村井科研5班第2回研究会(2001/4/14)

日時:2001年4月14日(土)14:00〜18:00
場所:東京大学史料編纂所大会議室
出席者:村井章介、荒野泰典、高橋公明、川越泰博、鶴田啓、橋本雄、ロナルド・トビ、ケネス・ロビンソン、杉本史子、浅見雅一、関周一、木村直也、原美和子、國原美佐子、榎本渉、須田牧子、深瀬公一郎、及川将基、田中葉子(以上19名)
報告
0)高橋公明「蓬左文庫所蔵古地図の概要」
1)川越泰博「明代中国の異国情報とスパイ」
2)鶴田 啓「通詞と訳官――小田幾五郎関係史料から――」
3)橋本 雄「書評:ブルース・バートン著『日本の「境界」』――前近代の国家・民族・文化――」(青木書店、2000年)

0) 高橋公明「蓬左文庫所蔵古地図の概要」
4月10日(火)、蓬左文庫を訪問し、「名古屋市蓬左文庫古文書古絵図 目録」にもとずいていくつかの古地図の閲覧をした。以下は、閲覧で きた地図の題目と私の寸評である。なお、番号のあるものは『尾張徳 川家の絵図』のなかの番号である。
「万国地図」(84)
東半球・西半球がそれぞれ円形で描かれた地図。 附録「万国地名考」に地図のなかの漢字表記の地名にカタカナで読み が付けられている。
「三国通覧図説附図」「朝鮮・琉球・蝦夷ならびにカラフト等の図」「朝鮮八道之図」
いずれも林子平関係のもの。
「大明九辺万国人跡路程全図」(78)
中国の世界図のなかでもマテオリッチ系の世界図以前の系譜の図で、日本で復刻されたが、何か情報を追加した形跡がない。貴重。
「清国十六省之図」(79)
中国製の地図をもとに日本人によって作成された地図。海上に2本の赤い線が引かれており、ひとつは九州から浙江省の定海に、他のひとつは大琉球から福建省の梅花所に引かれている。杭州五山などには赤点が付けられるなど、寺院について深い関 心が示されている。
「清朝中外輿地図」(80)
測量に基づいて作成された地図集。周辺地域についてもかなり正確な描写。「朝鮮」について、朝鮮国内の地図の影響を受けて、対馬島も版図の中に含まれている。
「諸国図」
日本図で、左上に「夷挟」、右下に「琉球国」、左端の上のほうに「朝鮮釜山海湊」(釜山海にはプサンカイとルビがある)。
「日本分間絵図」(75)
62枚からなる日本図で、比較的、島・航路・港についての記述が豊富。例えば、「能登国」では「七つ島」「ヘリラシマ」(舳倉島)が描かれ、「対馬」では朝鮮半島に「和館」「草梁頭」とあり、ここから航路が対馬の「佐積祭」に引かれている。また「肥前(西)」では、五島の南に「唐船船路」とある。全体的には、東北端が「カラト島」、西南端が「ヨナクニシマ」、南東端が「八丈島」周辺で、その南にある「小シマ」には「為朝明神鎮座」とある。その他、日本のなかの地域図を見たが、力量不足でコメントできず。
 
【補足説明】蓬左文庫の閲覧状況と宿舎について
閲覧室は2メートル四方の机が二つあり、10名以内の閲覧は可能。ただし、ほかの閲覧者がいた場合には配慮の必要あり。なお、独占的に使用可能な展示室があるが、出張予定日には展示があり、使用はできない。また、史料についての複写は可能。ただし、こちらで独自にはできず、蓬左指定の業者を通じておこなう。また、うわさのとおり、 12月で一般閲覧は休止され、2004年まで再開されない。
名古屋大学の比較的安い宿舎は、予約が困難。市内の便利なところで比較的安いビジネスホテルを予約する。
 
