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第11回Central Eurasian Studies Society年次大会パネル"Socio-Cultural Continuity and Change of Islamic Practices: Anthropological Approaches"報告
藤本透子(国立民族学博物館)

 概要

  • 開催日時:2010年10月29日(金)9:00‐10:45
  • 会場:アメリカ合衆国ミシガン州立大学ケロッグ・センター
  • プログラム:
    • 司会 Jeanne Féaux de la Croix氏(Zentrum Moderner Orient)
    • ディスカッサントJohn Schoeberlein氏(Harvard University)
    • 報告1 藤本透子(国立民族学博物館)
      "The Revitalization of Commemorative Rituals: Reconsidering Islamic Practices in Post-Soviet Kazakhstan"
    • 報告2 菊田悠(北海道大学)
      "Veneration of Patron Saints by Muslim Artisans in Modern Uzbekistan"
    • 報告3 今堀恵美(東京外国語大学)
      "Halal and Haram in Post-Soviet Uzbekistan"
    • 報告4 吉田世津子(四国学院大学)
      "Order, Disorder and Mosques in Rural Kyrgyzstan: Rethinking the Revitalization of Islam"

 報告

2010年10月28日〜31日にミシガン州立大学で開催された第11回CESS(Central Eurasian Studies Society)年次大会で、"Socio-Cultural Continuity and Change of Islamic Practices: Anthropological Approaches"と題するパネル発表を行った。このパネルは、イスラーム地域研究プロジェクトによる成果の海外報告であり、2010年9月に東京大学で開催された第24回中央ユーラシア研究会での国内報告をふまえたものであった。

具体的にCESSパネルでは、中央アジアで長期の人類学調査を実施した発表者4人が、フィールドデータをもとにイスラーム実践の持続と変容を論じた。中央アジア研究で人類学は新たに発展しつつある分野である。歴史や政治・経済分野の研究報告が多かったなか、本パネルは数少ない人類学分野のパネルであり、さかんな議論が交わされた。Jeanne Féaux de la Croix氏(Zentrum Moderner Orient)の司会のもとで以下の4報告が行われた。


1.藤本透子(国立民族学博物館)"The Revitalization of Commemorative Rituals: Reconsidering Islamic Practices in Post-Soviet Kazakhstan"

本報告では、カザフスタン北部パヴロダル州村落部での調査に基づき、カザフ人のイスラーム実践の持続と変化の特徴を捉える概念として、死者の霊魂(アルワク)の観念を中核とする「アルワク複合」が提示された。

藤本によると、カザフ人のあいだで死者は生者に影響を与える存在とされ、クルアーン朗唱や油脂の香りを出す儀礼によって供養される。ソ連成立以前には大規模な死者供養が行われ、イスラーム実践が制限されたソビエト時代にも小規模ながら存続した。ポスト・ソビエト時代には、モスクの急増と平行して、犠牲祭など本来は目的を異にするイスラーム祭日が、死者供養を中心に再活性化する現象が顕著に見られるようになっている。こうした死者の霊魂への崇敬は、系譜認識や「祖先の土地」の認識とも深く結びついている。

カザフスタン独立後に急増したモスク付属の教育施設やイスラーム大学などで学ぶ若者は、イスラームの教義を強調する。しかし彼らも、アルワクの概念に基づく死者供養を完全には否定せず喜捨(サダカ)の一種として許容する。アルワク複合はイスラーム伝播以前からのアニミズム的信仰を含むが、現代のカザフ人にとってはイスラーム実践と認識されている。その結果、カザフスタンにおけるイスラーム復興は、教義への回帰とアルワク複合の再活性化という2つの流れが交錯しながら生じており、死者供養がムスリムとしての彼らの宗教実践の中核をになっていることが示された。


2.菊田悠(北海道大学) "Veneration of Patron Saints by Muslim Artisans in Modern Uzbekistan"

この報告では、ウズベキスタン東部フェルガナ州リシトン市での調査から、ソビエト時代を経た陶工たちのピール(守護聖人)崇敬の持続と変容について論じられた。

菊田によると、ロシア革命以前、フェルガナ盆地の主要な窯元であったリシトンには2つの陶工組合があり、ナクシュバンドなどのピールを集団ごとに崇敬していた。ソ連時代になると集団化政策によって産業構造に大きな変化が生じ、陶工は国営工場で働くようになった。さらにウズベキスタン独立後になると、今度は国営工場が閉鎖されて無数の民営工房が開設された。こうした状況の下、外国人観光客の土産物や贈答用の高級陶器を生産する陶工たちを中心に現在もピール崇敬は存続している。現代のピール崇敬は、伝説、職場での祈り、脂の香りを出す儀礼、巡礼などの点でロシア革命前と類似性が高いが、リサーラの消失、昇進儀礼の減少、禁忌の減少も認められる。さらに新たな変化として、ピール崇敬が「真の」陶工を分ける指標とされ、オリジナルな製品を生み出すことへの願望が新たなピール誕生を促していることが注目されるのである。

