2004年冬学期社会学概論

 

フィールド研究の可能性

 

本田 洋

 

フィールド研究1

1.フィールドワークと民族誌

2.韓国の農村でのフィールドワーク

3.世帯調査

4.暦と行事

5.サンイルの調査

6.フィールド調査からの問題設定

7.調査研究の評価

 

1.フィールドワークと民族誌

(1) 方法としてのフィールド調査(field research; field survey

# field: ‘Used attributively to denote an investigation, study, etc., carried out in the natural environment of a given material, language, animal, etc., and not in the laboratory, study, or office’, Oxford English Dictionary

(実験室,書斎,あるいは研究室ではなく,所与の物質,言語,動物等々が置かれた自然の状態で行なわれる調査,研究等々を意味するものとして,限定表現の形で用いられる)

ex. field naturalist(初出は18C末); field observer; field archaeology; field studies

# field-work: ‘A comprehensive name to describe the practical side of research in archæology, linguistics, the social sciences, etc., carried out in the areas concerned, as distinguished from theoretical or laboratory investigation’, Oxford English Dictionary

(当該地域で行なわれ,理論的あるいは実験室での調査研究とは区別されるような,考古学,言語学,社会科学等々の調査研究の実地的な側面を説明する包括的な名称)

・初出は,Malinowski. 1922. Argonauts of the Western Pacific.

(2) 人類学的フィールドワーク と民族誌

# 20 世紀初頭以降の人類学で,フィールドワークは一つの方法であること以上の意味を担わされてきた。

# 20世紀の最初の30年に確立された,専門的な訓練を受けた人類学者による長期の集中的なフィールドワークという規範

・それ以前は,現地でデータを収集する民族誌家ethnographerとそのデータや文献資料を活用して理論的な研究をする人類学者anthropologistは区別されていた

   cf. armchair anthropologist

# マリノフスキー以前 にも専門の科学者によるフィールドワークを主張した者は いた。

ex. リヴァーズ 1912

@現地住民の言語を可能な限り完全に習得する義務

A現地住民の分類に基いて調査を進め,彼らの視点によるデータを集める必要性

B現地住民が自発的に語ったことのなかにより多くの重要な情報が含まれていること

C社会にある規範的観念が存在することを知ったなら,その規範からの逸脱の事例を発見し,そのとき社会に何がおきるかを知ることの重要性

D調査は一人で行なうべきであること,すなわち一人の視点で生活の全体を把握する視点の必要性 

# マリノフスキーBronislaw Malinowski 1922年に刊行したトロブリアンド諸島民に関する最初の著作である『西太平洋の遠洋航海者』Argonauts in the Western Pacific の序論で ,フィールドの人類学者というもののイメージを読者に与えることに成功した。それゆえに,フィールドワークという手法の創始者のように扱われる ようになった。

 ‘Indeed, in my first piece of Ethnographic research on the South coast, it was not until I was alone in the district that I began to make some headway; and at any rate, I found out where lay the secret of effective field-work. What is then this ethnographer’s magic, by which he is able to evoke the real spirit of the natives, the true picture of tribal life?’

(南海岸での最初の民族誌的調査で,私が前に進みはじめたのはそこで一人になってからであった。いずれにしても,私は効果的なフィールドワークの秘密がどこにあるのかを見つけた。それでは,現地住民の真の精神,部族生活の本当の姿を呼び起こすことのできる,この民族誌家の魔術とはなんであろうか。)

 ‘The principle of method can be grouped under three main headings; first of all, naturally, the student must possess real scientific aims, and know the values and criteria of modern ethnography. Secondly, he ought to put himself in good conditions of work, that is, in the main, to live without other white men, right among the natives. Finally, he has to apply a number of special methods of collecting, manipulating and fixing his evidence.’ (Malinowski 1922, p. 6)

