Comments on

歴史的ヨーロッパの政治社会08

山川出版社、20085 vi606iv pp. 9,500(本体)

 

この共著につき、以下のようなお言葉をいただきました。ありがとうございます。

公共性のありそうな部分のみ、無断で抜粋いたします。 近藤和彦

2008. 6. 23保守

 

Poppy 

『歴史的ヨーロッパの政治社会』。 皆様それぞれ長い間手掛けて来られたおなじみの分野で厚く蓄積された知見を生かして極めて内容豊富な議論を展開されていられることと拝見しました。年代的・地理的広がりもシチリアからスウェーデンまで、中欧から新大陸まで、中世初期から現代まで、と大変幅広く、さまざまな角度や視点から参照できる有益な書物であると存じます。

_________________________________

Chie 

           『歴史的ヨーロッパの政治社会』。 とても重厚な研究書で、目次を見ているだけでも、日本の西洋史研究の深さとはばの広さを感じることができます!

_________________________________

Hgs

早速、「マンチェスタ騒擾とジョージ一世」のみ拝読させていただきました。ジョージ一世の言語能力の問題など、私はこれまで全く「通説」を疑って来ませんでしたが、言われてみればそうですよね。

言語の問題、ヨーロッパ大のつながりは、本当に面白く拝読しました。こういう点に気づいていなかったのは、イギリスだけでなく、外国語の苦手な島国日本という問題もあるのかな、と感じました。

_________________________________

Nori

『歴史的ヨーロッパの政治社会』 のことは(というより、この論文集に結実する共同研究プロジェクトのことは)、かねてより方々で耳にしておりましたが、前評判にたがわず、実に充実した見事な論文集ですね。各章をまだじっくりと拝読したわけではないのですが、各執筆者の方々のそれぞれの得意分野を論じておられながらも、論文としてのスタイルや方向性が見事に揃っていて(実際、そうでない論文集があまりに多いですから)、歴史学の共同研究の成果としての範型とも言える論文集だと思いました。

個人的には、安村さんの御論考「帝国と言語」が興味深かったです。現在、* の言語や * におけるギリシア語の浸透という問題を少し考えておりますので、材料となる史料の質や量には雲泥の差はあるものの、いろいろ示唆を受けました。

シンプルかつ品がよくてインパクトのある装幀、実にいいですね。山川ですから菊地さんですね(私は昔から菊地さんの装幀が好きで、昔、菊地さんが装幀した本を集めた展覧会に行ったこともあります)。

_________________________________

Yu

‥‥推理小説のような運びで、謎解きが展開されるようでした。一通の「古文書」を通して、ナショナルな枠組み、ある政治的な言説にかられていた「我々」が見事に相対化されていますね。なお、古文書の読まれる「場」を重視されるのは、日本史では、奇しくも『宣旨試論』の早川庄八先生が先駆者でありました。また、文書が誰に向けて書かれたものか、ということは、当たり前のことのようで、なかなか見落とされがち、というより自分に都合の良いように引っ張って解釈されがちなので、警めになります。

目下、トランスナショナルな枠組みが大流行だが、異なる位相においてナショナルの問題は重要である、という御指摘は、吾が意を得たりで、大変感銘を受けました。授業では、「国境をはずして考える?」として――網野批判になってしまうのですが――、単に国家・国境を外せばよいのではない、ということを事あるごとに言っています。* 先生はなかなか国家の様態というか、結集核のあり方について論究してくれません(心象地理的アプローチはなさるのですが‥‥)。

‥‥そこで、日明冊封関係を構築した足利義満(及びそれ以降の「対外関係」)について考えているのです。思えば、ジョージ1世は、どこか義満と似ているような気が致します。武家出身なのに、公家の世界で養育された義満は、頼りない朝廷(天皇家)を見限った公家たちの期待を受けて、准三后になり、「事実上の上皇」になる。そして、禅僧や二条良基たちとともに、高度な文化サロンを構築していきます。大量の唐物を集積したのも彼の時代です。遣明船をさかんに送って、空前絶後の好景気をもたらします。(もっとも、義満は父祖や鎌倉将軍と違って、公家の礼法を体得し、喜々として朝廷の儀式を領導しましたが。)

冒頭の千葉氏「準えられる王」は、中世「日本」国家論を考える上でヒントになりそうです。

_________________________________

APJ

Many thanks indeed for the copy of the expensive book of which you are the contributing editor!  Another splendid effort.  There must be a long series of shuppan kai to mark your contributions to Western history in Japan.  It seems that you are giving opportunities to colleagues to have their essays/ronbun published in proper book form which has to be far better than their appearing in kiyou.

