小値賀
宇久町飯良地区の西蓮寺に「肥前州小値賀島」と見える応永6年の鰐口あり。
六島の観音堂に「肥前州小値賀島長寿寺薬師如来 応永6稔7月8日 源長敬白」の銘文がある鰐口あり。
- (ともに『大日本史料』7−4)
臨済宗長寿寺(木場)は、14世紀末に平戸松浦氏の源勝の建立と伝えられる。春日版本法華経をはじめ室町期の記録・文書あり。<角川・小値賀>
野崎島。
- 北方山頂に神島神社(沖の神島)あり。社宝として八葉形胡州鏡・元代の黒褐 釉壷・青磁大皿などや古文書を所蔵。日本武尊の子(仲哀の弟)鴨一速王等を祀る。小値賀島前方の地の神島神社と沖津宮・辺津宮の関係にある。別当寺として真言宗万福寺(志々岐山円満寺末寺)が山麓海岸にあったが、天保7年前方郷鳥山に遷されたといわれる(明治4年廃寺)。祭礼は10月9日(旧9月9日)。
- *『三代実録』876年(貞観18)6月18日
- 肥前国の神階をアップ。田島神(従4位下→従4位上)/志々岐神(従5位上→正5位下)/神島神・鳴島神・銀山神(正6位上→従5位下)。
弥生〜中世の野崎海岸遺跡あり。観音堂付近のダントウ山には南北朝〜室町期の宝篋印塔などが群集する。<角川・野島・町村>
前方郷
- 地の神島神社付近は弥生〜中世の大規模な複合遺跡あり。万福寺跡に南北朝期の宝篋印塔・五輪塔あり。 臨済宗西林寺(シャラジ)跡にも南北朝以降の宝篋印塔・板碑など有り。
- 付近からは11世紀後半〜16世紀の貿易陶磁器が多く出土。
- 土豪末裔の田川家に伝朝鮮出兵時の太刀あり。 前方の海(前方湾)から、中世外洋船碇石が上がる。<角川・町村>
臨済宗長寿寺(木場)は、14世紀末に平戸松浦氏の源勝の建立と伝えられる。春日版 本法華経をはじめ室町期の記録・文書あり。<角川・小値賀>
経崎山に源定の墓と伝えられる板碑群あり。<歴史散歩>
柳郷
- 善福寺に百万遍念仏供養碑(1571=元亀2年)、大般若経(渡来経の伝承) 中世の碇石2本、南北朝期の宝篋印塔あり。土豪末裔の近藤家に伝朝鮮出兵時の具足あり。
中村郷
膳所城跡
- 教育委員会のS61年度確認調査で14世紀の土器が出土。源定の城と伝えられる。空堀・土塁の跡あり。 牛の塔。鎌倉末期まで東西2島に別れていた小値賀島を、源定が埋め立てて新田となす工事をしたという伝承あり。その時使役した牛のため1334年(建武元年)供養塔を建立、その下に法華経を記した一字一石経を埋めたという。
納島
- 平家落人伝承あり。島北のハダカ瀬から、古代〜中世の碇石2本が発見される。
六島
- 観音堂に「肥前州小値賀島長寿寺薬師如来 応永6稔7月8日 源長敬白」の銘文がある鰐口あり。また碇石あり。高麗瀬伝承。古い協同体のあり方を残す村内規約あり。
小値賀瀬戸と海士船<『策彦和尚初度集』1541年(天文10)7月帰朝途中>
- 2日、南満(奈摩)を出帆。舟行7里で「落瀬戸」(小値賀瀬戸)。海士船数隻来て桃実と麦酒を献じる。7里で「鹿本渡」、さらに3里で「息尽(生月)瀬戸」。暗くなったのでこの瀬戸には入らず息尽(生月)大島の外面に泊まる。
[藤田明良]
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