(方法の原則は主として三つの題目に分けることができる。第一に,研究者は当然のこととして真の科学的目的をもっていなければならない。そして同時代の民族誌の価値と規準を知らねばならない。第二に,彼は良い作業条件,すなわち,他の白人から離れて,現地住民の真直中に身をおくべきである。最後に,証拠を集め,操作し,整理するための多くの特別の方法を適用しなければならない)

cf. 実生活の不可量部分the inponderabilia of actual life

‘In other words, there is a series of phenomena of great importance which cannot possibly be recorded by questioning or computing documents, but have to be observed in their actuality. Let us call them the inponderabilia of actual life.’ (Malinowski 1922, p.18)

(いいかえれば,質問したり記録物を集計することによってはことによると記録しえず,その現実のなかで観察せねばならないような,一連のきわめて重要な現象がある。これを「実生活の不可量部分」と呼ぶことにしよう)

# 参与観察participant observation

@特定・個別のできごとや表現の意味が感情移入的・全体的に把握されるような個人的経験を(参与),

A訓練された観察者の目で,距離を置いて,分析的に把握する(観察)。

⇒経験と解釈の弁証法的過程。

# フィールドワーク,参与観察を通じてえた経験をもとに,当該社会に対して何かを記述したものが民族誌ethnography

(3) 質的調査とフィールドワーク

# 質的調査

# 質的調査(1)

「主にインテンシブなインタビューや参与観察のような余り定型化されない方法でデータを集め,その結果の報告に際しては,数値による記述や統計的な分析というよりは言葉による記述と分析を中心にする調査法。臨床的方法や生態学的心理学などを加える場合もあり,定義は一定していない」(佐藤郁哉『フィールドワーク:書を持って街へ出よう』新曜社, 1992, p. 25注)

# 質的調査(2)

 「さらに,いわゆる「質的データ」や「カテゴリカル・データ」と,基本的な調査デザインと哲学としての質的調査法を混同する傾向が事情を複雑にしている―「質的データを中心とした定量的研究」は枚挙にいとまがない 」(同上)

# 質的調査(3)

「比較的少ない数の事例(時にはただ一つの事例)をくわしく分析することによって社会現象や文化に関わる事柄あるいは心理学的な問題について,できるだけ多くの要因の間の関連性を分析したり記述したりするアプローチ」(上掲書, p. 48

# 質的調査(4)

・観察法:参与観察法 participant observation, 直接観察法 direct observation など。

・面接法:非構造化面接法 unstructured interview や半構造化面接法 semi-structured interview など。(⇔構造化面接法⇒量的調査)

・参与観察法とライフヒストリー。

・ドキュメント,音声,映像の分析。

# 人類学と社会学におけるフィールドワークの規準と規範性の違い

 

2.韓国の農村でのフィールドワーク

(1) 人類学のフィールドとしての特異性

# 孤立した自立的な小社会ではない。

  ・中華文明の影響と王朝国家

  ・文字使用の長い歴史と地方への浸透

  ・19世紀末以来の波状 ・段階的な近代性の普及 と形成

  ・1960年代中盤以来の急速な産業化と村落社会における過疎化・老齢化の進行

 (2) 調査計画,資料収集・予備調査

# 調査地の条件設定

1) 全羅北道の農村

2) 中規模

3) 班村

  Note 班村と民村:在地士族の農村への定着,身分伝統の再編成(両班/中人・衙前/常民/奴婢の四身分論の普及)と村落の分類

  Note 集姓村と各姓村:在地士族の形成と父系親族集団(門中)の地域化された核localized corecf. 東南中国の地域リニージとの違い)

5) 民俗・芸能

# 調査地の選定

⇒Yマウル:全羅北道南原郡P面K里(法定里)に含まれる行政里のひとつ。世帯数45世帯,人口155人。旧在地士族として,彦陽金氏,広州安氏,恩津宋氏が424世帯居住(詳しくは拙稿1993参照)。近隣の2村と合同で,毎年陰暦715日(ペクチュン)にサムドンクッとよばれる芸能を行なう(拙稿1995「郷土芸能は誰のもの?」『朝鮮文化研究』2参照)。

