季刊 『本とコンピュータ』 No.16 (2001 春) p.108
近藤 和彦

2001. 6. 23 保守

  読むという行為には3種類ある。第1は、情報やうわさにアクセスするために新聞・雑誌やサイトを見る行為で、スピードと大衆性が勝負となる。第2は、マニュアルや辞典を引くような参照で、確かさが基準となる。第3は、古典や詩歌を味わい考える、いわゆる「読書」である。

  第1で見るのは株価や政変のニュースだったり、センセーショナルな映像だったり、ひとはそれに接して、せわしなく欲求をみたす。第3の読書では、ひとはすこし落ち着いて、紙に印字されたページをくりながら、あるいは鉛筆でメモりながら、想像し考える。二つの中間にある参考図書は、情報源であり、また汲めども尽きぬ古典でもあり、かつては熟読の対象であった。いまや百科事典からギリシアの全作品までCDやオンラインで供給されている。わたしの分野では OED(オクスフォード英語辞典)という、夏目漱石も利用した、あらゆる英語の単語と用法を網羅した大辞典が歴史的思考の泉なのだが、その改訂CD版を購入して以来、その軽快な操作に魅せられて、もとの大冊13巻には触れたことがない。[いまでは OED online を利用している。]

  第1と第2のための出版は、いずれ電子(デジタル)によって圧倒されるだろう。しかし、第3のための出版は、筋のある物語、論理をもつ作品であるかぎり、紙に印字された冊子の形をとらざるをえない。消耗品ならぬ賞味期限6ヶ月以上の文章であれば、なおさらである。



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主著  『民のモラル』『文明の表象 英国』『西洋世界の歴史
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