本発表では,ウラル系のマリ語 (Mari; ボルガ中流域,話者 50 数万人) の標準的な文法・辞書で「後置詞」 (послелог) と分類されている語の文法的な機能を記述するための概念整理を行う。
後置詞は,多くの言語学術語辞典において,文法的機能の点では前置詞と変わらず,その目的語に対する相対的位置だけが異なる機能語 (cf. “A lexical item which is identical to a preposition in every respect except that it follows its object NP.” – Trask 1993: 212) であり,前置詞とともに接置詞 (側置詞 adposition) という上位概念に包括されると解説されている。たとえば,『言語学大辞典』 第6巻と Trask (1993) は,「前置詞」 (および「後置詞」) を次のように説明する。
(1) 不変化詞に属する品詞の一つ。通常,名詞あるいは名詞相当語句の前に置かれて前置詞句 をつくり,文中の他の成分に対して,場所,時間,方法などさまざまな関係を示す。[…] 前置詞と同じ機能をもち,名詞あるいは名詞相当語句の後に置かれるものは後置詞と呼ば れる。前置詞と後置詞を合わせて,接置詞 (側置詞とも) と いう。(pp. 844-845)
(2) A lexical category, or a member of this category, which typically combines with a noun phrase to make a larger constituent, a prepositional phrase […] Prepositions usually constitute a closed lexical category. Both etymologically and in practice, the term ‘preposition’ is restricted to a lexical item which precedes its object NP, the term postposition being used for a comparable item which follows its object NPs, and adposition being used as a superordinate lable. (pp. 214-215)
日本語は後置詞言語とされるが,日本語の文法体系の中でどの要素を指して後置詞と見なすかについて,研究者の間に共通理解があるかどうかはっきりしない。英語などのとの比較では,格助詞と前置詞の機能の類似に注目して,格助詞を後置詞と見なす考え方 (駅で ~ at the station) が広くひろく行われているようである。その一方で,格助詞は,フィンランド語のような格の多い言語との対比では,むしろ格語尾に当たるとする見方 (父に ~ isälle 「父に」) が成立する。
もし 「格助詞=後置詞=前置詞」 と 「格助詞=格語尾」 という2つの等式が同時になりたつとすれば,英語の前置詞はフィンランド語の格語尾 (case ending) に相当する機能を果たしていることになるはずである。ところが,フィンランド語の文法では,伝統的に,格語尾と後置詞を別のカテゴリーとして区別しているから,フィンランド語の 「後置詞」 は,英語の 「前置詞」 とは必ずしも対応しないことになる。
実際,フィンランド語で後置詞とされている形式の多くは,(3) のように,意味・形態の両面で,日本語の 「格助詞」 より 「形式名詞+格助詞」 の形式に対応している。すなわち,(3) の talon は名詞 talo の属格形として日本語の 「家の」 に対応する。また,後置詞 edessä, eteen, edestä は,「前」 を意味する語根 ete-/ede- に,それぞれ内格 (inessive),入格 (illative),出格 (elative) の格語尾がついた形をしているから,日本語の「形式名詞+格助詞」の形式である 「前で」「前へ」「前から」 にそれぞれ対応している。
| (3) | talo-n | ede-ssä | ~ | talo-n | ete-en | ~ | talo-n | ede-stä |
| house.GEN | fore.INE | house.GEN | fore.ILL | house.GEN | fore.ELA | |||
| 家の | 前で | ~ | 家の | 前へ | ~ | 家の | 前から |
したがって,フィンランド語の後置詞の多くは,英語の前置詞というより,むしろ in front (of), with regard (to) などのような 「複合前置詞」 (complex preposition – Quirk et al. 1991:669ff.) と呼ばれる形式に対応していると見たほうがよい。
英語の前置詞はまた,副詞 (的小詞) (adverb[ial particle]) や接続詞との関連で論じられることからもわかるように,名詞を伴わずに単独で副詞として用いられたり,接続詞として従属節を導入することもめずらしくない。類似の現象は,フィンランド語の後置詞についても観察される。
