2001/3/16
福江港より午前8時発の船にて出港。船内にて話題提供の学習会。以下の通り。
伊川健二「『入明記』にみえる五島・北九州」
藤田明良「遣明船の遭難と五島・平戸の諸島」
橋本雄「建長・文永唐船令私考−『青方文書』に見える遭難渡唐船の位置付けをめぐって−」
途中、奈留に寄港しつつ、目的地若松港に、
9時45分到着。港には、若松町教育
委員会の近藤氏・荒木氏・新木氏たちが待っておられ、歩いて三分の同町役場で自己
紹介と挨拶。新木氏たちは、以前、李領氏の『倭寇と日麗関係史』の勉強会をされて
いた由、我々一行の中に李領氏がいたことで、お互いに盛り上がった。同町の車に乗
せていただき町内巡見に出発。
まず土井ノ浦の教会に向かう。岩崎神父・
下窄氏より説明があった。五島のキリシ
タンは、一七世紀の信者からの継続は確認できず、寛政期の大村藩外海からの移住が
契機となる。幕末以降は、カトリックに「戻」った人々と、戻らずに先祖以来の信仰
形態を守り続けた「隠れキリシタン」の人々の二様になるが、このうち若松町有福島
の「隠れキリシタン」の人々の信仰に関する資料も同教会横のキリシタン資料館に展
示されていた。この土井ノ浦カトリック教会自体は、一九一五年に建築にされたもの
とのこと。
さらに、その有福島を経由して、日島に向かう
(11時7分着)。同島曲(まがり)
遺跡の古墓群は、砂嘴上に五輪塔・宝筺印塔の中世墓石群を中心とした景観を持つ。
島の整備事業に伴い、この遺跡群も調査・整備がなされ報告書が出されているとのこ
と。藤田氏と新木氏により、大石一久氏の整理に基づく関西式石塔(若狭の安山岩使
用)と九州式石塔について、現物を前にして詳細かつ熱のこもった解説があった。さ
らに、日島島内釜崎において、周辺の島を見渡せる小高い岬上の宝筺印塔(正平二十
二年銘)を見学、船中での橋本報告にあった青方文書中の永仁六年樋島(日島)近海
での唐船積み荷流出記事の現場を一望のもとに確認した。さらに、近くの円通寺も訪
れた。12時25分ころ若松町役場に戻ったのち、会議室で弁当をいただきつつ、さ
らに情報交換をおこなった。
若松町役場を辞去したのが13時15分、
レンタカーにて、隣の中通島へ渡り、さ
らに上五島町へ入る。青方湾の今里にある今夜の民宿へ到着(13時45分)。荷物
を下ろした後、即、青方へ赴き、青方氏の屋形跡、その後背部の殿山を確認。次に青
方神社に赴いた(以上14時より14時半ころまで)。
この段階で、翌日の天候を考え、本日
のうちに中通島を可能な限り廻ることとし、
有川町の東北端にある、頭ヶ島教会へ赴く(14時52分着)。現在は道路や橋が整
備されているため、レンタカーでの訪問が可能であったが、以前ならば船路の方が便
利な位置。縄文遺跡が残るが、長く無人島であったとされる。幕末に中通島鯛ノ浦地
区よりのキリスト教信者の移住があり、ドミンゴ森松次郎らの布教活動の中心となる。
明治元年に迫害を受けるが、その後復興し、一九一七年に現在の教会天主堂が完成し
ている。明治十八年に近海で起こった海賊事件によって殉教した教会関係者の記念碑
が刻まれている。
さらに、有川町を南北に横断して、
鯛ノ浦港へ赴く(15時36分着)。深く切り
込んだリアス式海岸の湾奧で、波はほとんどない。湾の中央に三角島があり、神社が
見える。この島は、15日夕食後の話題提供で加藤氏より紹介のあった寛永十一年の
オランダ人による五島調査測量航海の中でも記述されているものであることを確認。
夕刻、宿に戻る前に、今里近くの御船様
遺跡を見学。そこから南方に三王山(三ヶ日)が見える。これは、今朝、若松に赴く途中海上
より北東に見えた特徴のある三角
形の山で、近くから報賽鏡等が発掘されているとのこと。
17時前、宿にもどった後、夕食までの間、五野井氏より「五島キリシタン史」についての報告がなされた。
[小宮木代良]
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