842年(承和9)5月5日太宰府博多津をでた恵運の乗船、奈留浦着岸後、船主(大唐商客李処人)等、破棄す。島内の楠木で新船を建造し、3ヵ月後に出帆、6日間で温州に着く。
847年(承和14)6月21日、明州望海鎮を出航した恵運の乗船(張支信・元静等の船)、三日間で奈留浦に帰着。
853年(仁寿3)7月15日に、博多をたった円珍の乗った王超(大唐商客=日本、新羅商人=唐、欽良暉の仲間か)の船、値嘉島に到り鳴浦に停泊。8月9日出帆し、琉球国(台湾)を経て6日後に福州に着く。(帰国の船は三井楽経由)<「行歴抄」(小野勝年『入唐求法行歴の研究』)>
861年(貞観3)真如親王ら松浦郡の柏島に移り、10月7日に唐通事張支信に命じて船1隻を造らせる。翌年5月に完成した船で、いったん太宰府鴻臚館に戻り、7月中旬に出発。遠値嘉島に赴き、そこから出帆し、9月7日に明州揚扇山に着く。<「頭陀親王入唐略記」(入唐五家伝)>
876年(貞観18)6月18日、肥前国の神階をアップ。田島神(従4位下→従4位上)、志々岐神(従5位上→正5位下)、神島神・鳴島神・銀山神(正6位上→従5位下)。<『三代実録』>
1298年、奈留兵衛次郎入道道仏 <青方文書>
1305年(嘉元3)5月6日あった峰貞の所領(青方住人宗次郎住家・塩屋等)の焼討事件に、犯人青方高家の一味に「奈留平四郎」の名が見える。 <青方文書1-106>
1318年(文保2)奈留兵衛次郎入道跡に対し、「五島知行分」の一国平均造営用途(肥前国一宮河上社)の負担が命じられる。
1320年(元応2)、青方高継・高光兄弟の相論で、高継が長弁(法名法明)状を証拠として提出したのに対し、高光が長弁・法明は別人で、前者の子孫は宇久島に多く、後者の子孫は奈留・大値賀上下村・玉浦に多いと反論。<青方文書1-179>
1383年(永徳3)、宿浦の所領相論の裁きに、宇久殿(覚)等と共に「奈留殿」が参加。<青方文書2-339>
1422年(応永29)、祝言島、折島をめぐる平戸松浦氏と青方氏の相論の裁定した 寄合のメンバーに「奈留代 道授」が見える。<青方文書2-397>
1452年(享徳1)遣明船 博多(8月18日発)−志賀島(8月23日発)−平戸(硫黄を積んだ薩摩船と合流。9月5日発)−小豆(的山)大島(53年3月19日発 )−五島奈留浦(同日着〜3月30日発)−定海(4月10日着)<「笑雲和尚入明記(允澎入唐記)」>
1467〜8年(応仁1〜2)発の遣明船。66年の出発に際し、呼子で遭難し船は大小破。使節は的山大島・五島などに滞在。<「戊子入明記」>
(的山)大島=人参・シテン・白木アリ 五島田浦内千坂=大竹(太さ1尺5〜6寸)アリ 奈留海安寺門前=床木(太さ(廿)一丈2尺)アリ 五島大近奥之山=梶木・梠木(大小分数多)アリ 硫黄事 赤間関道場 門司大通寺 筥崎 志賀 野古 一万斤在之 平戸 五島奈留海安寺 三千斤
1485年(文明17)12月24日、帰国した遣明船から「無事帰朝し肥前奈留浦に停泊中」との知らせあり。<『蔭涼軒日録』>
1538年(天文7)7月1日、遣明副使になった策彦、準備のため五島にいき、6月26日に奈留より帰還、この日博多に着く。
1547年(天文16)4月11日、川内浦を発した遣明船、五島に着く。15日奈留大明神において御法楽の能、5番(鶴亀・野々宮・西行桜・蘆かり・せいおう母)あり。後日、奈留御見物。但し日和なくし、はやし事すもう事を催すように命じられる。5月4日奈留を出帆。13日台州着。<「大明譜」>
「青方氏系譜」(『青方文書』2)
続(青方備後):実宇久次郎三郎覚君之第三子、室五島大和守盛定君之長女、 来住于奈留島、卒年不詳、法謚海安寺殿(覚信源本居士=朱書) 墳塋在其地。 盛信(奈留某):為奈留氏養子、住奈留島、 (続の長男) 仕五藤家、盛定君賜偏諱、後有逆心、発覚故亡命而不知其終。
*『五島編年史』1447年(文安4)、宇久大和守基、荒廃していた奈留神社の社殿を再興。(奈留神社の神主は明治に至まで代々夏井氏)1550年(天文19)、宇久大和守純定の家臣奈留長門盛信、叛いて平戸に逃走。(これにより奈留氏は御三家を除かれ、代わりに木場氏が入る。) <五島近古年代記、公譜別録拾遺>
1557年(弘治3)、宇久大和守純定、奈留神社の社殿を現在地に遷す。(奈留神鼻、口ノ夏井は鳴神の旧跡。)<五島通史>
『図書編』日本国序(1577年成立)
*『角川・地名大辞典』奈留町・奈留・奈留島
・浦郷:奈留神社(木花咲姫命)は、浦向の鎮守で、遣唐使の祈願社 天神社(道真)は浦の鎮守、海安寺(廃寺)跡あり、遣唐使使用の井戸 奈留氏の居宅跡、室町期の石塔、権現山麓に奈留氏の墓 権現山自然林は、魚付林のため切らず ・大串郷:夏井に遣唐使井戸、大串に石塔(鎌倉期) ・泊郷:大林の遣唐使井戸、大林の大木は船修理に使用、紫水晶採掘跡、近世の台場跡 ・船廻郷:水晶山
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