2005. 6. 27 更新

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西洋世界の歴史山川出版社1999年9月
413 + 25 pp. 3200円
2005年7月に第5刷です。

 

序                                                              近藤 和彦

 

  西洋世界は時代とともに中心を移し、地域をひろげ、性格も変化させてきた。近現代にはグローバルな普遍性を主張し、他の世界からは憧憬とともに不審や批判の的にもなってきた。そうした西洋世界の歴史を、古代から二〇世紀の終わりまで、現在の研究水準をふまえて四〇〇ページあまりのコンパクトな一巻に著したい。こうした本書のねらいは、各分野の第一人者の協力により、オーソドクスで高品位な通史としてここに実現したと自負している。限りある枚数のなかに、無難だが退屈な「教科書体」ではなく、意欲的でシャープな叙述を心がけた。この間の研究の進展によって変貌し、また鮮明になってきた西洋文明史像をしめすことが第一の課題であるが、それを通じて歴史学のおもしろさを読者に伝えることができれば、と希望している。

  「西洋」といっても、これがどの地域をさすのか、またいかなる概念なのか、じつは曖昧である。『日本国語大辞典』第一一巻(小学館、一九七四)は、西洋を「日本や中国などから欧米の国々をさす総称。ヨーロッパおよびアメリカ。泰西」と説明したうえで用例を列挙している。地理学の定義によれば、ヨーロッパとはユーラシア大陸のウラル山脈・コーカサス山脈より西方のヨーロッパ半島と付近の島々をさす。アメリカとは、西半球の南北に連なる両大陸をさす語であるが、かつては一五世紀末に「インド」をめざして大西洋を渡ったヨーロッパ人の「発見」した「西インド」「新世界」であり、また近世・近代に副次的な文明として再形成された「第二のヨーロッパ」であった。そこから発達したアメリカ合衆国がやがてグローバルな意味をもつ現代文明として展開することは、本書の後半で述べる。(なお、古代アメリカ、アフリカなどは本論に関係するかぎりで触れるが、固有には扱わない。軽視するのではなく、それら固有の問題を尊重したいからである。今日の世界史、文化研究、環境学といった観点からとらえなおすと、地球上のさまざまな文化/文明のありかたのなかで、西洋が相対化されることは、あらためて言うまでもない。)

  西洋という語の用法は、歴史的に一定していない。西洋ないし欧米といっても、地理的なヨーロッパ・アメリカの全部というより、むしろ一九世紀後半〜二〇世紀前半の「列強」が想定されていたり、西洋人といった場合に、欧米の国民であっても黒人やモンゴロイドは含まなかったりした。さらには「西欧」という語もあり、これはただ西ヨーロッパを短縮しただけの場合もあるが、より特定して北西ヨーロッパにおける政治経済の中心となった地域をさすこともある。

  英語のもっとも包括的な辞典、『オクスフォード英語辞典』(OED)は、ウェスト(west)という語が、西の方角/地方といった一般の用法より特定して「西洋」に近い意味で用いられる場合を、次のように分類して挙げている。1) 「アジアと区別されたヨーロッパ」、2) 「ローマ帝国の東西分裂後の西半分」、3) とくにキリスト教における「カトリック=ラテン教会」、4) 「西ヨーロッパ」、そして、5) 二〇世紀国際政治における「共産主義陣営=東側に対抗した欧米陣営」である。1) の場合、「ウェストでは我々コーカシア人[白人]が‥‥」という一八六四年の用例も挙がっている。また日の沈む所というラテン語に由来するオクシデント(Occident)も「西洋」と訳すことができる。もともとは日の上る所、オリエント(Orient)の対になる語であり、その形容詞とともに、ウェストの 1)〜4) とほとんど同じ意味の雅語として使われてきた。このように西洋とは、その語の使われる時代と文脈に応じて伸縮自在の概念であった。

  西洋すなわち文明国と言い換えられることもあった。文明(civilization)とは、もともと都市や市民にあたるラテン語から派生した近世の用語であるが、野蛮や原始社会と対照され、開明的で洗練された社会のありかたを示す、それじたい発達や普遍性を含意する概念である。これが西洋社会のありかたと同一視され、とりわけ日本人にとっては特別の重みをもったのである。福沢諭吉はその『文明論之概略』(一八七五年)で、文明、半開、野蛮に分けてこう論じている。