 (3) 農村に暮す

# 下宿

・「徳山宅」という60代前半の夫婦と高校生の次男が暮す農家。

・下宿代(食事・洗濯付き)は月89万ウォン。

(算定基準は,精米1カマニ[80kg]の市価と南原市内の下宿代。当時,南原市内で9万ウォン程度。ソウル新林洞で독방18万ウォン程度)

# 村人とのラポールの形成

 ・流頭スルメギ(陰6 15 日)

 ・里長や下宿主人の紹介

 ・散歩

 ・その他いろいろな集まりに顔を出す

# 私の自己紹介/村人の認識・呼称

 ・村の民俗や歴史を学びに来た日本人学生

 손님(客人), 일본 사람(日本人), (일본) 학생[日本]学生), 총각(独身男性), ‘혼다(「ホンダ」)

# 村人等へのインタビュー

  道端で/自宅を訪問/様々な作業・集まり・行事の場で

# 各種行事への参加

 

3.世帯調査

(1) 世帯調査の手順

# 調査項目の設定【表1

  世帯・家族・親族関係・生業に関する基本的なデータ(韓国農村の特徴),祖先祭祀の予備調査,契

# 調査時期(897月下旬〜8月末頃)

# 調査データの整理【表2〜表5】(詳しくは拙稿1994 「韓国家族論の現在」『 朝鮮学報』152参照)

 (2) 世帯調査の意味

# 人口,世帯,家族,家内祭祀等に関する実態の把握

# 農村でのフィールドワークの基礎的データ

 (3) 調査データの分析

#  人口構成【表2

  若年・中年人口の顕著な欠落

# 既婚男性(50歳未満)【表3

   他に選択肢がなく農村を離れられない者/都会で失敗したUターン組

⇒世代を越えて家屋・田畑や生業を受け継ぐべきであるという意識の不在

⇔「代」を継ぐために男子が必要という意識

# 既婚女性【表4

  数名を除けば,南原市郡出身かあるいは隣接諸郡の出身。

# 世帯構成【表5

・理念としての長男残留型直系家族

 ⇔実態は...

1/3が主人あるいは主婦が60歳以上の夫婦家族か単独世帯

⇒農村住民の日常生活や生業活動への影響

 

4.暦と行事

# 陽暦(太陽暦)と陰暦(太陰太陽暦)

・陽暦:189611日に太陽暦を採用。

・陰暦:農村の名節(伝統的な休日),民俗行事の日取り,誕生日,祭祀の日取り;特に高齢者ほど陰暦で暦を認識。

・国家の慶祝日に見られる陽暦と陰暦

  新正日(陽暦1/1),ソルラル(あるいは旧正。陰暦1/19,三一節(陽暦3/1),植木日(清明節。陰暦で当時から7番目の節気),オリニナル(陽暦5/5),釈迦誕日(陰暦4/8),顕忠 日(陽暦6/6),制憲節(陽暦7/17),光復節(陽暦8/15),秋夕(陰暦8/15),開天節( 陰暦→陽暦10/3),聖誕節(陽暦12/25

# 農村の年中行事【表6

 ・名節の行事

 ・各種祭祀

 ・近代的な諸行事

 

5.サンイルの調査

(1) サンイルの発見

#  農閑期,見物・宴

#  清明・寒食

#  閏月,豚を飼う

 (2) 11件の行事・作業の観察【表7

# サンイルの日程の聞き込み

# 現場での観察・インタビュー:サンイルの手順;参加者と参加理由,役割

cf. 村人の人間関係に関するデータ

 (3) データの整理と分析(拙稿1993

# 世帯調査のデータ(人口動態),祖先祭祀・門中活動の観察・インタビューとの関連付け

 

6.フィールド調査からの問題設定

#  当初の問題設定 に基づいたフィールド調査と 軌道修正

# フィールドワークの過程でのテーマの発見と調査

# フィールドワークでの全体的な体験,「実生活の不可量部分」の消化,反芻

 

7.調査研究の評価

# 質的調査として

 「比較的少ない数の事例をくわしく分析することによってできるだけ多くの要因の間の関連性を分析記述」

cf. フィールドワーカーの勘

# 代表性の問題

 Yマウルの事例から南原地域,あるいは韓国の農村について,何らかの普遍的あるいは一般的な事実を導き出すことができるか?

