『文明の表象 英国』 をめぐるQ&A

質問者名は仮名・渾名です。Publish された人名はそのまま出てきます。

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Q: K2
   【前略】 『文明の表象 英国』が刊行にむけて進行中のご様子、・・・でも、
 きっとはいることだろうとこちらで勝手に想像していたブレアの総選挙の分析が、
 初出一覧をみるかぎり、はいっていないのはどうしてでしょう。第3章に
 組み込まれているのでしょうか。

A:近藤和彦
  予告へのご質問、さっそくにありがとう。
 「あとがき」、誤解を招く表現になっていたでしょうか。「原型の書誌」というからには、
すでに文章になっているものに限ります。口頭で述べたものはいっさいここには
記されていません。それに、原型と今回の著作とは似て非なるものですから、
一覧を示すことじたい止めておけばよかったかな、という気もしています。
 1998年6月16日



YN氏の私信へのA

 お手紙と抜刷りを頂きました。ありがとう。

 小著について大兄のおっしゃる「存在被拘束性」といった用語が、いまや院生も含めて学生に通じないことばになってしまった、という情況を自分の問題と考えるかどうかで、小著の受け止めかたはずいぶん違うだろうと思います。60代半ば以上で、今も戦後史学の正嫡にして現役と自負する皆さんはたいてい小著に反撥しています。学生たちは、まず「難しい」という反応、せいぜい個別的な叙述についての興味にとどまります。その中間の世代は、個人差が大きい。書いてくださったように、小著が「単なる史学史的回顧にあるのでなく」、「イギリス表象の脱構築」を「世界システムとの連関において」論じた一つの著作であるといった趣旨は、「結」で再論したにもかかわらず、みなが読みとって下さったわけではありません。「色んな知識が次々にひけらかされて、印象の散漫な本」という感想さえあり、びっくりしました。

 であればこそ、小著の意図を十分に受けとめたうえで、「中心と周縁の間での相互規定的な関係性」についての不足を指摘して下さるのは、じつに嬉しい。ただし、アメリカ革命を「辺境でおきた事件」(p.151)とたしかに書いてはいますが(これはフランス革命のヨーロッパ史における決定的な画期性を強調する文脈です)、その前に(pp.149-150)三つの意義をのべて、「近代を画する革命」と位置づけているのですが(「啓蒙ヨーロッパの長男」とも)・・・弱いかな? 強いて言えば、一つ二つの要因が時代を画したり、システムを再編する、という因果論でなく、なるべく「時代性」を浮き彫りにしたかったのです。
 しかし、この相互規定性/循環性については、近代(長い19世紀)の世界史の書き方をめぐってアジア史の人々からよく問題にされる点でもあり、単なる心構えの問題でなく、根本的なところで Wallersteinを越える論理が求められているのだと思います。 【後略】
 1998年9月19日



Q: SC
 『文明の表象・英国』、通読いたしました。注を含めて有益な情報が沢山詰まっており、
これまでの研究歴(日本と英国)の厚さがにじみ出ていると感じました。
第一章は僕にとっては最初に先生にお会いした時のことを思い出させてくれるもので、
その意味で初心(?)を思い出させてくれます。

 一つ質問です。あのころのお話を思い出し、また『英国をみる』での論文を
念頭に置きつつこんどの本を読ませていただいて、「越智史学と星菫派」に対する
まなざしが少し柔らかなものへと変わってきたような印象を受けましたが・・・、
僕の読み間違いでしょうか。

 また、「結」を読んで考えさせられるところがいくつかありました。・・・
一つだけいえるのは、もし留学し生活しイギリスをそばでみなかったら、
結語で述べられていることを読んだあとで、こんなふうに立ち止まって
考えなかっただろうということです。
 1998年9月11日

A:近藤和彦
 >・・・「越智史学と星菫派」に対するまなざしが
 >少し柔らかなものへと変わってきたような

そうですね。より根底的に、越智さんのピューリタン論に親近感をもつように
なったこと、そしてアングリカンとノンコンフォーミストの交錯で近現代史を見通せる
のではないか(いずれ通史を書きます)、なにより現代思想の勉強が必要だ、
という感覚から当然のように、大塚・高橋史学にきびしく、越智史学に甘く
なりました。
 それと、ぼくじしんも一種の星菫派教養人なのですね! 書きながら認識し
ました。
 ブレア政権にたいするぼくの甘さは、反省してますが、日本の政治の現状への
絶望の現れでもあります。
 1998年9月11日

Q: SC
  ・・・、史料に触れ続けることを通じて、これは歴史家の仕事をしているのかも!
という感覚が現れてくることがあります。
  自分も歴史家なのかもしれないと、はじめて明確に思うという感じでしょうか。

A:近藤和彦
 そういう感覚さえ出てくれば、もう留学の課題の7/8割方は達成されたと考えていい
のではないか。ぼくの一世代上のイギリス近代史の先生方を敬愛しつつも抱いていた
不満は、ほとんどこのことにかかわります。彼らの学問は他の人々よりずっと良かったが、
本質的に bookish でした。

 土曜日には、イギリス史研究会で『文明の表象 英国』の合評会をやってくれました。
一種、青木氏、草光氏とぼくの3人でパネルディスカッションをやったような形になりました。
資本主義の世界システム論にもとづいて、藤瀬さんから学びつつ、
中核国にたいする対抗群(相対的後進国)の側迫、という構図によって日本特殊性論(Sonderweg)
を相対化している点、福沢・講座派をはじめとする日本の知のありようも相対視している点を、
なかなか皆さん読みとって下さらないのが残念。まぁ、ぼくじしんの今後の課題でもあります。
 1998年12月20日


長谷川貴彦氏の書評論文 in 『歴史と地理』(521号)について

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青木 康 氏の書評論文 in 『歴史学研究』(727号)について

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