【追加事項】
(1) 名古屋大学の高木家文書のなかの河川図の閲覧希望があれば交渉 する。
(2) 名古屋では研究報告会も準備するという点を確認した。

1) 川越泰博「明代中国の異国情報とスパイ」
明代中国の北辺において間諜として専門的に活動したものは、「夜 不収」と呼称された。かれらの活動は、多岐に渡り、(1)敵陣の夜襲・ 焼き討ち・破壊等の破壊工作、(2)味方の救出・奪回等の謀略作、(3)情 報収集等の諜報活動、(4)情報の報告、命令の伝達、勝報等の情報伝達、 などに大別できる。「夜不収」は、衛所に所属し、衛所官・衛所軍か ら選抜された。かれらが具備せなければならない要件のひとつとして は、モンゴル語ができることであった。そのため、中国内地に居住し 衛所に所属するモンゴル人も、多く起用されている。それは、「夜不 収」として姓名のわかるものを拾い出していくことによって確認され る。かれらの収集した情報は、使い捨てではなく、実録に残されたも のもある。ただその数は必ずしも多くはないが、出先の軍事機関や軍 事責任者の上奏文、政府高官の上奏文に生かされ、それらによって知 ることもできる。そのようにして残された情報は、何も北辺の間諜だ けではなく、朝鮮との国境において活動した間諜、倭寇情報を集めた 間諜などに、すべてに当てはまるであろう。こうした情報を広く上奏 文や官文書から集め、それを分析すれば、一次史料として有益であり、 軍事史研究と情報史研究とが結びつき、豊穣な成果を期待しうるもの と思われる。
 
【質疑応答】
杉本:スパイの収集した情報が、一次・二次と編纂されていく過程で 具体的にはどのように加工されていくのか?
川越:スパイの報告そのものは、口頭で伝えるものであったので、第 二次史料ともいうべき出先の軍事機関や軍事責任者の上奏文、またそ こから情報をえた中央政府の高官たちの上奏文に残されているわけだ が、その際には上奏文作成の必要に応じて、あるいは自分の立場を正 当化するために、いわばつまみ食いされていると考えられる。そのよ うにこの段階でまず加工がなされ、そうした上奏文が実録に取り込ま れるときにはまずサイズの問題として、大幅に文章が縮められるとい う加工が明白になされている。そのような加工のために、もともとの 情報の面相が大きく変化していることは、スパイ情報のみならず、多 くの場合に見られる現象である。二次史料から三次史料への加工、取 り込み方に具体的事例としてモンゴル情報について検討したのが、拙 稿「『英宗実録』のモンゴル情報」(『明代異国情報の研究』汲古書院、 1999年)であるので、参照していただければ幸いである。

