ロシア俚諺語法の研究

栗原成郎


 本論文はロシア語の俚諺の特質をその表現面・形式面から考察したものである。

 序論 "ロシア語の俚諺"とはロシア語で言えば"Русские пословицы и поговорка"であって、そこにはпословицапоговоркаの二つの概念が含まれる。пословицапоговоркаは一般的に区別されながら、それぞれについての学者たちによる定義は、それらの特徴の一端を捉えながらもなお不明確であり、両者の区別も恣意的である。一例を挙げれば、"Друзья познаются в беде"「友は不幸の時に分かる」という一文はある者(例、Пермяков)はпословицаとし、ある者(例、Жуков)はпоговоркаと見なす。このような民衆的格言の表現は、形式面から観れば、文法的に完結した文の構造を具えていることからпословицаと考えるべきであり、そこに内容面(意味面)を考慮に入れてのпословицапоговоркаの区別を設ける必要はないもの、と筆者は考える。筆者は、文法的な文の形式をもち賓述判断を表している民衆的格言をпословицаと見る立場をとる。

 ロシア語の俚諺表現は、本質的にロシアの民衆の発想に基づく民衆語法であり、それは語彙・語形・統語関係・韻律・修辞法が渾然一体となった緊密な構造をもつ。それを筆者は"ロシア俚諺語法"と称する。序論はそのロシア俚諺語法の特質を俯瞰した総論である。


 第1章 主述関係 主語と述語は文の主要成分であり、文を成立させているのは両者の関係である。ロシア語の標準語の文法では主語と述語は形態的に呼応し合う一致関係(согласие)にあるが、俚諺表現においては標準語の文法規範から逸脱した現象が多々見られる。第1章ではそのような俚諺表現における標準語文法からの逸脱現象の種々相を文法理論の立場から考察し、分類・記述する。


 第2章 普遍妥当性の言語形式 諺を普遍妥当性の言語表現と捉え、単肢文という特有の文形式をとって表現された諺の賓述判断(predication)としての論理形式を考察する。

 賓述判断は印欧語では主語と述語の二項をそなえた両肢文の構造をとるのが普通であるが、ロシア語の俚諺表現では単肢文の形式をとることが多い。単肢文においては主語が形態的に表示されずに動詞述語の中に賓述が一元的に内包される。諺が表現しようとする人間的な真理の普遍妥当性はロシア語の単肢文においては2人称複数形を除くすべての人称形式によって表出される。

 普遍性は動詞(主として完了体)に2人称単数現在形(いわゆる"普遍人称")によって最もよく表現されるが、動詞の3人称複数形(いわゆる"不定人称")、不定形、1人称単数形、1人称複数形、3人称単数形、2人称単数命令形によっても表現される。諺表現に用いられる単肢文における動詞の人称定形ならびに不定形は随意に交替し得る場合がある。第2章でほそれらの動詞形態の自由変異の意味を、2人称単数現在形と3人称複数現在形の両者の普遍性表現の意味構造の差異を中心に、考察し、人称の普遍化のタイプを論述する。


 第3章 並立複合文による俚諺表現 ロシア語の俚諺は、文の構造面から観れば、その約半数が複文によって表現されている。

 並立複合文(сложносочиненные предложения)は等位接続詞(並立接続詞)によって二項の(あるいはそれ以上の)節が文法的に連結される構造をもつ。俚諺表現において用いられる並立複合文は、大抵の場合、二項の節から成り、<対比>、<平行>、<対照>、<対立>、<原因―結果>、<条件―帰結>、<譲歩―結論>などさまざまな関係が等位接続詞 а、да、иを介して並立的に接続されることによって示される。等位接続詞а、да、иは二項の節の意味構造に微妙に関わり、二項の関係を標示する機能において張り合い関係に立っていることに注目し、それらの用法と文の構造的意味を逐一吟味・分析した。なお<反意>の接続詞ноは俚諺表現の並立複合文においてはほとんど用いられない。


 第4章 従属複合文による俚諺表現 従位接続詞や関係詞を用いた従属複合文は標準語においては理論的な表現として最もめりはりの利いた構文であるが、俚諺表現においては接続的従属(союзное подчинение)はむしろ微弱な統語現象であることに着目し、ことに従位接続詞чтоに民衆語特有の用法が見られることを指摘した。例、"Видима беда, что у старого жена молода"「夫が年寄で妻が若ければ、不幸は目に見えている」という文における接続詞чтоは<条件>の意味を表し、それが導く従属節を後置させる特殊な民衆語法である。標準語において比較を示す構文<Чем..., тем...>に代わって俚諺語法では、<Что...,то...>の構文が用いられる。"Что беднее, то щедрее"「貧しければ貧しいほど、それだけ気前がよいものだ」。"Только и ходу, что из ворот в воду"「門を出たら水の中に入る以外に道はない(人生は苦難の道)」という構文も俚諺に特有の固定的な構造であり、接続詞чтоは<限定>ないし<排他性>を表す。