| (4) | I haven’t seen him since this morning / since he left this morning / since. | (前置詞/接続詞/副詞) |
| (5) | Lapset | juoksivat | sisään | / | metsän | sisään. | (副詞 / 後置詞) | |
| child.pl.NOM | run.PAST.3pl | into | / | woods.GEN | into | |||
| 「子どもたちが走って中へ / 森の中へ入って行った」 | ||||||||
後置詞は,狭い意味の前置詞だけでなく,格語尾や形式名詞・複合前置詞,副詞 (的小詞),接続詞など,比較的広い範囲の現象と関連づけて考察する必要があることは明らかである。
このように,前置詞・後置詞が,隣接するカテゴリーとの複雑な関わり合いの中で成り立っているのは,これらの「雑多な」とも見える隣接カテゴリーに属する語が,ごく一部を除いて,いずれも,名詞・動詞などの主要な品詞に属する語や語形が,文法化 (grammaticalization) によって機能語に変化して生じたという共通の性質をもつ要素であるためと考えられる。
上に引用した言語学術語辞典の 「前置詞」「後置詞」 の定義は,プロトタイプとして概念化された 「前置詞」「後置詞」 に関するものと考えられ,前置詞・後置詞として分類される1つ1つの語の用法のすべての側面をカバーしていると考えることはできない。現実の個別言語の文法記述は,「前置詞」「後置詞」 としての機能をもつ1つ1つの語ごとに,その語が隣接カテゴリーの語として用いられる際の機能の広がりを確定しつつ進める必要がある。(4) を例に取れば,since の3つの用法を,それぞれ別の品詞に属する用法と見なして,異なった統語構造を与え,それぞれ文法記述の異なる箇所で扱って相互に切り離してしまうのではなく,since という語が,基本的な意味をほぼ一定に保ちながら,前置詞,副詞 (的小詞),接続詞という3つのカテゴリーにまたがる統語的振る舞いを示す事実に注目し,この振る舞い全体を統一的に記述する方法をとるべきである。
英語の前置詞のプロトタイプ的な特徴と考えられる性質の1つは,前置詞が典型的な不変化詞であって,人称等を表す接辞などが体系的につくことがないことである。たとえば,within とか thereof のような形式は,英語の前置詞全体からみたとき,語彙的に固定した現象であって,体系的・生産的な現象とはいえない。
英語の前置詞のプロトタイプ的な特徴の第2は,前置詞は,名詞をともなって前置詞句を作る不変化詞であって,定動詞節 (finite clause) を導入する形式ではないという性質である。たとえば,前置詞 at の場合,
| (6) | He was surprised at the news / *at (that) she was there. |
のようなパターンが一般的であり,この特徴は,英語の文法において前置詞と接続詞を区別する基準のひとつとなっている。すなわち,名詞句を伴って前置詞句を形成するか,定動詞節を伴って従属節を形成するかによって,前置詞であるか接続詞であるかが区別されるとする考え方が,英文法では一般的に行われているようである。
現実問題としては,at, of, with など,名詞に伴われるが,定動詞節をとらず,かつ,副詞としての独立用法をもたない不変化詞 (=「前置詞」) と,if, unless, whileなど,定動詞節をとるが,名詞だけをとらず,かつ,副詞としての独立用法をもたない不変化詞 (=「接続詞」) という両極端の間に,before, after, since など,前置詞・接続詞・副詞すべての用法をもつ不変化詞や,below, inside など,前置詞・副詞の両方の用法をもつ不変化詞が位置するというのが英語の不変化詞の錯綜した様相だが,定動詞節を取るか否かの対立が,重要と考えられているのは確かだと考えてよい。
定動詞節を導入することはないという点では,マリ語の後置詞は,英語の前置詞とその第2の特徴を共有しているように見える。しかし,ここで忘れてならないのは,従属節の構造に関して,マリ語と英語の間には決定的とも言っていい類型論的な違いがあることである。すなわち,英語の従属節は定動詞節 (finite clause) が基本であるのに対し,マリ語の従属節は不定動詞節 (non-finite clause) が基本であるということである。
まず,マリ語の定動詞従属節について検討し,次いで,不定動詞従属節について検討する。定動詞従属節を認定する際の一般的な条件は,述語動詞が定動詞であること,従属接続詞が認められることの2つである。前者は大前提なのでここでは省略して,問題を後者に絞る。
マリ語の文法書や辞書で「従属接続詞」として分類されている語の大部分は,S₁, x S₂ という構造の x の位置に現れる形式であるが,これらの語は,時間節を導入する kunam (ロシア語の когда の翻訳借用?) を除くと,いずれも (7) の sadlan のように用いられる形式であって,従属接続詞と見なせるかどうかかなり危ういものばかりである。しかも,このタイプの語は,節の冒頭に現れる形式であって,名詞等に後続して現れる後置詞とは,その統語的分布を異にするので,本発表の考察の対象から除くことができる。