  ‥‥今世界の文明を論ずるに、
欧羅巴諸国ならびに亜米利加の合衆国を以て最上の文明国となし、

土耳古、支那、日本等、亜細亜の諸国を以て半開の国と称し、
阿非利加および墺太利亜等を目して野蛮の国と云ひ、
この名称をもって世界の通論となし、
西洋諸国の人民ひとり自から文明を誇るのみならず‥‥。

やや事物の理を知る者は、その理を知ることいよいよ深きに従ひ、
いよいよ自国の有様を‥‥明かにするに従ひ、
いよいよ西洋諸国の及ぶべからざるを悟り、これを 患ひ、

これを悲しみ、或いは彼に学びて[西洋に留学して]これに倣はんとし、
或いは自から勉めてこれに対立せんとし、
亜細亜諸国において識者終身の憂は ただこの一事にあるが如し。
(岩波文庫版、二四ページ)

  その西洋=文明の歴史、すなわち「西洋史」が日本史や東洋史とならんで独立の学科目をなすというのは、近代日本の大学の独特の成りたちに由来する。元来、一八八七年二月にドイツ人L・リースが帝国大学(東京大学の前身)の「お雇い外人教師」として着任し、同九月に史学科が創設されたときには、アカデミズムの手本としてドイツの歴史学が講じられた。翌年に日本史のための「編年史編纂掛」、八九年六月に国史科が設置されるよりも前のことである。一九〇四年の改組によって史学科のなかに国史、支那史、西洋史の三つが含まれることになったが、この構成は、考古学、美術史などいくつかの講座が加わり、名称は改められながらも、歴史の古い多くの大学で継承されているであろう。福沢のような問題意識が国民的に継承されているかぎり、西洋=文明の研究が大学で特権的な位置を占めることには理由があった。

  その日本は一九六四年、東京オリンピックの年にOECDの加盟を認められて「先進国」に仲間入りし、現代資本主義のさまざまな問題をかかえながらも、今日、GDP第二位国としてのプレゼンスを維持している。文明が西洋とイコールで結ばれ、西洋が自明のモデルであったり、また人類の究極の目標だったり、ということはなくなった。幕末・明治から昭和にいたる時代の日本人が西洋という先達にむけたまなざしには熱いものがあった。今のわたしたちの眼はもうすこし落ち着いて、未来を模索する友邦としての相互的なものだろう。かくして、人類のゆくえにかかわる国際政治/世界経済/地球環境といった難問について、いま日本とともに主要な役割をはたそうとしている先進的な地域の歴史を、各国史を束ねるのでなく、大きくまとめてふりかえることが本書の課題である。そのさいに、ナショナルな枠組を無視するのではないが、西洋世界としての連関に注目したい。

                     ◇                    ◇                   ◇

 こうしたテーマでは、すでに類書が少なくない。たとえば、構成はずいぶん違うが、福沢諭吉『西洋事情』(一八六七年)は日本におけるもっとも早い例とみなすことができる。これは海賊版も含めると二〇万部以上も売れたという。人口が四〇〇〇万に満たない幕末・明治初年のことである。福沢の序文は次のように雄弁である。

  ‥‥独り洋外の文学技芸[学問と技術]を講窮するのみにて、
その各国の政治風俗如何を詳かにせざれば、
たとひその学芸を得たりとも、

その経国の本にかへらざるを以て、たゞに実用に益なきのみならず、
かへって害を招んもまた計るべからず。
そもそも各国の政治風俗を観るには、

その歴史を読むに若くものなし。
しかれども世人、‥‥その速成を欲するがために、
或は之を読むもの はなはだ稀なり。

〈中略〉

  最近数十年間にかぎって、大学で用いられた教科書のうち、よく知られている通史のいくつかを初版の刊行年をそえて示すなら、
        秀村欣二(編)『西洋史概説』(東京大学出版会、一九五八)、
        コンパクトな堀米庸三(編)『現代歴史学入門』(有斐閣、一九六五)、
        井上幸治(編)『西洋史入門』(有斐閣、一九六六)、そして
        二巻本『西洋の歴史』(ミネルヴァ書房、一九八七/八八)
などがあった。これらは、それぞれの時点における研究水準をふまえ、歴史学と世界の情勢を執筆者たちがどう見ていたかをよく反映した出版であった。したがって、それぞれ史学史的な意義をもち、古典的な概説書ともいえる。

