『医療現場に臨む哲学』内容案内2


内容について基本的なことのお知らせとして、「はしがき」と「あとがき」の一部を載せておきます。


「はしがき」から

 哲学研究をする者は、通常は哲学というジャンルの文献を読み解きながら、そこで展開される問題について考えるといった作業を行っている。机に向かう仕事である。そういう途を辿って来た私が、医療を専門とする一群の人たちと出会い、ことばを交わすようになり、ついには医療の現場に臨みつつ対話を積み重ねるという仕方で哲学の専門家として発言するようなことにまでなった。------本書はそうした途上で紡ぎ出されたことばをまとめたものである。

 私はかねてから、書物を相手にしながら行う営みを基礎的な訓練とする哲学研究は、そうした基礎的な研究に自らを限定するのではなく、現実の諸問題にアプローチすること、諸問題の現場で哲学する途をも拓くべきだと考えていた。もちろん、哲学のテキストを読むという作業はそのテキストの著者と対話することであり、著者が問題にしていた事柄自体を、著者と共に自らも考えることでもある。そういう意味では、テキストに対峙する状況もまた哲学の現場ではあった。しかし、哲学的思索の結果であるテキストではなく、まさに人が生き、活動し、諸問題に対処しつつ、考えている現場に向かうこと、そして「ここで哲学することは成り立つか」、あるいは「ここで哲学するとはどういうことなのか」を明らかにすることが------少なくとも哲学が私たちが今ここに在ることを根本的に問う思索であるならば------必要だと考えていた。私の側にそうした希望があったことが、医療実践の専門家と出会った時に、そして対話が始まった時に、医療の現場で哲学する途を拓きつつ、当の現場に向かう備えとなったといえよう。

 本書において私は「医療現場に臨みつつ哲学する」ことを試みた。しかし、私が医療現場に臨むのは、医師や看護婦、あるいは患者やその家族が臨むようにではない。むしろ、私はそうした医療活動の当事者がその活動の現場で発し、語ることばに臨んだ。それは、当事者が把握する現場に当事者の傍らにあって臨み、当事者の視点を借りて私の視点とすることだった。それは、医療の現場に当事者と共に与ることであり、そこから、当事者と対話し共に考える営みとして、私の〈医療現場に臨む哲学〉が始まる。

[中略]

 これまでに私が臨んだ医療現場は、医療実践の専門家たちと共に臨む現場であった。そうした場面の設定からして、本書は医師や看護婦やメディカル・ソーシャル・ワーカーが患者に向かう際の視点に立って書かれている。そうした視点に立って現場を把握することは、医療実践の専門家にとっては当然のことながら、医療について考えようとする者すべてにとっても少なくとも一旦はすべきことであろう。したがって本書は、医療の専門家ばかりでなく、医療について考えようとしているより広い範囲の方たちを、読者として想定している。

[中略]

本書が医療実践の専門家にとっても、また医療に関心を持つ一般の読者の方々にとっても、問題を整理し吟味する際に、見通しを立てるための叩き台の一つとなることさえできれば幸いだ、と思っている。



「あとがき」から

 私の専門は哲学の内でも、中世哲学------ことに言語と論理の哲学------というジャンルである。浮世離れした学問と思われる哲学のうちでも、最も現実から遠いように思われる分野かもしれない。なぜそのような分野を選んだかはさておき、そうしたいわば純粋な学問に取り組んでいるはずの私が、医療現場に臨んで哲学する営みに、どうして足を踏み入れることになったかについて述べておこう。

 それは妻の足かけ二十四年になる病気との付き合いからはじまった。彼女は東京都の公立幼稚園教諭(主任)として働いていた一九七四年春に、突然声が嗄れるという自覚症状が出、検査をしたのだが、その時は原因が特定されず、翌年の夏になってはじめて甲状腺に問題があることが分かり、検査の結果甲状腺癌(乳頭腺タイプ)ということで最初の手術を受けた(甲状腺亜全摘および周囲のリンパ節郭清)。手術の際の考え方が、郭清を広範囲に行うとその後の日常生活が苦しくなるが、この種の癌は割に性質がおとなしいので、あまり徹底的な郭清はしないでおいて、また転移が出て来たらその都度とればいいだろう、というものであった。これは今から思えば、術後のQOLの保持を視野にいれる考え方であり、仕事を続けたいという本人の希望にも沿うものだった。結果からいえば、その後一年ないし二年おきに転移が見つかり、手術を繰り返すことになり、結局癌組織を切除する手術は合計七回、加えて術後の感染症に起因する手術を二回し、一時は生命が危ういと感じる不安な日々を過ごしたこともあった。最後の手術は八六年暮であり、その後八八年秋に放射線ヨードにより残存の癌組織を叩いて以来は転移は現れていない。とはいえ、手術を重ねるごとに郭清により身体の一部を取り去るわけであるから、後遺症は重くなり、かつ人工的に甲状腺ホルモン等を補うことの不自然さが体調に影響して、QOLをどのように保持できるか、は今後一生続く問題であり続けるであろう。

