コメント : 手紙より抜粋

桑子 敏雄



 ご高著『医療現場に望む哲学』をご恵送いただきありがとうございました。さっそく拝読しはじめましたが、文字どおり、現場に望んでのお仕事、大変刺激的です。これまでお会いしていたときに断片的にうかがっていたお仕事がこれだったのですね。

 はじめの方を拝読していて、哲学のなすべき仕事とは何か、という点について考えさせられました。 哲学は原理を指示するものではない、という御主張の主旨はよくわかるのですが、「医療の現場に共に具体的問題に主体的にぶつかっているわけではない者が、現場の専門家に向かって「これを根拠にして、具体的問題に適用せよ」などと言えないのは当然であった」とおっしゃり、また、「例えば、「相手を人格として扱い、ものとして扱ってはならない」と言っても、そんなことは現場の実践家には分かっている。それをあたかも分かっていないかのように看なして、得々と原理を語るとき、哲学・倫理学者は現場を白けさせる、役に立たない理論の宣伝家になり果ててしまうだろう」とおっしゃっていますが、ちょっと疑問に感じます。たとえばアリストテレスの行為分析の理論は、医療現場、あるいは何らかの具体的な現場に立ち会って得られた理論ではないように思われます。哲学が明らかにする原理は、現場に直接適用しようとすると、「現場を白けさせる」類のものなのではないでしようか。たとえば、わたしは「人格」という概念そのものの成立と内容に深い懐疑を抱いています。それはちようどニュートン力学の質点や剛体のようなものであり、古典力学に対して量子力学が示したのと同じような新しい原理を哲学は提示すべきであるのに、いまだそれができずに近代的、古典的な人間観に立脚することしかできていない、と思っているからです。しかしこんなことを現場で言ったら、それこそ白けるどころの話ではないと思います。

 いま哲学は現場や応用に急ぎすぎているという感じをわたしはもつていますが、そうすべきではない、ということではなくて、原理的指向と具体的な問題との適切な往復運動が必要ではないか、というのがわたしの考えです。とくに医療とかかわりすぎると哲学の根源性が見失われるのではないか、という気すらしてきます。最近「医療哲学」というタイトルをみましたが、わたしは哲学は一種の病気だと思っています。世の中が癒しにはしっているとき、適切に病気になることを説くことができるものこそ、哲学ではないかと思います。

 つまらないことをたくさん書きました。「書記」の概念、大変刺激的です。どう考えるべきか、大きな課題を与えていただきました。全部読みましたら、また意見を述べさせていただきます。


東京工業大学大学院社会理工学研究科価値システム専攻
価値論理講座 価値構造
桑子研究室・教授・桑子敏雄

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