| (7) | tugaj | jeŋ | dene | jösö, | sadlan | Marina-t | ojərlen. |
| such | person | with | difficult | so | Marina.EMP | part.PAST.3sg | |
| 「そういう男と暮らすのは難しい,それで,マリーナさえも別れてしまった」 | |||||||
他方,マリ語の文法や辞書で「従属接続詞」として分類されている語のうち,日本語の接続助詞のように,節の末尾に現れて,従属節を導入し,かつ後置詞と似た振る舞いをするのは,manən, gən, gənat の3語のみである。このうち,manən は動詞 manaš 「言う」 の副動詞形が文法化し,日本語の 「といって」「という」 のように,事実上従属接続詞相当になったものであるし,譲歩節を導入するgənat は,条件節を導入する gən に,強調の前接辞 (enclitic) -at が付加されたものであるから,後置詞と紛らわしいのは事実上 gən 1語に限定される。
| (8) | məj | Rossij-əš | pörtəlam | gən, | ənde | tugaj | durak | om | lij. |
| 1sg | Russia.ILL | return.1sg | if | then | such | simple | NEG.1sg | be | |
| 「私はロシアに戻れば,こんな愚か者ではない」 | |||||||||
マリ語の不定動詞従属節は,述語動詞の形態と,主節への埋め込みの方式によって,(i) 述語動詞が分詞 (причастие; 「形動詞」とも) で,主節にそのまま,または格語尾によって埋め込まれるもの [(9)],(ii) 述語動詞が分詞で,主節に後置詞によって埋め込まれるもの [(10)],(iii) 述語動詞が副動詞 (деепричастие) で,主節にそのまま埋め込まれるもの [(11)],の3タイプがある。
| (9) | a. | joča-n | tünö | šort-mə-žo | šokta | [主格,主語] | ||
| child.GEN | outdoors | weep.ME.3sg.NOM | be heard.3sg | |||||
| 「子どもが外で泣くのが聞こえる」 | ||||||||
| b. | ača-m-ən | pölem-əške | purə-mə-žə-m | užəm | [対格,目的語] | |||
| father.1sg.GEN | room-.ILL | enter.ME.3sg.ACC | see.PAST.1sg | |||||
| 「父が部屋に入ってくるのを見た」 | ||||||||
| c. | šuko | ij | škol-əšto | paša-m | əštə-mə-ž-lan | [与格,理由] | ||
| many | year | school.INE | work.ACC | do.ME.3sg.DAT | ||||
| 「長年学校に務めたことに対して」 | ||||||||
| d. | iktaž mogaj | čer | vaštareš | privivkə-m | əštə-me | aza | [関係節] | |
| certain | ilness | against | vaccination.ACC | do.ME | infant.NOM | |||
| 「何かの病気に対して予防接種を受けた幼児」 | ||||||||
| (10) | a. | məj-ən | purə-m-em | godəm | [後置詞節] | ||
| 1sg.GEN | enter.ME.1sg | when | |||||
| 「私が入っていった時」 | |||||||
| b. | pajrem | kas-əšte | mo-m | už-mo-kol-mə-ž | nergen | [後置詞節] | |
| festival | evening.INE | what.ACC | see.ME-hear.ME.3sg | about | |||
| 「祭りの晩に何を見たり聞いたりしたかについて」 | |||||||
| (11) | Grigorij | Petrovič-ən | malaš | voč-mekə-ž | [副動詞節] |
| Grigory | Petrovich.GEN | sleep.INF | fall.MEKE.3sg | ||
| 「グリゴリ・ペトロヴィチが眠りに就いたあと」 | |||||
このように,マリ語の場合,定動詞従属節の使用領域が非常に限定されている一方で,不定動詞従属節が幅広く用いられる。このため,英語のように定動詞節をとるかどうかを基準にして「不変化詞」の分類を行うと,従属節を伴う不変化詞のほとんどが後置詞に属することになり,マリ語では,接続詞というカテゴリーの果たす統語的な役割が,英語の場合と比べて,きわめて小さくなる。すなわち,英語においては,接続詞が従属節を導入する主たる役割を担う形式であるのに対して,マリ語では,むしろ後置詞に分類される形式の方が従属節を導入する主たる役割を担っていることが明らかになる。
