「相対的後進国」日本  近藤和彦
                                                               岩波書店インタネット哲学〈哲学アゴラ〉より

 「哲学アゴラ」における中村さんと姜さんのオンライン対談「文化」のなかで、わたしの『文明の表象 英国』[山川出版社、1998]が言及されておりました(第1回「オリエンタリズム」の第1通信、それぞれの後半)。
 姜さんは、福沢諭吉の洋学から戦後の歴史学・社会科学にいたる日本の知が、オクシデンタリズムの学であり同時にオリエンタリズムの学であったことを指摘している拙著の箇所を引用したうえで、日本近代史の地政的な二重性/あいまいさへと論理を進めておられる。中村さんはそれへの返信のなかで、むしろ「文明」と「表象」というキーワードに注目して下さっています。どちらも拙著をきちんと受けとめて下さったうえで、より大きなご自身の議論の補強として言及されているわけですから、著者の本音はじつはこうだったのだ、とかいった申し立てはあまり意味ないでしょう。
 こうしたオンライン対談という場があることじたい、わたしはごく最近まで知りませんでした。その間に対談はどんどん進展していますので、議論を前に引き戻すことはしたくありません。ただ、わたしは専門としている歴史学という場で一種のカルチュラル・スタディズをやってきたような気がしているものですから(たとえば『民のモラル』)、そして歴史学をやっている者として、ちょっと進行中の対談に寄与できるかなという感覚もありますので、一言だけ介入させて下さい。
 第3回「クレオール」と題された対談でも、橋川文三『日本浪曼派批判序説』にふれながら「『後進国民国家』日本の重要な諸問題」といった表現があります。問題はまさしくそこだと思うのですが、日本近代史の「重要な諸問題」を日本特殊性論(Sonderweg)や「未完の近代」という観点からとりあげるのでなく、むしろ19世紀後半〜20世紀前半の世界史における「相対的後進国」の経験のなかで相対化する観点がぜひ必要です。
 経済的軍事的に強烈で、政治的文化的にリベラルなイギリス・フランス・アメリカにたいする劣等複合/トラウマを運命的に帯びたドイツ・イタリア・ロシア・トルコ・インドなどの知識人たちもまた、西欧派=近代派とロマン派=民族派に別れてそれぞれ模索を続けました。しかし当人たちは強い国際的孤立感をもって手探りで準拠枠をもとめていた。こうした同時代的情況とつねに関連づけながら日本の近代派と浪曼派の対立を考え直したいものです。ヴェーバー、グラムシ、アタチュルク、ガンジー、丸山真男、それぞれ偉大な個性です。20世紀前半から70年代にかけてのマルクス主義者たちに勢いがあったのは、こうした「相対的後進国」において西欧派と浪曼派の対立を揚棄する構想を、しかも国際的連帯の確信をもって、唱えることができたからでした。
 わたしの場合は、藤瀬浩司さんやI・ウォーラステインによる「資本主義の世界システム」論から学びつつ、世界システムの中核にたいする対抗群(相対的後進国)の側迫、という構図によって、日本の経験を相対化したいと思いました。相対化することによって自由になれる、というのは、ナタリ・Z・デイヴィス[『20世紀の歴史家たち』3(刀水書房、1999)]の知恵でもあります。
 


哲学アゴラ「文化」第3回「クレオール」第5通信および第6通信での姜さんと私とのやりとりに、コメントをいただき、ありがとう存じました。早速ですが、私の発言に対する問い掛けに簡単にお答えします。私が橋川文三の『日本浪漫派批判序説』にふれて日本のことを「後進国民国家」と呼んだのは、決して「日本特殊性論」や「未完の近代」のような問題意識からではなく、一つには、「国民国家」という概念を、〈ナショナリズム〉と〈近代国家〉という両方の契機を否応なしに含んだものとして明確化して重視したかったからであり、もう一つには、その〈ナショナリズム〉が、丸山真男さん流の〈理性的ナショナリズム〉とともに、シュミットや橋川さん流の〈パトス性のつよいナショナリズム〉を孕んでいることを言いたかったからなのです。私は日本の問題を考える場合に、いつでも、世界の、とくに近代の思想史の動向を念頭に置いて考えており、また、日本の問題を他者の目から客体化してとらえることをやってきているので、はっきりいっていわゆる「日本特殊性論」や「未完の近代」的なとらえ方が入る余地がないのです。ただ、七十年代後半以降にわかに影響力を持つようになったウォーラスティンの「世界システム論」に対しては、どちらかといえば、あえて、少し距離をとって、その理論的な有効性を見守ってきた方なので、「世界システム論」に対する目配りが足りないというふうに受けとられたのかもしれません。舌足らずになりましたが、とりあえず、一言。

中村雄二郎


 近藤さんからアクセスしていただきありがとうごさいます。近藤さんの問題意識はわたしなりに掴んでいるつもりですし、中村先生とわたしと、近藤さんとの間にそれほど大きなミゾはないのではないかと思います。わたしのコメントは、ほぼ中村先生の言葉で言い尽くされていると思います。わたしもそれこそ例のウォルフレン流の「日本特殊論」やその裏返しとしての「未完の近代」という発想にはまったく否定的です。個人的には世界史的な同時代性のなかの重層的な歴史関係のなかで日本の近代を理解すべきだと思います。これらの点についてはまだ完成してはいませんが、丸山真男を論じるなかで日本浪漫派とハイデガーの『形而上学入門』との共時的な問題性などにも言及していますので、僭越ながらそれをご笑覧いただければ幸いです。 要するにそのなかでわたしが言いたいことのひとつは、丸山真男の最高傑作である『日本政治思想史研究』が書かれた1930年代から40年代のトポスとは、「近代化」とその超克としての「現代化」の二重性が鋭く問われた時代だったということであり、その限りで日本もまた世界史的な同時代性のなかにあったということです。したがって日本の「後進性」と言われるものもそのような共時的な空間のなかで問われなければならないと考えています。確かに丸山真男個人は「超学問的な動機」としては「近代の超克」への対抗として『日本政治思想史研究』を書いたのかもしれませんが、「近代化」と「現代化」の二重性という点からみれば、「近代の超克」との関係はもっとねじれていると思います。
 さらに近藤さんも多分そう思われるのではないかと推測しますが、丸山の場合、基本的にはそうした二重性を、植民地帝国のなかの二重性として深めることができなかったように思います。その点で一国史的な国民国家の歴史像では捉えきれない問題が戦時期に劇的な形で浮上していたわけであり、ウオーラステイン的な世界システム論を背景に問題を解きほぐすことはひとつの有効な方法だと思います。

姜尚中