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ロシア出張報告
濱本真実(人間文化研究機構)

 概要

  • 日程:2010年3月4日(木)〜3月12日(金)
  • 用務地:ロシア(モスクワ市)
  • 用務:モスクワにおける調査

 報告

写真1
国立古文書館
写真2
国立古文書館
今回のモスクワ訪問の主要な目的は二つあり、そのひとつが、現在私が主要な研究テーマとしているタタール商人に関する史料を国立古文書館(写真1,2)で調査することだった。ロシアでは18世紀初めから人頭税の徴収を目的に、詳細な人口調査記録が作成されていたのだが、今回は、とくに18世紀半ばのオレンブルク地方周辺の人口調査記録を調べた。

当初の目的は、1747年に作成されたオレンブルク市とその周辺の人口調査記録のうち、セイトフスキー・スロボダーと呼ばれるタタール商人の移住地の記録から、具体的にどのような人々がこの町に移住してきたのかを確かめることだったのだが、文書館で詳細な目録をチェックしているうちに、1762年に作成されたこの移住地の人口調査の記録も存在することに気づいた。1762年の記録は非常に状態が悪く、最初の十数葉は破れていて部分的にしか読めず、全体的にインクも薄れていて、最初は利用不可能に思われたほどだったが、読解可能な範囲で1747年の記録との比較を行った。

これらの比較から様々な事実が明らかになったが、もっとも大きな発見は、セイトフスキー・スロボダーの商人の一団が1750年にブハラ、インド、メッカ、イスタンブル等に旅した記録『イスマーイール・ベクムハンマドの旅行記』の著者、イスマーイール・べク・ムハンマドと、その同行者を、1747年と1762年の人口調査記録で確認できたことだった。この旅行記は近年、種々の旅行記を参考にして記された贋作だという意見が出されていたのだが、少なくとも、この旅行記に記された一団の商人がセイトフスキー・ポサードからブハラ、その他の都市に赴いたことだけは、1762年の人口調査の記録からあきらかになった。

この調査の成果は、TIASで2008年9月に開催したカザン会議の成果として出版予定である、以下に述べるロシア語論文集掲載の論文に反映させるつもりである。

出張の目的の第二は、モスクワの東方文芸社から出版予定の上記のロシア語論文集に関する打ち合わせだった。この論文集の出版に関しては、出版社との契約の条項にいくつか問題があり、本来2009年度内に出版できるはずだった出版計画が遅延していた。幸い、今回の訪問でこれまで挙がっていたすべての問題を解決できたので、2010年度中には本論文集を出版できる見込みである。

写真3
ロシア国立図書館と
ドストエフスキー像
このほか、ロシア国立図書館(写真3)と歴史図書館で二次文献の収集をおこなったが、両図書館で、図書の電子画像化が強烈な勢いで進んでいるのを実感した。ロシア国立図書館では、電子図書館のサイトhttp://elibrary.rsl.ru/が着々と充実されてきており、館内でこれらの図書を即座に閲覧できるほか、一部の図書は世界中どこからでもインターネットを介して閲覧できるようになっている。歴史図書館では貴重書の電子画像化がほぼ完了し、貴重書のコピーがほしい場合には、その電子画像を買わねばならず、以前のように閲覧者が自分で写真撮影することはできなくなった。

ロシアでは昨年、サンクト・ペテルブルグでエリツィン大統領図書館が開館しhttp://www.prlib.ru/Pages/Default.aspx、ここでは各地の図書館や古文書館の文献の画像を図書館のパソコンで見られるようにするという目的のもと、すさまじい勢いで文献のスキャンが進められており、その一部はインターネット経由でも見られるようになっている。日本に居ながらにしてロシアの一次文献、二次文献をインターネット経由でほとんど入手することができるようになる日も、そう遠くないかもしれない。
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