9月13日(土)
報告者 五島和哉 氏
報告内容
「ドストエフスキー創作中期における病気観の変遷」
(発表要旨)
ドストエフスキーの「病気」概念を語る場合、キリスト教的な原罪ないしは悪のメ
タファーとしての側面を無視することはできない。『地下室の手記』や『罪と罰』に
見られる「自意識は病」の思想や、『白痴』『悪霊』のてんかん描写を詳細に分析す
ると、病気(悪)を克服して自然の変容(新しいユートピア)にたどり着こうという
ドストエフスキーの文学的課題、そしてその方法論の変遷が浮かび上がる。
第24回報告 2003年11月15日(土)
報告者 大山麻稀子 氏
報告内容
「同時代人におけるガルシン受容――ミハイロフスキーのガルシン評論を中心に――」
第25回報告 2004年2月14日(土)
報告者 恒吉華子 氏
報告内容
Ричард Вортман "Николай II и популяризация его образа в 1913 году" Новое литературное обозрение. No.38.С.78-103のレビュー
第26回報告 2004年3月27日(土)
報告者 飯田梅子 氏
報告内容
「プーシキンとレノーレ譚 」
第27回報告 2004年4月24日(土)
報告者 乗松亨平 氏
報告内容
Эткинд А. Русская литература, XIX век: Роман внутренней колонизации // Новое литературное обозрение. No.59, 2003.
Knight, Nathaniel. “Was Russia Its Own Orient? Reflections on the
Contributions of Etkind and Schimmelpenninck to the Debate on Orientalism.”
Ab Imperio. 2002/1.のレビュー
(報告概要)
エトキントは、ロシア人文学にいまだ根強い構造主義・記号論の規範を批判し、マルクス主義的批評の導入を唱える。そしてサイード以後のポストコロニアリズムがロシアにどう適用されるかを考察する。彼によれば、19世紀ロシアでは植民地を対象とする「外的」な植民地化と並行して、国内のナロードを対象とする「内的」な植民地化が行われていたのであり、文化にとって重要だったのは後者であった。その例証として、『大尉の娘』『白痴』『銀の鳩』における、「文化の男」「ナロードの男」「ロシアの美しい女」という三極構造が分析される。
ナイトは、エトキントの「内的植民地化」論を批判的に検証する。「内的植民地化」が「外的」なそれを抑止したという主張の事実的誤謬の指摘もさることながら、重要なのは、エトキントにおいて「コロニアリズム」の語が隠喩化しているという指摘である。エトキントの分析対象は、知識人とナロードの関係というロシア研究では伝統的なテーマであり、それを「コロニアリズム」と呼ぶことは事態を誤認させかねないとナイトは言う。
おそらくエトキントにおいて問題なのは、マルクス主義の導入を訴える彼が、サイードらのポストコロニアリズム批評に顕著だった、研究者による現代の国際政治への介入という側面を取り逃がしていることであろう。「植民地化」は国内問題へと回収さ れてしまう(それ自体、現代ロシアの政治的状況に関して徴候的ではある)。『鞭身派』などにおいてもすでに、ロシアの文化構造を特権化する傾向が見受けられたが、「ロシア」を批判的に検討する者が、それを特殊な主体として再立ち上げしてしまう ような事態は避けねばなるまい。
第28回報告 2004年6月19日(土)
報告者 越野剛 氏
報告内容
「火事と病気と文学」(ドストエフスキーの病気の問題と関連して)
第29回報告 2004年9月10日(金)
報告者 尾松亮 氏
報告内容
「ドストエフスキー作品における子供の社会化の場面」
第30回報告 2004年11月6日(土)
報告者 青島陽子 氏
報告内容
19世紀ロシアの官吏団:歴史学の最近の研究動向を踏まえて
第31回報告 2004年12月18日(土)
報告者 安達大輔 氏
報告内容
書記メディアとしてのポプリーシチン ――ゴーゴリ「狂人日記」と告白の場
(報告概要)
フーコーは『知への意志』のなかで、19世紀に、古くからの宗教的な告白のモデルに科学的言説が接続されることで、告白における真理の所有者は、語る者からそれを解釈する者に移ったと指摘している。
告白文学において、告白する主体を構成し脅かす言語との二重性は、先駆的なテクストであるルソーの『告白』、さらにそれを陰画として反復したカラムジン『わが告白』(1802)でもすでに潜伏していた。ベストゥージェフ(マルリンスキイ)『7通の手紙による小説』(1824)は、告白される内容よりも告白する主体の能動性を強調することで危機を克服しようとする。ゴーゴリ『狂人日記』(1835)はこの主体を徹底的に記号へと解体することで従来の告白の場を脱構築するとともに、その新たなシーンを準備する。
第32回報告 2005年2月6日(土)
報告者 大山麻稀子 氏
報告内容
「19世紀末のルポルタージュ作家、G・ウスペンスキーを読み解く ~農奴解放前後
の農民の生活様式と世界観の変化~」
第33回報告 2005年5月21日(土)
報告者 久野康彦 氏
報告内容
Вахтель Э. «Идиот» Достоевского. Роман как фотография // Новое литературное обозрение. 2002. No.57. С.126-143.のレビュー
+ロシアにおける写真の歴史概観
第34回報告 2005年6月4日(土)
報告者 宮風耕治 氏
報告内容
ロシアSF史における自然観とユートピア文学
第35回報告 2005年8月26日(金)
報告者 三好俊介 氏
報告内容
ホダセヴィチと19世紀
第36回報告 2005年11月26日(土)
報告者 中村唯史 氏
報告内容
トルストイのコーカサス表象:『ハジ・ムラート』を中心に
第37回報告 2006年2月11日(土)
報告者 鳥山祐介 氏
報告内容
レヴュー:Майорова О. Славянский съезд 1867 года:метафорика торжества // НЛО, №51 (2001). С.89-110.(オリガ・マヨーロワ「1867年のスラヴ会議:祝典の隠喩法」)
第38回報告 2006年5月13日(土)
報告者 高橋沙奈美 氏
報告内容
「聖地ソロヴェツキー」の創造:ポスト・ソヴィエトのロシアにおける国民統合と記憶
第39回報告 2006年8月4日(金)
報告者 尾松亮 氏
報告内容
1852年「現代人」誌における競作関係
L.N.『我が幼年時代の物語』とニコライ・M『ウリヤナ・テレンチエヴナの物語』
シンポジウム「19世紀ロシア文学という現在」
日時:2005年3月5日(土) 10:30-17:05
おかげさまでシンポジウムは成功裏に終了いたしました。 2005年4月17日
『シンポジウム「19世紀ロシア文学という現在」』プログラム (156 KB) [PDFファイル]
主催:19世紀ロシア文化研究会 シンポジウムの報告をまとめた冊子が2005年12月に出版されました。目次および個々の論文の内容は以下のURLで閲覧することができます。 21世紀COEプログラム研究報告集No.10「19世紀ロシア文学という現在」 2006年2月7日
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