 この間一九八〇年夏に、北海道大学に勤めることになった私が札幌に移住した際には、彼女は東京に残って仕事を続けていたが、八六年春に体力の低下に因り退職し、札幌の私に合流することになった。その際に、知り合いから「ホスピスみたいなこともやっている病院だけれど、普通の患者さんも見るので」という、変な注釈つきで紹介されたのが東札幌病院であり、石谷邦彦院長だったのである。行ってみると特に変わったようには見えない病院であったが、ただ癌といった病因に集中して注目する傾向が強いなかで、同先生は日々の生活における不都合(QOLの問題)を訴える彼女の声によく耳を傾けて、対応を考えていただける、という印象であった。石垣靖子看護部長に柔らかく抱き込むように迎えられたのもこの時だった。転院の際の検査で、またもや相当広範囲の転移が見つかり、当時は同病院には外科がなかったので大学病院で手術等を受けることになったが、病状について気軽に% 相談でき、日々の不都合の訴えにも対応していただけるので、東札幌病院にもお世話になり続けた。九三年春に私が東北大学に配置換えになって、仙台に移住してからも、札幌を訪れる機会には同病院に顔を出す関係が続いている。

 このような次第で、私は患者の家族として、単に疾患の原因に対処する医学的対応だけでは済まない、患者の日常生活の問題に接して来た、いや、巻き込まれてきた。その際に、かつて私たちが接した医療スタッフは幸いなことに誠実で熱心な専門家であって信頼できるのだが、ともすると「病気が患者の生活に、人生に、影響を及ぼす、そのところでの対応にはあまり熱心ではないなあ」と感じることもあった。また、彼女の最後の手術の時には結局四か月入院し、最悪の時期には私も泊まり込みで付き添いつつ、研究室との間を往復する日々をしばらく送ったが、その時に、医師や看護婦の昼夜を問わない活動を身近に感じながら、こう考えもした------「患者の家族は、普通は治してもらう側だと思っているが、本当は治す側と治される側とがあるのではなく、家族もまた医療チームの一員として病気に立ち向かっているのだ。」 そう思いつつ、ふと患者を見ると、体中あちこちからチューブが装置につながり、ひたすら耐えている彼女もまた、自分を治してもらう側だとは思っていないらしいことに気付いたのである------「彼女もまた医療チームの一員なのだ。」 後に「QOL」と「共同行為」という用語で表現されるようになった医療理解の、私の中での萌芽は、今から思うと患者の家族としての私のこうした経験にあるようだ。

 さて、そうこうする内に石谷先生からだったか、石垣さんからだったか、「哲学の立場から何か話してみて」と言われて、東札幌病院の倫理セミナーで話す機会ができ、医療について考えていたことを提示したところ------手許にある当日の配布資料によれば、一九八八年十一月二九日のことである------波長があったらしく、何回か続きを話すことになり、その内容を巡ってセミナーの席上およびその後の付き合いの場で、対話をするようになった。そして、石谷院長から次々と課題を提示されて次の会で応えるということをしている内に、いつのまにか毎月定期的に倫理セミナーの講師をすることになっていた。これは私が英国に滞在した間(九〇年秋から翌年初夏まで)を除くとずうっと続いており、仙台に移ってからも現在にいたるまで二ヶ月に一回程度は出向いている(最近では同病院倫理委員会の委員としての活動も加わっている)。加えて、同病院のスタッフが関係する学会、研究会、講演会などからも声がかかるようになった。主なものを挙げれば、冬期札幌がんセミナー(九〇年二月)、ハワイで開催された国際研究集会(九三年六月)、そして日本緩和医療学会の設立(九六年七月)にも参加させていただいた。そのような機会を通して私は、右は宗教的背景のあるホスピス病棟のスタッフから、左は各地のがんセンターで積極的な治療に邁進する癌専門医までを含む、広い範囲の医療の世界に触れるようになり、そうした場で哲学の果たし得る役割を考えるようにもなった。さらに最近では、仙台近辺で終末期の在宅医療に取り組む医療スタッフとの対話のきっかけもできたというように、この領域における私の視野は少しずつ広がってきたのである。

 以上のような経過からして、本書に収められた議論の多くは、すでにいろいろな形で発表されている。個々の研究会・学会の資料や抄録は除外して、これまでに発表されたものを次に挙げておく。本書をある程度の大きさの絵画作品に譬えれば、これらは作品に先立つデッサンにあたるものであって、これらを材料にしてさらに改訂を加え、まとめあげる作業を経て、本書が成立したのである。

[以下 略]


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最新更新日 : july/2/1997