I am very pleased to see that the romaji display no errors to my eye, unlike the appalling mess in * *’s book which is going through the process of being evaluated for a PhD (ronbun hakase) at a major university.  I rather suspect you spent long hours in checking the romaji very carefully and in implementing the most recent style in citing bibliographical data.

Kondo’s reply    

Thank you.  Sorry that the Japanese language has not yet become international lingua franca among intellectuals.  The biggest difficulty I had was that the French and German styles had been long established and Japanese scholars of F and G would not come out of their established and prided styles.  The consequence is eclectic rather than ecumenical.

_________________________________

kcufs

「マンチェスタ騒擾とジョージ一世」を拝読しましたが、私自身、ジョージ一世についてはまったく通り一遍の理解しかしておりませんでしたので、「合理的で聡明な制限君主」「文明を具現するヨーロッパ君主」としてのジョージ像には、まさに蒙を啓かれる思いでした。 他にも、ジョージ一世に直接かかわる点は無論のこと、ヴィクトリア女王の即位後における文書破棄の問題から、歴史研究の視点と方法についてのご議論に至るまで、多くのことを学ばせていただいております。

_________________________________

Tosh

『歴史的ヨーロッパの政治社会』‥‥ まずもった感想は、史料をどう分析するのか、また分析の前提となる研究史理解はどうかという点が、いずれの論文にも明示されていることです。史料を紹介するだけでなく、どう読んでいくのかということを伝える貴重な成果であると確信しています。

_________________________________

Dr. ON

                 『歴史的ヨーロッパの政治社会』。 収録されている論文の水準に驚嘆するとともに、このような共同研究を組織なさったご努力に敬意を表します。

 個々の論文の内容についてはどうこう申しあげる能力も知識もありませんが、「政治社会」という(さほど人口に膾炙しているとは思えない)概念を提示なさった意図と、そこにこめられた意味に、強く興味を惹かれました。とりわけ

(1) 「まえがき」にある、いわば【社会のなかに政治を読みとり、政治のなかに社会のありようを見出す】というアプローチを表現するものとして政治社会概念を提示するというスタンスは、説得的だと思います。思想系の流行り言葉でいえば【マルクスとフーコーを止揚する必要がある】ということになるのかもしれませんが、それを実際の歴史のなかで論じるのは、まさしく歴史学者の仕事でありましょう。

(2) 第1章「準えられる王」における【政治文化が生成し、展開し、消費される場としての政治社会】という把握もまた示唆的だし、ぼくらにとって有益な指摘だと思います。

あとは、編者が指摘なさっているとおり、たとえば公共圏概念との接合を図ることにより、政治社会概念をより役に立つツールにしたてあげる、という作業が残されている、といえるでしょうか。

                 それにしても600ページというフルスペックの一冊、読むのに時間がかかりました。

                 いずれまたいろいろとお話をうかがう機会があれば幸いです。

_________________________________

河原町二条

‥‥格調高い「まえがき」から、これが小泉「改革」以降の巨大科研プロジェクトの成果であるらしいこと、執筆陣からも * シューレの壮観なそろい踏みであるらしいことも伺えました。(もちろん、シューレはもっと広汎に根を張っておられることと理解したうえでです。)一見、茫漠としたタイトルも、中味の多彩さ、スケールの大きな企画に見合ったものだろうと思われます。編者の組織力に感じ入りました。

近藤’s reply        

河原町さん、お元気でしょうか。大兄には誤解されたままでいたくないので、弁明しますが、この共同研究は "小泉「改革」以降の巨大科研プロジェクト" とは関係ありません。従来からあった科研の一般研究(A)の名が基盤研究(A)となっただけの違いで、ましてや現今のCOEや特定研究、基盤研究(S) などとは別世界。 そもそもお金を取るために組織したのではなく、従来から、ナタリ・デイヴィス来日時の受け皿としてできて以来、細々とつづいていた近代史研究会(MHW)の中核メンバーによる共同研究に補助金が交付されたものです。

はからずも二宮宏之追悼論集になってしまいました。じつは「政治文化」 「政治社会」 かということでは、この研究会でも議論し、二宮さんに造反して政治社会にこだわりました。政治文化はすでに成熟し普及して、ぼくも使いますが、それだけではあまり新しいことは言えないような気がしてきました。英語圏の intellectual history/history of ideas constitutional history の成果から学びたいという気持には強いものがあり、この点でフランス史の方々との間に距離が生じているかもしれません。

_________________________________

 

2008年の刊行物 談話室coocan