2) 鶴田 啓「通詞と訳官――小田幾五郎関係史料から――」
 ひとくちに「江戸時代の日朝関係」と言うが、そこには、対馬藩と 江戸幕府の関係、対馬藩内での江戸−対馬−釜山倭館の関係、朝鮮国 内における東莱府とソウルの朝廷との関係等々、さまざまな関係が含 まれている。そのような具体的な接触の局面ごとに、おさえていく必 要があるというのが、報告者の基本的な考えである。
 さて、江戸時代になると、対馬藩通詞と朝鮮の訳官とのやりとりを、 史料上、かなり具体的に知ることができるようになる。
 ここで紹介する「小田幾五郎(注)関係史料」は、対馬歴史民俗資 料館宗家文庫史料のなかに含まれる史料である。いわゆる文化易地聘 礼の交渉にあたった小田が、藩の上司に朝鮮との交渉の模様を報告す るために作成・提出したものと考えられる。ただし、現在見ることが できる史料がカバーするのは、長い交渉過程のうちのごく一部、幾つ かの「点」にすぎない。また、藩日記や公用書状と違って、記録作成 の専門家が書いたものではないから、一部に文意を取りにくい箇所も あるが、交渉の席での生々しい記述を含んでおり、通詞自身の手にな る記録として貴重な材料だと言うことができる。
 今、ひとつだけ例をあげれば、記録類III朝鮮関係A(1)11「寛政九丁 巳年正月日至十一月御用書物扣覚」には、次のようなやりとりがある。 (二月十九日)朴景和が倭館に入館して話したことには、「都の朴士 正より書状が届きまして、御用の様子はこのようでございます。」と、 書状を手に持ちながら必要なことがらを見せましたので、披見しまし たところ、前のほうには他の内用らしく二三か条有り、後のほうは特 別細かい字で認めてあり、朴士正の直筆で連絡がありましたことには、 「通信使のことを朝廷の方々へ申し上げましたところ、反応はまずは 良かったのですが、軽々しく朝廷での決定に至る模様ではありません。 朝廷での決定にさえ至れば、早速釜山へ罷り下る積りでございますの で、大通詞へこのことを申し入れて掛け合ってくださるよう、伝えて ください。細かい事情は書状なので省略します。ご覧になったら焼却 してください。」と書いてありました。二月七日の日付でございまし た。朴景和は、「この趣きを館守様へ申し上げてください。私も少し 安心いたしました。書状にある通り、まことに重大な御用なので、も し急いで取りかかって失敗しては取り返しがつきませんから、今は朴 士正に任せて置いて下さい。」と言いましたので、われわれから答え ましたことには、「御用の様子が宜しいという大意を承り、恐悦です。 館守様へ申し上げるように致しましょう。また幾五郎へお示しになっ た趣旨は承知しました。諸事ご由断は無いと思いますから、これと言 うべきことはありませんが、兼ねてのお約束よりも先に延びては済ま ないことですので、この事情はあなたから朴士正殿へ連絡され、『一 日も早く釜山へお下りになられるよう、ご尽力ください』と連絡して ください。あなた方もわれわれと同様のことで、一日も早く朴士正殿 が釜山に下るのをお待ちしています。」と言いましたところ、朴景和 は、「実にその通りのことでございます。右は私も同じ気持ちです。 二三日のうちに都へ人を上らせますので、私より詳しく連絡します。」 と言いました。
 文化通信使については、すでに田保橋潔氏のすぐれた実証研究「朝 鮮国通信使易地行聘考」(『近代日鮮関係の研究・下』朝鮮総督府中 枢院、1940年に所収)があり、日本(対馬)側史料では「信使記録」 「浄元院公実録」「本邦朝鮮往復書」、朝鮮側史料では「朝鮮王朝実 録」「日省録」などを使用して、複雑な交渉過程を明らかにされてい る。しかし、この「小田幾五郎関係史料」は、交渉の「場」そのもの を描いた記録として、その間の空白のいくつかを埋めることができる だろう。
 ところで、上記のような詳細な記述を目にしていると、史料の上に 記されていることを、そのまま事実として受け取っていいのか?とい う疑問も浮かぶようになる。たとえば、朝鮮→日本(対馬)方向の情 報の流れを考えたとき(逆方向の場合も同様だが)、朝鮮の訳官が国 内の状況をありのままに伝えていない可能性、対馬藩の通詞が訳官と のやりとりを藩の上司にそのまま伝えていない可能性が考えられる。 対馬藩にとっての朝鮮の中央政府や、朝鮮側(中央政府でも訳官でも) にとっての対馬藩上層部や江戸幕府など、直接「顔が見える」相手以 外の意向を確認する手段は、ほとんどないというのが当時の実情では なかったか?
 しかし、こうした「国家どうしが直接には交渉できない」構造は、 江戸時代の日朝関係の特徴であったと見ることもできよう。それがど のように運営されていたのかを具体的に考える材料としても、今回取 り上げた「小田幾五郎関係史料」は興味深い史料であると思う。
(注)小田幾五郎(1754−1831)は、元々宗氏の家臣だったという由 緒を称する商人「六十人」の出で、1767−1813の46年間にわたって対 馬藩の朝鮮通詞をつとめた。また、「象胥紀聞(しょうしょきぶん)」 (1794年成立)の著者としても知られる。(これらは、村田書店刊 『象胥紀聞』1979に載せる鈴木棠三の解題による。)
 
【質疑応答】
トビ:(1)通訳(通詞や訳官)が、意図的に、かつ全体として破綻の無 いように、相手の話の内容を正しく伝えないということは、困難では ないか?
(2)対馬藩が朴俊漢に融資したのは、スパイ行為を期待した と見ることはできないか?
 
木村:(1)情報提供を期待するなど、「スパイと対価」的部分はあると 思う。
(2)当時の通詞(訳官)の位置が、近現代の外交上の通訳とは違 うのではないか。前近代では、両方の権力が直接に交渉できず、中間 に通詞・訳官独自の世界があると思う。
 