  じつはこれらの先行書でも、ヨーロッパの中心移動と地域的な拡大、外部との交渉、それにともなう性格の変化については言及されていた。だが、この中心移動と拡大、交渉、性格変化は、ともするとヨーロッパ内発的な要因の発達として考えられがちだった。たとえば秀村『西洋史概説』では、「内部必然性」や「ヨーロッパの主体的自己展開」が繰り返されていた。ヨーロッパ文明の普遍性への信頼によって成り立った、いわゆる「戦後史学」の主流派的見解を表明していたのである。しかし本書では、時代によりニュアンスは異なるが、外部との関係・交渉を重視しながら西洋文明のエッセンスを浮き彫りにしたい。「西洋世界の自己完結性の失われた」のは、決して大航海時代以後ではなく、そもそも西洋はつねに外部世界との関係で形成され展開してきたのではないか。西洋世界に利点があったとしたら、そのひとつは外部世界と積極的に交渉し、異文化から学び摂取したことにあった。

  古代の地中海世界では、地中海をアリーナとするオリエント・アフリカとの交渉は、ほとんど自明だろう。中世ヨーロッパは、海に面する地域と内陸とで事情はやや異なるかもしれないが、東方ないし北方の諸民族、そしてイスラーム世界との交渉をぬきに語ることはできない。近世以降のヨーロッパにとって大西洋を介したアメリカ・アフリカ・アジアとの関係は、本質的ともいえるくらいの意義を有することになった。一九世紀、二〇世紀には、地球規模にひろがった資本主義世界のヘゲモニーを西欧、そしてアメリカ合衆国が行使し、それに対抗する勢力と競うことになるから、本書の叙述も「欧米側からみた世界史」という側面がしだいに強くなるであろう。

  本書は、したがって‥‥内部発生的でない西洋史、という特色をもつ。しかし、けっしてヨーロッパ内部における形成・展開を軽んじるわけではない。ヨーロッパ内の「東と西」「南と北」、エスニシティ、社会層、そして文化の編成、近世以降はナショナルな特徴と相克も大きな問題になる。時代と地域の多様性・複合性を浮き彫りにしたいが、同時にヨーロッパ統合の可能性と根拠も確認しておきたい。

  ‥‥わたしたちもまた、今日の問題情況から出発して過去の人類の経験に問いかける、という歴史学の健全な姿勢を共有している。だが、過剰な現在的露光によって異文化/異文明としての過去から送られるメッセージを見失うことのないようにしたい。これは前近代ばかりでなく近代史についても言えることである。歴史にたいする謙虚さを堅持するという点で、先学の営みから学ぶところは多い。本書は西洋史を主題としているが、だからといって、現代文明はヨーロッパの内部で発生し成長して今日にいたる、世界史とはそうした西洋文明の全地球への波及と、これにたいする無駄な抵抗の歴史である、といったヨーロッパ中心史観をとることはできない。またわたしたちは古典的な文明、純粋な文化の起源探しをしようというのでもない。聖書やヘーゲル、そして一九世紀の進歩主義者やマルクスが想定したように、人類史をなんらかの命をおびた必然発展の歴史と信じる目的史観をとることは、現代人にはできないのである。

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  各章には、それぞれの時代の特徴、研究蓄積の違い、そして執筆者の持味が反映して、おのずから一定の独自性が現われる。しかし、六つの章の執筆者のあいだで三年にわたる討議を重ねることによって、西洋世界と歴史のとらえかた、各時代像、非西洋との関係、二〇世紀の社会、そして全体の構成について相互の了解にいたっている。じつは、中世以降の章の叙述は「西」に比重がかかり、一六世紀以降、いわゆる近現代史にさくページ数のほうが相対的に多い。章だけでは不足する重要なテーマについて補充するために、補節を最適の研究者をえて担当していただいた。この補節の充実も、また本書の誇りとするところである

  この本は大学生の信頼できる教科書、そして確かな知識を求める教養市民のための書物として作ったが、既知の事項をあたえることだけが本書の課題だとは思っていない。主体的な読書のための手掛かりとして用意した巻末の文献表や索引も活用しながら、ぜひみずから歴史学する喜びを味わっていただきたい。この本が多くの読者に迎えられ、活用されることを心から望んでいる。

  編 者  

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