# 検証可能性

 フィールドでの個人的な体験を「科学的な」データとして扱うことは正当か?

cf. concrete, statistical documentation… (Malinowski 1922)

# 民族誌表象の正当性,民族誌家の特権性(James Clifford

⇒実験的民族誌の試み

# 条件付きの打開策として

  ・量的調査との接合

  ・他地域の民族誌との比較検討

  ・フィールドへのフィードバック

 

 


フィールド研究2

1.韓国の地方都市でのフィールド調査

2.吏族有志の人脈 :契案の整理と分析 から

3.植民地期の地方有志と吏族

4.吏族有志のライフヒストリー

5.フィールド調査と文献研究

6.質的方法の効用

 

1.韓国の地方都市でのフィールド調査

(1) 邑内の今昔

# 都市としての歴史は浅い。人口集中,市街地の形成,商工業等,都市的な特徴を見せ始めるのは近代に入ってから。

# 朝鮮後期の邑治

・中央から派遣された地方官(科挙官僚)が駐在

・行政・軍事施設,王朝の儀礼施設

・地方官衙で行政実務を執る郷吏や軍事・警察を担当する将校とその家族,ならびに諸施設に帰属する奴婢が居住

・邑内市場

・近隣に手工業に従事する被差別民の集落

# 近代的な行政機構・公共機関の導入

・郡庁,税務署,裁判所,憲兵警察,郵便局,金融組合・銀行,病院,普通学校

# 開化

・キリスト教会,写真館,劇場

# 1920年代以降の開発

・道路・交通網の整備,市区改正,組合・会社,商店・繁華街の形成

 (2) 吏族

# 郷吏

・地方官衙の実務担当者として,王朝国家と地方社会を媒介。

・漢文の識字能力。

⇒「仲介エリート」(李相1990『朝鮮後期の郷吏』)

⇔科業に従事する士族からは,実務担当者として賤視される。

⇒甲午改革(1894年)を契機とする法的身分制の解体以降は,このような「両班」的な視線が一般庶民にも共有され,スティグマを負った存在に。

# 朝鮮末以降の吏族(郷吏世襲家系)の動向

 ・政治経済的地位の上昇(地主,官員,有志)=いわゆる「社会進出」

〜地方都市の中産層

〜離散

 (3) 南原K会の調査:宝探し型調査

# 吏族の発見

1989年,養老堂への訪問

 「養老堂は再乱の6年後に発生」

 「地方官衙を退官した者が出入りした少年契が母体」

 「55歳をすぎると老人契に移った」

 「老人契の顧問は府使で,老人たちと相議した」

 「少年契には衙前の子孫たちが出入りした」

・南原吏任・武任先生案 の刊行・解題

1998年,都市化をテーマとする共同研究の一環で調査開始

# 2つの事象の関連付け

  1) 郷吏

  2) パンソリ,春香祭

⇒この2つの接触面として,植民地期の邑内社会

 (4) 所蔵文書

1) 老経所関連文書

 ・老契所契案(1872年〜),節目(190329年),路奠契案他

2) 禅院寺契関連文書

 ・伝掌録(1767年),宿願録(1809年),禅院寺契案(19世紀後半〜),節目・契約書(190230年)

3) 関王廟契関連文書

 ・契案(1864年〜),協議金補助文・趣旨書(191626年),事例冊(20世紀前半)他

 (5) インタビュー

# 南原K会の沿革と活動

# 吏族家系 (姓氏,門中

# 吏族家系出身者

 

2.吏族有志の人脈:契案の整理と分析から

# 老契所成員輩出家系【表8

 ・主導家系:寧川李氏4 家系,南原梁氏2 家系

 ・非主導家系:江華魯氏,玉川趙氏,利川徐氏,晋州姜氏,金海金氏,密陽朴氏,東莱鄭氏

# 禅院寺契,関王廟契との成員の重複

# 吏族共同体/士族共同体のすみわけ

  ・家系

  ・生活拠点

  ・長老結社

  ・儀礼活動

 