 <仮定>や<条件>を表す接続詞は標準語ではеслиが普通であるが、俚諺表現においてはほとんど用いられず、колиが多用される。接続詞колиに導かれる従属節は前置される揚合と後置される場合とがあり、しかも後置される場合のほうがはるかに多い。次の例も俚諺語法の特徴の一つである。"Зеркало не виновато, коли рожа крива"「面(つら)がゆがんでいるのは鏡のせいではない」。すなわち後置された従節が主節の内容を説明する。

 その他、接続詞кабы, когда, как, чтобы, так / так иの俚諺表現における特殊用法とそれらの接続詞をもつ従属複合文の意味構造について論述した。


 第5章 接続詞欠如複含丈による俚諺表現

(a) "Поспешишь ― людей насмешишь."
(b) "Поспешит, да людей насмешит."
(c) "Кто спешит ― людей смешит."

 この三つの文は「急ぐ者は笑い者になる("急がば回れ")」という同一の意味を表す諺であるが、(a)は接続詞欠如複合文、(b)は並立複合文、(c)は従属複合文である。

 俚諺表現となって現出する複合文には、俚諺特有のリズムに乗った語勢からして、接続詞に頼らない並立的な統語法であるparataxisが顕著であり、しかもその構成要素たる節どうしのあいだに独自の内的論理関係が見られる。そのような構文は文法的には"接続詞欠如複合文"(бессоюзное сложное предложение)とよばれる。俚諺表現における接続詞欠如複合文は二項の節から成り、―<制約―被制約>、<原因―結果>、<同時性>、<平行性>、<類似性>、<対照性>、<同意性>、<反意性>、<求心性>、<遠心性>―などの関係を接続詞という外的標示なしに"内顕的に"示す。それらの関係はI 従属(hypotaxis)とⅡ並立/並置(juxtaposition)の二つに大別される。

 接続詞欠如複合文による俚諺表現ほ、そのなかには上記の例のように、接続詞をもつ並立複合文ないし従属複合文によって言い換え得る同意表現をもっものもあるが、接続詞を必要としないが故のそれ独自の内的完結性をもつ。俚諺表現における接続詞欠如複合文の意味構造の考究は重要な課題であり、第5章においては接続詞欠如複合文に内在する従属および並立(並置)の"内顕的"形式を二項の節の意味上の緊張関係に基づいて分析した。


 第6章 修辞法と統語法 諺は完結した思考の表現を最も短い一つの文に託した稀有の言語形式である。しかも諺の表現形式は本質的に"当て擦り"であり、婉曲語法であり、比喩であるために、そこには修辞法と統語法とが不可分の状態で合体している。筆者がロシア語の諺の言語形式を独特なものと考え、敢えて「ロシア俚諺語法」と呼ぶ所以はそこにある。

 直喩は"比較"の一種であり、"XYのごとし"という肯定的直喩は、ロシア語ではふつう<X―что Y>の形式をもっ。<что Y>の部分は直喩表現であり、文法的には述部となり、形式的には名詞的述部(nominal predicate)が期待されるが、実際には、主部Xと述部что Yとのあいだにほ一定の平行関係はあるが、文法的な呼応関係は見られない。述部となる直喩表現は、名詞句(動詞の名詞的用法としての不定形を含む)の他に、人称文、無人称文、不定形述語文の形式を取り得ることを指摘した。また、直喩を用いた諺の文が一種の"謎かけ"表現となっていて、説明文を伴い、全体として接続詞欠如複合文を構成する場合(例"Горе, что годы: бороздки прокладывает"「悲哀は歳月のごとし、皺をつくる」)等につき論述した。否定的直喩の場合、文構造は<X не что Y>とはならずに、<X не Y>となり、直喩は隠喩に転成する。

 その他、隠喩、擬人法、換喩、提喩、作意的省略法、誇張法、緩叙法、漸層法、撞着語法、反復法、結句反復、同語畳用、接続詞畳用、交差配列、諷喩、反語法の修辞的表現の形式と統語法との関連について論考した。

 本研究は17世紀以降のロシアの主要な諺集に収録されている個々のロシア語俚諺の表現形式を比較・検討し、言語形態上の異同と同一性、浮動性と安定性の傾向に一定の特徴を見出し、それを法則化しようとした試論である。

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