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ウズベキスタンにおける史料調査報告
河原弥生(イスラーム地域研究東京大学拠点特任研究員)

 概要
  • 調査者:河原弥生(イスラーム地域研究東京大学拠点特任研究員)
  • 日程:2009年3月9〜21日
  • 用務地:ウズベキスタン共和国(タシュケント・フェルガナ盆地)
  • 用務先:ウズベキスタン共和国科学アカデミー東洋学研究所、フェルガナ盆地
 報告
調査者は、2009年3月9〜21日にかけて、ウズベキスタンのタシュケントおよびフェルガナ盆地において、史料調査を行った。

まず、3月10〜11日には、タシュケントにおいて、科学アカデミー東洋学研究所に所蔵されるテュルク語作品、ムハンマド・アズィーズ・マルギラーニー著『アズィーズィーの歴史』(No.11108)を閲覧し、その内容について、現代ウズベク語訳本との比較調査を行った。20世紀初頭に執筆された本作品は、ロシア帝国によるコーカンド・ハーン国併合後、新たに編成されたフェルガナ州マルギラン郡の行政部門に勤務した著者が、当時のフェルガナ盆地の政治的・社会的変化の状況を詳しく記した貴重な史料であり、著者の手稿本のみが現存し、東洋学研究所に所蔵されている。1999年にタシュケントにおいて、ワヒドフ、サンギロワ両氏により、その現代ウズベク語訳本(以下、訳本と称す)が出版されたが、訳本は、元の写本の葉数が示されていないなど、不十分な内容であり、そのまま史料として利用するには難があった。そのため、今回の調査で写本と訳本の比較を行ったところ、訳本には、その他にもいくつかの重大な問題点があることがわかった。まず、訳本は、序文において作品の第5章の翻訳であると述べられているが、実際には、第5章(写本の131b-234b)の後半のみ(168a-)の翻訳である。また作品のテュルク語と現代ウズベク語との間に理解が困難なほどの大きな差異がないにも関わらず、極端な意訳をして内容が変化している部分が多々見られた。さらに、訳本では、何ら断りなく数行から数葉単位の大幅な省略を行っている箇所も見つかり、訳本の質の低さに失望するとともに、今後の利用に際しては写本を精読する必要性を改めて感じることとなった。

3月12〜19日には、フェルガナ市に滞在し、フェルガナ盆地において未だ民間に所蔵されているコーカンド・ハーン国期に関わる史料の調査を行った。今回の調査では、これまでの調査において発見しつつも複写する機会が得られなかった史料(3件)を複写した他、新たな史料の発見(1件)もあった。

前者の一件は、アンディジャン郡アサカ市に在住する男性が所蔵する4点の文書である。男性は、自らの一族を、カーディリー教団の名祖、アブド・アルカーディル・ジーラーニーの子孫であると称しており、これらの文書はコーカンド・ハーン国期におけるカーディリー教団の活動の解明に益する可能性がある。二件目は、マルギラン市に所蔵される聖者伝の1写本である。この聖者伝の主人公、ワリーハーン・トラは、東トルキスタンで活動した所謂カシュガル・ホージャ家のアーファーク・ホージャの女系の子孫を称する一族の構成員であり、子孫に伝わる伝承や上述の『アズィーズィーの歴史』によると、コーカンド・ハーン国末期において民衆蜂起を主導した人物であり、子孫の所蔵する本写本は、他の諸史料には見られない貴重な情報を提供する興味深い史料であると言える。三件目は、フェルガナ州バグダード郡チェク・ヒタイ村に所蔵される1点の系譜書である。一方、今回の新発見史料は、コーカンド市に所蔵される4点の文書である。これらの文書は、マフドゥーミ・アァザムの子孫で19世紀初頭にサマルカンドのダフベードからコーカンド・ハーン国に到来したと伝えられるメフマーン・イーシャーンというある聖者にまつわるものである。

これらの史料はスキャナーを用いて精度の高い複写を行うことができたので、今後は史料の解読と研究に励みたい。

この度のフェルガナ盆地における史料調査では、フェルガナ州文化財保護利用管理局歴史考古学研究員のアブドゥルアハトフ氏の多大なるご助力を賜った。この場を借りて感謝を申し上げたい。




ワリーハーン・トラの埋葬されるウルグ・ハズラト・バーバー廟(2003年撮影)


ワリーハーン・トラ邸内部(2003年撮影)


春のフェルガナ盆地