3.植民地期の地方有志と吏族

# 事例1:魯鼎洙(1852-1925

・吏族非主導家系の出身:戸房夢辰の弟夢星の玄孫

・母が主導家系出身(梁七潤[1850-1919]四寸),従姉妹の夫が非主導家系有力者(趙馨夏[1866-1943]

・郷吏の要職(都書員,刑房,戸房)を歴任

・近代的行政機構で地方官員(南原観察府主事)

・老契所運営の中心に:19023年財政再建,1906年揖升亭奪還,1918年財源再整備

# 事例2:李河徳(1860-1946

・吏族主導家系の出身:10世承彦以下,養父光淵までの10代の直系祖先のうちで8名が戸長あるいは吏房をつとめる。

・郷吏の首職(戸長)を歴任

・近代的行政機構で中央の官職(宮内府主事,中枢院議官)につく。

・老契所運営の中心に:1918年財源再整備,1931年揖升亭改築

・関王廟の運営:1916年聖帝廟龍袍改服

# 事例3:梁栽英(18811930

・吏族主導家系の出身:6代祖が戸長・吏房,5代祖,曽祖父が戸長・吏房・監営吏

・植民地期初代南原面長,1923年から奏任待遇,1931年まで在任。

・行政と地方社会の媒介者的役割:1927年政務総監に,1929年全北知事に郡民代表として陳情。

・公益的事業への関与:1922年南原公益商事監査,1927年南原電気会社監査,1929年頃南原金融組合長。

# 事例4:李R純(18901964

・吏族主導家系の出身:高祖・曽祖が戸長・吏房。父は吏房

・青年会運動,民族主義運動への関与:1926年南原青年会評議員長,1929年新幹会南原支会副支会長

・芸能の振興:1921年南原券番設立,1931年春香祠設立

・吏族の伝統への関与:1922年奮衛亭奪還と改修,1931年揖升亭改築の提議,1957年関王廟の改修

・その他:1936年錦水亭建設,1946年南原中学校設立期成会

# 郷吏退任者による身分伝統の形成(事例12

# 近代の経験をベースとした伝統の再生産(事例34

 

4.吏族有志のライフヒストリー

# A氏:1924年,邑内竹巷里に生まれる

# 吏族家系に生まれて

・主導家系の周辺的な系統

・祖父は面書記,父は里長

# 教育

・書堂

・普通学校

⇒父系/非父系親族・親戚,友人

⇒場所への帰属と社会ネットワーク(在地社会)

# 左翼活動への関与

・一族の左翼指導者との交遊

# 左右の政治的対立に翻弄された20

# 国会議員秘書

・同じ家系の右翼指導者からの誘い

# 南原邑内で各種事業⇒市場管理会社専務

 ・親友,先輩

 ⇒人脈の広がり

#  地域開発事業への関与

# 国楽振興

 ⇒近代の経験をベースとして伝統に関与する有志

 

5.フィールド調査と文献研究

# フィールドでの文字資料の発見

⇒新たなテーマの発見

⇒フィールド調査/文献 ・文字資料の収集

ex. 近代性の形成と「伝統」

・南原吏族の場合,甲午改革前後から1920年代まで,郷吏経験者を中心に身分伝統(旧身分と関連付けられるような伝統)の形成が進んだ。

1920年代以降の地域開発に媒介者として関与⇒「伝統」への関与

・A氏の例

# 文字資料(文書,碑石,額)の意味機能

 ・なぜ,どのような文字資料を残すのか?

 ・過去と現在の対話としての歴史(歴史認識)

 ⇒歴史構築の主体は?

 ・抑圧・隠蔽された過去の再構成

# フィールドの脈絡で文書・資料を読み直す(土地勘,現場感覚)

 

6.質的方法の効用

# フィールド調査と文献研究の対照

⇒社会をさまざまな側面から捉えること

# 質的データの宝庫としての民族誌