二宮宏之 19322006

『思想』986号(2006年6月)


SaMさんより

日本の歴史学界が失ったものの大きさにあらためて思い至っております。私も‥‥で二宮さんについて別の観点から少し触れました。これからもしばらく関連の文章が出て、それらを合わせて二宮さんの全体像が立ち現れてくるのでしょう。


KiSさんより

「思想」の二宮さんの追悼文‥‥多分というか、間違いなく二宮さんがaversionを抱いていたドイツ史の一人として読ませてもらいましたが、胸にこみ上げるものがありました。おそらく、外交辞令をのぞいては、真の意味でこれほどの敬謝を広い分野の研究者から受けるのは、彼が最後の人ではないでしょうか。省みて、身の置き所のない思いを覚えます。

近藤より

   ありがとうございます。AversionとはKiSさん独特の強い表現だと思いますが、じつは二宮さんはまた、フランスを研究しフランス語を我がものとなさった多くの人と同様にイギリス的なるものにたいして偏見(!)を抱いておられた。おやまぁと感じる場面がなかったわけではない。どうも大塚久雄および大塚的イギリス像への反感が一つの強い要因だったようです。反面では、松村さんと一緒にサッチャ政権下で敗北戦をたたかっていた英炭坑労働組合に支援のカンパを送ったりしておられました。

ぼくたちの世代になると、英国贔屓か、おフランスか、ドイッチャ・ガイストか、といった次元からは自由であるはずです。


KuHさんより

  『思想』は書店を二軒回りましたが売り切れ,大学の生協でようやく入手しました。トーンを抑えた筆致に感銘を受けながら襟を正して読みました。


 Ωさんより

  二宮先生への熱い思いが伝わってくる作品でした。

  この文章にもかかわりがあるのですが、‥‥公共圏については実態分析が全般に立ち遅れているのではなく、すでに十分論じられてきており、「今更なんのために・・・」という反応が多いとのご指摘をいただきました。私が不勉強のため、あるいはそうであるかもしれません。「あるいは」と書いたのは、先生だからこそ、そうお感じになるようにも思えるからです。10年以上前に、先生のゼミではハーバマスの検討をすでに終えられていました。誠に不勉強で二宮先生が公共善について述べられていることは今まで知りませんでしたが、同様のことをあげれば、松浦先生の「民間公共団体・・・」という表現がありました。‥‥

近藤より

  謙虚なΩさんの発言だから慎重に受けとめたいと思いますが、万が一にも上の最後の2行が poetic licence でなく本気だとしたら、それは問題です。授業でも検見川でも、昔のOEDを使いながら res publica と区別される res plebeiaがどうとか、口角泡をとばし、白墨で真っ白になりながら、議論してたでしょう。


  近藤和彦   2006年の新刊