ピール崇敬の存続理由として、菊田は、ソビエト時代の集団化政策の予期せぬ影響を指摘した。ソ連体制は職能者の徒弟制や同業者組合を中心とした社会関係を壊すよりも、むしろその多くの特徴を維持する方向に作用した。また、ソ連政権によってイスラーム知識へのアクセスが制限されたことも、ピール信仰が「正しいイスラーム」として続く結果となった。さらに、ピールが優れた資質を持つだけでなく労働によって生きたことは陶工にとって大きな魅力であり、現代にピール崇敬が存続する要因となっていることが示唆された。


3.今堀恵美(東京外国語大学) "Halal and Haram in Post-Soviet Uzbekistan"

本報告は、ウズベキスタンの首都タシュケント市におけるハラール食品の展開に着目してイスラーム復興をとらえたユニークな研究であった。

今堀によると、ウズベキスタンではタシュケント市を中心に「ハラール」を銘打った肉加工食品の生産が増加している。ハラール食品メーカーの特徴は、1)屠殺法の管理はなく、ウズベク人の屠殺であればハラールとみなす、2)ハラール食品製造への本格的な参入は2004〜2006年頃である、3)非ハラール食品を製造・販売する経営者の大半はウズベク人である一方、非ムスリムがハラールを販売する会社もある、などの点である。

ハラール食品の展開の背景には、ナマーズ・ハーンと呼ばれる人々の出現がある。ナマーズ・ハーンは、政治的に急進的でもなく慣習的イスラームを守る人々でもない。彼らは日常生活の中で「正統」なイスラームを目指す人々であり、ウズベキスタンにおける新しいムスリム・カテゴリーとして位置づけられる。

ハラール食品は、トルコ系資本などによって開設された大手スーパーなどで販売される。大手スーパーは、「ソビエト規格文化」から豊かな「もの」のあふれる世界への移行を象徴し、グローバリゼーションそのものともいえる。しかしここで注目されるのは、それがイスラーム的価値を伴っているがゆえにウズベキスタンの人々に受け入れられていることである。本報告では、豊かな「もの」の世界とイスラームの共存が、ソビエト時代を経たウズベキスタンのイスラーム復興のひとつの特徴であることが示された。


4.吉田世津子(四国学院大学)"Order, Disorder and Mosques in Rural Kyrgyzstan: Rethinking the Revitalization of Islam"

本報告は、クルグズスタン北部ナルン州のクルグズ人村落での調査から、イスラーム宣教活動ダヴァット(davat)に着目して、モスクが社会的秩序と反秩序という両義性をもつことを明らかにするものであった。

報告によると、クルグズスタンのモスクの数は1990年代から2000年代にかけて急増した。地域社会では飲酒が社会問題化しており、モスクの礼拝への参加は同時に禁酒を意味するため、村人たちはモスクを社会的秩序の維持に貢献するものとして肯定的に評価する。一方で、2002年にクルグズスタン・ムスリム宗務局によって開始された宣教活動ダヴァットは、村人たちによって反秩序ともみなされる。ダヴァット参加希望者はモスクに集合し、グループに分かれて近隣/遠隔地区に派遣され、地元住民にシャリーアを教える。彼らは家族の面倒を見ないことも多く、葬式出席などの重要な社会的義務を果たさないこともある。ダヴァットに傾倒する熱心な信者や彼らを主導する宗教指導者は宗教的権威をもつので公然と批判されることはないが、村人たちによって反社会秩序の体現者としてしばしば否定的評価をくだされるのである。

本報告からは、モスク数の激増という急速で力強いイスラーム復興に思われる状況も、地域社会の視点に根ざして分析することで、国家とは異なるローカルな社会的文脈における秩序/反秩序が見えてくることが明示された。


ディスカッサントのJohn Schoeberlein氏(Harvard University)によるコメント

4報告の後、ディスカッサントのJohn Schoeberlein氏から、コメントと質問が寄せられた。まずパネル全体の特徴として、ポスト・ソビエトという文脈でイスラームをあつかった諸研究であったことが指摘された。その上で、イスラームにおける「正統」とは何かという問題をめぐり、イデオロギーだけに着目するのではなく、日常生活におけるイスラーム実践に焦点をあてた研究であったことが評価された。また、民族誌的方法から歴史をあつかうのは難しいことだが、それにあえて挑んだチャレンジングな報告であったと総括された。

