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2012年クルグズタン調査報告
澤田稔(富山大学)

 概要
  • 出張者:澤田稔(富山大学)・秋山徹(日本学術振興会特別研究員)
  • 日程:8月4日〜14日
  • 用務地:ビシュケク等
  • 用務先:国立歴史博物館等
 報告
2012年8月4日から14日までの日程で、クルグズスタンにおける実地調査のため出張した。研究協力者としてクルグズスタン近代史の専門家である秋山徹氏(日本学術振興会特別研究員)に同行していただいた。クルグズスタンの首都ビシュケクには空路ソウル、タシュケントを経由して入った。経由地のタシュケントでは航空機の乗り換えのため1泊し、アミール・ティムール広場、シャイフ・ハーヴァンド・タフール廟、カルディルガチュ・ビイ廟、ユーヌス・ハーン廟を訪ねた。アミール・ティムール広場は樹木が切り取られて木陰がなくなっていた(治安対策という)。



アミール・ティムール広場
 

ユーヌス・ハーン廟

ビシュケクでは国立歴史博物館を訪ね、クルグズスタンの民俗資料や近代史に関する展示物を調べた。さらにアイギネ文化センターを訪問し、クルグズタンの聖地に関する研究資料を入手した。ビシュケクの南郊、アラ・アルチャ自然公園へ行く途中にバイティクの廟がある。丘の斜面に墓地が広がっており、その入口にこの廟がある。墓守らしい老人が説明してくれた。1870年代に建てられたという。この廟のなかにはバイティク・カナイ(1820-1886、ソルト族の部族指導者)の墓はなく絨毯が敷かれており、そこで祈りがなされているのかと想像される。遺体は横手の草むらになっている所に埋葬されているという。墓地を奥に少し進むと、ウズベク・ボシュコイ(1820-1911、バイティクの遠い縁戚)の廟がある。大きな鳥かごのような形状はユニークである。どちらの廟の前にもベンチが据えられており、詣でる人たちがいることを示している。



 バイティクの廟


 ウズベク・ボシュコイ

ビシュケクからウスク湖の周囲、さらにコチコル、タラスを経てビシュケクへ戻る調査旅行に出た。車と運転手、宿泊所はビシュケクにある旅行社Novi Nomad社に手配してもらった。ウスク湖にいたる幹線道路に近いクラースナヤ・レーチカの遺跡とトクマク郊外のアクベシム遺跡を見学する。アクベシムの城壁跡はよく残っていて、上部には車の轍が残っている。ウスク湖沿岸に達する前に幹線道路を左折して大ケミンの流域に入る。狭い渓谷部を抜けると、盆地状の平原に出て村が現れる。シャブダン・ジャンタイ(1840-1912、サルバグシュ族の部族指導者)の廟を訪ねた。



 クラースナヤ・レーチカの遺跡


アクベシムの遺跡


 シャブダンの廟


大ケミンの盆地

ウスク湖東端のテュプ町の手前にバルバイ(1791/92/97-1867、ブグ族出身)の廟がある。建設中か改修中のようである。カラコルの民宿で1泊して市内の博物館、ドゥンガンのモスク、プルジェヴァルスキーの像のある公園を見学したのち、ウスク湖の南岸を西方へ向かった。サルゥ村で左折してジュウクゥ川沿いに広がる平野部を南へ進む。途中で出会った青年に訊ねて、ようやくバルチャクの廟を見つけた。幹線道路のすぐ西側の荒地にあるが、木立や草むらで道路からは隠れていて、よく見えなかったのである。建物の円形屋根は半ば崩れており、その下に墓があった形跡もない。ウスク湖南岸のほぼ中央部のトン村にマンジュルゥ・アタという聖地がある。ビシュケクのアイギネ文化センターの職員から、有名なマザールであると聞いていた場所である。入口には管理ないし訪問者用とおぼしき建物があり、ゆるやかな丘陵のくぼ地に7つの泉水があり、病を治す効能があるとされている。西進してカラ・コオ村から幹線道路を南へはずれ山地沿いに進む。目的のトゥラ・スウの廟とコングル・オレンの廟を見つけられず、夕闇が迫ってきたので断念する。夜道を走りコチコル市の民宿にたどり着いたのは21時20分であった。
    
 

 バルバイの廟の外観と内部
 

 ドゥンガンのモスクの外観と内部
 

 バルチャクの廟
 

マンジュルゥ・アタ

 翌日、コチコルから日帰りで廟の調査に行く。コチコル市とナルン市の中間にドロン峠(標高3030m)があり、その北側の草原状の山裾にドロン・アタ・マザールがある。大きな岩石が柵で囲われており、横手に建物がある。ナリン市から西方に向かい、クルトカ川がナルン川に合流する地点のアクタラ村にタイリャク(1796-1838)とアタンタイ(1796-1837)の廟を訪ねた。ふたりは兄弟で、サヤク族の指導者である。この新しい建物は建築中なのか内部は荒れている。またその周辺には、かつてグンベズ(廟)であったとおぼしき荒廃した建造物がいくつか見られる。
    


 ドロン・アタ・マザール


 タイリャクとアタンタイの廟


 タイリャクとアタンタイの廟の内部


タイリャクとアタンタイの廟の周辺

コチコルから幹線道路を西へ進み、タラス市に向かう。途中のクザルト峠(2670m)の前後には草原が広がり、馬が放牧されている。ジュムガル川の沿道では墓地が多く見られ、グンベズの崩れた跡とみられる物も多くあった。ビシュケクとオシュをつなぐ快適な幹線道路に入ると、クムズ(馬乳酒)を売っているクルグズ人たちや放牧された馬群も目につく。タラス市の郊外にあるマナスの庭園(マナス・オルド)に到着し、外国人料金ひとり200スムを払って入園する。博物館と「マナスの廟」を見学する。一般的な観光客が多く見られるが、博物館前で祈りを捧げている家族づれもいた。また博物館の裏手にある小高い山に登っている人々もいた。
    


マナスの庭園内の博物館と小山


「マナスの廟」

タラス市に一泊して翌日、ビシュケクに向かう。途中のテヨオ・アシュゥ峠(3586m)にはトンネルが掘られ幹線道路が通じている。峠の南側の幹線道路沿いは草原であるが、峠の北側は風景が一変して急峻な岩山や崖が迫る渓谷となっている。トンネルが開通し道路が整備されなければ、荷車さえも通過が困難な難所であったであろう。クルグズ山脈の北麓を東西に伸びる幹線道路を東進して、途中ビシュケク市の手前でジャルケバイのグンベズを探して農村部に入ったが、平凡な墓地を見ただけであった。ビシュケク市に帰還後、市内のラリテット書店などで資料を収集して調査を終えた。