福江島(福江市・岐宿町・三井楽町・玉の浦町・富江町)

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五島
福江島・久賀島・奈留島・若松島・中通島の5島か。小値賀島・宇久島は入らず?
福江島=大値賀島?(中世)
*1320年(元応2)、青方高継・高光兄弟の相論で、高継が長弁(法名法明)状を証拠として提出したのに対し、高光が長弁・法明は別人で、前者の子孫は宇久島に多く、後者の子孫は奈留・大値賀上下村・玉浦に多いと反論。<青方文書1-179>
「五島大近奥之山、梶木・梠木(大小分数多)アリ」 <「戊子入明記」>
 

≪福江市内≫

【五島観光博物館】
【石田城跡】
伝承では1383(永徳3)年宇久氏8代覚が宇久島から福江島岐宿に。さらに9代勝 が1388(嘉慶2)年、福江の辰の口城へ移る。しかし実際の宇久氏の福江島入部は 1557(弘治3)年ころで築城もそれ以降。1592年(文禄1)朝鮮出兵に参陣の 際、宇久から五島に改姓。1630(寛永)年間、「福江直り」(家臣の城下集中)。 石田に陣家を築く。幕末(嘉永年間)に築城開始。
*『海東諸国記』1455(乙亥)年、五島宇久守源勝が遣使来朝、図書を受け毎年12船派遣を許す。「宇久島に居し五島を総治す。麾下に兵有り。」
【江川城跡】
1526(大永6)年、盛定の築城と伝える。石田城の前の居城
【唐人町】(旧江川の川筋付近)
六角井
明人堂
海の守護神。1999年に新装。
【大円寺】
1403年(応永10)、宇久勝が勝月庵を建立。盛定の代に菩提寺に。勝から35代盛輝までの墓あり。
【明星院】(宝珠山吉祥寺・真言宗)
804年(延暦24)、帰国途上の空海参篭の縁起あり。薬師如来像(飛鳥〜奈良)あり。阿弥陀如来像あり。
【堂崎天主堂】
明治41年築、現在資料館に。

≪久賀島≫

【田ノ浦】
渡航船の停泊地のひとつ。「田ノ浦内千坂に大竹あり」(戊子入明記)。
薬師堂に祀られる「きんならさん」は遣唐船が海中に落とした仏像という伝承あり。
蕨:地蔵堂脇に「高麗地蔵」(高麗島にあった)あり。福見の五輪教会は五島最古の教会。
 

≪岐宿町≫

【魚津ヶ崎公園】
【城岳山頂】(216M)
「岐」の字を刻んだ石塁。(600年前の根小屋式山城)
【金福寺】(曹洞宗)
伝源覚墓あり。(伝1388=嘉慶2死去)
左右2塔。一部が14世紀後半〜15世紀前半の関西形式(花崗岩)
 

≪三井楽町≫

*遣唐使船の停泊地(川内浦)の候補地 遣唐使ふるさと館、万葉公園などの施設あり
【柏】(柏崎)
「美弥良久埼」の故地 弘法大師渡唐の碑 「ふぜん川」という井戸
*『蜻蛉日記』上(母の死の10日ほど後)
「このなくなりぬる人の、あらはに見ゆるところなむある。さて近くよれば消え失せぬ なり、遠くうては見ゆるなり」「いづれの国とかや」「みみらくの島となん云うなる」 など、(僧たちが)口々かたるを聞くに、いと知らまほしう悲しうおぼえて、かくぞい はるるありとだに よそにても見む 名にし負はば 吾にきかせよ みみらくの島と云うを、せうとなる人(兄=理能、後に肥前守)聞きて、それもなくなく、いづことか 音にのみ聞く みみらくの 島隠れにし ひとをたづねむ。
 

玉之浦町

*『海東諸国記』「丁亥年(1467)、五島玉浦守源朝臣茂(源勝管下微者)遣使。」
【大宝寺】(弥勒山:真言宗)
伝承によれば、701(大宝1)年、三論宗の道融(震旦)が来日途中、笹目の観音院を改め建立。806(大同1)年に帰国途上の空海が真言宗に改宗。→後「西の高野」と称す。
梵鐘=1375(応安8)年「大日本関西路利肥前州五島珠浦弥勒山大宝寺」で始まる銘文あり。
願主=播州多賀郡西林寺僧増信、鋳工=豊前小蔵(倉)の藤原顕宗。
石塔:五重塔=通称「へそ神様」、1368(正平22)年銘、安山岩質凝灰岩。
五輪塔=2基(両者とも地以外は安山岩質凝灰岩。)
宝篋印塔=2基(両者とも基礎が安山岩質凝灰岩。)
【井持浦天主堂】
明治5年築のルルドあり。
【島山島】
宝塔(浅切湾奥)=1358(正平12)年銘。安山岩質凝灰岩。
 

≪富江町≫

*五島藩の支藩富江藩。近代は男女群島の珊瑚加工で賑わう。
【勘次ヶ城】(山崎海岸)
石塁(長さ80M、厚さ2M、高さ4M)。付近から陶磁器・中国銭が出土。また埋葬された数百体の人骨も。倭寇の城説あり。
[藤田明良]

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