次に、個別の報告についてコメントがあった。それによると、藤本の報告は、イスラームと祖先信仰という矛盾する内容が共存していることがよく描かれていた。年配の人々と若者たちのあいだの見解の相違にもふれられていたが、どのような宗教施設に若者たちが属すのかさらに明確にしていくことが重要である。また、祖先信仰を広い文脈に位置づけた点が評価されるが、系譜がどのような社会関係を反映しているのか、社会関係の変化はあるのかなどの点を明らかにすることが今後の展開として望まれるという指摘があった。

菊田の報告は、経済変化のなかでのピール崇敬の持続と変容が非常によく分析されていたことが評価された。その上で、市場との関係においてこれらの儀礼の意味は何であるのか、ポスト・ソビエト時代のピール崇敬に資本主義がどのように反映されるのかが今後明らかになると、さらに意義深い研究になるとの指摘があった。

今堀の報告は、概念のエスノグラフィではなく生産のエスノグラフィであるという特徴があり、ハラール食品をとおしてみえてくるリンクが描かれていたことがたいへん興味深いと評価された。その上で、人々はなぜハラール食品を選ぶのかという消費行動の側面や、屠殺方法をチェックせずハラールとみなすことを可能にする信頼関係のあり方などについて、より詳しい説明が求められた。

吉田の報告については、時間の関係からJohn Schoeberlein氏によるコメントは非常に短いものであったが、社会秩序の新たなイメージを語った研究であると高く評価された。さらに、どのようにモスクという新しい空間が機能していくのか、今後の研究が期待されるというコメントが寄せられた。


質疑応答

John Schoeberlein氏のコメントの後、会場からの質疑にうつった。30名を越す参加者からは、さかんな質問が寄せられた。人類学的アプローチという方法論に関する質問があったほか、個別報告については特に吉田に多くの質問が寄せられた。報告の順に質疑応答の概要をまとめると以下のとおりである。

藤本の報告については、研究の概念的枠組み、遊牧文化の遺産としての死者供養の比較研究、に関する質問があった。これに対して藤本からは、中央アジアのイスラームに関する人類学という研究枠組み、中央アジアにおける死者および祖先への崇敬に関する比較研究の可能性について回答があった。

菊田の報告については、venerationの意味は何か、ピールとスーフィーの関係はあるのか、またポスト・ソビエト時代の企業家のモラルと職人の伝統をどう理解するか、という質問があった。これに対して菊田からはピール崇敬はイスラーム信仰の範囲内であるという当該地域社会に浸透した共通認識があるため、worshipではなくvenerationの語で描写したこと、歴史的起源はともかく現在では職人のピール崇敬とスーフィズムの関連は薄いこと、ポスト・ソビエト時代において企業するという新たな経験に伝統的なピール崇敬がモラル上の一基盤を与えているという回答があった。

今堀の報告については、ハラール食品の製造工程への信頼を可能にしているシステムについて質問があった。これに対して今堀からは、ハラールをめぐる情報はインターネットで掲示されているが、公的機関とかかわりは今後調査を続けていくつもりであると回答された。

吉田の報告については、イスラーム宣教活動ダヴァットに質問が集中した。ダヴァットはクルグズスタン独自の運動なのか外国から流入したのか、また世界規模のイスラーム復興の動きとどこまで連携しているのか質問があった。さらに、ダヴァット参加者の年齢層、費用の工面、宗教的リーダー概念の変化とのかかわりなどについて質問が寄せられた。これに対して吉田からは、クルグズスタンにおけるダヴァットには明らかにパキスタンのタブリーギーが影響を与えていること、農村クルグズ人青年層にとってはイスラーム教育への窓口と位置づけ可能なこと、特に近隣地区でのダヴァットは少額の参加費用で済むこと、またソ連時代のイスラーム宗教指導者層とポスト・ソビエト時代のそれの間には明らかに断絶が指摘できるという回答があった。

以上、1時間45分という限られた時間であったが、本パネルには欧米、トルコ、中央アジアなど多地域から研究者が参加し密度の濃い報告と議論が展開された。人類学的アプローチの特徴は、教義に照らして正誤を判断するのではなく、現地の人々がイスラームとみなす信仰実践に焦点をあてて地域社会の動態のなかで分析する点にある。今回の藤本と菊田の報告は、ソ連成立以前からポスト・ソビエト時代にいたるローカルなイスラーム実践の持続と変容をとらえたものであり、今堀と吉田の研究はソ連崩壊後の20年間に新たに生じた現象に焦点をしぼった報告であった。歴史学や地域研究などともリンクしつつ、今回のCESS発表の成果を活かし、中央アジアのイスラームに関する人類学研究をさらに進展させていくことが望まれる。
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