英語の前置詞のもうひとつの特徴,すなわち,典型的な不変化詞という特徴に目を移すと,この点でも,マリ語の後置詞の多くは,英語の前置詞とはきわめて異なった振る舞いをもつ。すなわち,(12) が示すように,不完全ながらも格変化に似た語尾 (?) の交代を持ち,人称を表す接辞 (所有接尾辞; possessive suffix),強意の前接語 (enclitic) などが頻繁に付加される。
| (12) | a. | joltaš dene / dek / deč | 「友人のところで/へ/から」 |
| b. | məj den-em-at / dek-em-at / deč-em-at | 「私のところでさえ/へさえ/からさえ」 |
このような形態論的振る舞いは,後置詞の名詞的な活用語に近い性格を示しており,この点で,フィンランド語の後置詞同様,日本語の形式名詞に格助詞のついた形式(そばで,そばへ,そばから)と,形態的にも意味的にも非常によく対応した形式であると言える。
マリ語の後置詞の名詞的性格は,名詞の特定の格形が文法化して後置詞として機能するようになったことが共時的に朗かな形式の場合には,当然のことながら,連体修飾構造との類似が顕著である。
| (13) | mifologičeskij | škol-ən [...] | škenžə-n | kumlo | ijaš | paša-ž-lan |
| mythological | school.GEN | itself.GEN | thirty | year old | job.3sg.DAT | |
| itog-əm | əštə-mə-že | žap-əšte | [後置詞?] | |||
| sum.ACC | do.ME.3sg | time.INE | ||||
| 「神話学派が自分たちの30年間の活動の集大成をしようとしたとき」 | ||||||
| (14) | marij | literaturə-n | kuškaš | tüŋalme | pervəj | ij-la-štə-že | [連体修飾構造] |
| Mari | literature-GEN | grow.INF | begin.ME | first | year.pl.INE.3sg | ||
| 「マリ文学が発展を始めた最初の数年間において」 | |||||||
連体修飾構造の特徴は,(14) のように,従属節 (連体節) の主語と人称・数が一致するに人称接辞が,連体修飾構造の主名詞 (ij-la-štə-že) に付加されることである。これに対して,後置詞節の場合には,(10) のように,人称接辞は,後置詞ではなく,従属節の述語動詞 (分詞) に付加される(purə-m-em godəm, už-mo-kol-mə-ž nergen) という特徴がある。(13) は,名詞 žap 「時間」 の内格 (inessive) 形 žap-əšte が,(14) の連体修飾構造ではなく,(10) の後置詞節の構造をとっている。
他方では,(15) と (16) が示すように,マリ語の後置詞は,意味・統語環境の両方において,マリ語の文法で格語尾に分類されている形式と,顕著な類似性を持っている。
| (15) | Pampalčə-n | kuško | kajeda | manən | jod-mə-ž-lan |
| Pampalche.GEN | whither | go.2sg | saying | ask.ME.3sg.DAT | |
| 「パンパルチェが『おまえはどこへ行く』と聞いたのに対して」 | |||||
| (16) | professor | Pengitov-ən | nojəde | təršə-mə-ž | dene |
| professor | Pengitov.GEN | without being tired | exert.ME.3sg | with | |
| 「ペンギトフ教授がたゆまず努力したことによって」 | |||||
このように,マリ語で後置詞に分類されている形式と,英語で前置詞に分類されている不変化詞との間には,いくつかの点でかなりはっきりとした相違点が見られる。したがって,マリ語の後置詞の機能の分析・記述において,「文法的機能の点では前置詞と変わらず,その目的語に対する相対的位置だけが異なる機能語」という観点をとるならば,マリ語の文法構造の特質を見落としてしまう可能性が高く,マリ語の文法構造により適した分析・記述の枠組みを考える必要がある。
略号: ACC(usative) = 対格; DAT(ive) = 与格; ELA(tive) = 出格; EMP(hatic) = 強調の前接語; GEN(itive) = 属格; GER(und) = n-副動詞; ILL(ative) = 入格; INE(ssive) = 内格; NOM(inative) = 主格; INF(initive) = 不定詞; ME = mE-分詞; MEKE = meke-副動詞; NEG(ation) = 否定動詞; PAST = 過去; 1sg =1人称単数; 2sg =2人称単数; 3sg = 3人称単数; pl = 複数