荒野:木村氏が言うような、通詞どうしが持っている「人的境界」と でも呼べる独自の世界は興味深い。長崎のオランダ通詞などにも、同 じような世界がある。

3) 橋本 雄「書評:ブルース・バートン著『日本の「境界」』――前近代の国家・民族・文化――」(青木書店、2000年)
 本書は、大宰府論・古代対外関係史を専門とするブルース=バート ン(Batten, Bruce)氏が、その大宰府を特徴づける要素として最重 視した、(「日本」の)「境界」を本格的に論じた一種の"理論書"で ある。これまでに類書はなく、副題を見ても分かるように、対外関係 史研究のみならず、「日本」とは何かという大きな課題に応えようと した、文字通りの意欲作と言うことができる。内容は平易で、各章ご とに要約が付されているので、ここでのことさらな要約は省略する。
 ただし、本書の背景にある事情には注意しておきたい。すなわち、 1980年代以降、日本史分野で「境界」論が盛んになりながら、それら があくまで「実証的」研究であり、「「境界」の意味を問う」研究、 「政治学など社会科学の基本概念を取り入れた理論的研究」が不在で あったという事情である。著者は本研究において、"境界(領域)の 実相がどんなものであったか"という実証的empirical問題よりもむし ろ、"境界なるものがなぜ存在するに至ったのか"、という脱構築的 de-constructive問題を提起する。そのことは良くも悪しくも本書の 性格を決定するわけであり、ここではその点に重点を置いて「書評」 してみたいと思う(紙幅の都合上)。
 著者のバートン氏は、日本(語)の研究書のほか、むしろより多 くの欧米圏の研究を参照し、その「理論」を武器に「日本史」の読 み直しを図っている。そのなかでもっとも規定的な理論・概念は、 書評子の見るところ、
(1) Prescottを引いて述べた2つの境界概念、すなわち(a)frontier (面的な境界領域)と(b)boundary(1次元的な境界線)との(相 対的)区別、
(2) Chase-Dunn&Hallの示した「世界システム」と見なせるかどう かの4つの指標、(a)政治・軍事ネットワーク、(b)大量品ネットワ ーク、(c)威信品ネットワーク、(d)情報ネットワーク、
の2種類であると考えられる。とりわけ、本書全体に占めるヴォリ ュームから見ても、(2)のネットワーク論による分析(第3章に相当) が本研究の中核的位置を占め、前近代日本を中華世界のサブシス テムでなく、1つの「世界システム」と見なすべきだという著者の 結論を導くことになる。
 だが、ある境界がfrontierかboundaryかどうかとか、日本をサ ブシステムと見なすか1つのシステムと見なすかとかいった議論 は、実はそれ自体あまり意味をなさない。本書の妙味は「脱構築」 的作業による日本史論にあるのであって、メタレヴェルからわざ わざ下りて甲か乙か色分けするのでは、折角のそれまでの作業が 水泡に帰してしまうからだ。むしろ、さらにメタレヴェルを引き 上げて、frontier/boundary概念自体の「脱構築」、ネットワー ク論自体の「脱構築」へと突き進むべきだったのではないか。
 なお、(2)のネットワーク論(第3章)については、個々の歴史事 象の分節化(各ネットワークへの振り分け)が妥当かどうかはか なりの議論を喚ぶだろう。また、ここではとくに時代・地域をま たぐ2次史料=研究文献が参照されているが、それが2次史料であ ることの危うさは指摘するまでもない(もちろん著者も先刻承知 の点だ)。例えば、1482年、朝鮮王朝に遣使した「夷千島王」を 安東氏と見る説や、11世紀以後に日本人商人が活躍しだしたとい う説などは、本書のなかで象徴的事例として挙げられているけれ ども、それ自体、事実として確定しているわけではない。今後の 指しながら、結論に急いたためにその作業がやや不徹底に終わっ てしまったと言うべきか。したがって、本研究の次なる展開を期 待するのは、書評子だけではあるまい。――いずれにせよ、硬直 した書評子には刺激的な書であったし、我々日本史学徒のbrain- stormingに資する、貴重な研究書であることだけは確かだ。多く の方が一読されるよう望む次第である。
 
【質疑応答】
杉本:フロンテイア・バウンダリーについては、本書に引用され た論者のみのオリジナルではなく、地理学のなかで蓄積があるは ず。私自身も、1984年に出した論文で、フロンテイア・バウンダ リーの概念を使って、国境=藩境について論じている。フロンテ イア的境界観とバウンダリー的境界観をないまぜにしていた幕府 の見方を地元が矛盾として指摘した。フロンテイアからバウンダ リーへと単線的に変換するというよりも、両者の並存を矛盾と理 解し、どちらかを正当と考えるかという問題であろう。
 
杉本:最近でてきたDNA研究への目配りがなされてないのでは? (DNAの問題は、経験的知覚とは切り離されたレベルの検討によ ってはじめて明らかになるという点で、従来の人種・民族研究と は異質。)中国・朝鮮とくらべて「日本人」のDNA上の固有性は 低いという見解がだされている。
橋本:DNA研究自体への言及はないが、第2章で形質人類学などに 触れた「人種race」の部分がこれに相当するだろう。

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