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クルグズスタン(キルギス)調査報告
吉田世津子(四国学院大学社会学部・准教授)

 概要

  • 日程:2007年8月18日〜8月30日
  • 用務地:キルギス共和国(ビシケク市、ナルン州)
  • 用務先:キルギス北部農村地帯
  • 用務:社会人類学的現地調査

 報告 (文章・画像ともに引用・転載不可)

このたび「イスラーム信仰実践の動態に関する人類学的研究」の一環として、クルグズスタン(キルギス)北部農村(K村と仮称)で現地調査を行った。今回のK村での滞在期間は10日間弱と短いため、ここでは現地で見聞きし体感した変化の断片、またそれについて考えたことを報告したい。

K村@ K村A


ここ数年、K村(住民の圧倒的大多数はクルグズ[キルギス]人)を訪問するたびに感じる変化は、「イスラーム信仰実践」のあり方にかかわっている。たとえば、大変少数ではあるが、20〜30代の男性であごひげを生やしている人がいる、常に髪をスカーフで覆っている女性がいる、といった変化である。これは一見してわかりやすいだけに、村人自身が変化を体感するマーカーともなっている。だが、これ以上に村人にとってイスラーム実践のあり方の変化を予兆させるのは、「モルド」と呼ばれる者の増加である。

これまで筆者は別の論考等で、「モルド」を「イスラーム宗教職能者」と説明してきた。通常はクルアーンをアラビア語で読誦できる者で、葬式の礼拝や、モスクでのイスラーム祭日の礼拝を先導でき、イスラーム式の結婚式(ニケ)を司式できる男性である。だが、今回の調査で特に気がついたのは、村人の日常会話における「モルド」という言葉が、重要な意味をもう一つ持っていることだった。それは1日5回の礼拝を欠かさず行い、酒を飲まない人を指す。つまり、「礼拝」と「禁酒」に関するイスラーム規範を厳格に遵守する男女もが、「モルド」と呼ばれているのである。モルドという言葉に2つの意味があることによって、非常に興味深い会話表現が可能となる。「最近○○はモルドになった」「××はモルドをやめた」「△△はしばらくやめてたけど、またモルドになってる」(○○・××・△△ともに人名)等である。


K村中央のモスク
他の地域のクルグズ人と同様に、K村住民も自身が「ムスルマン」(ムスリム)であることを疑う人はありえない。彼らはみな唯一神「クダイ」(アッラー)を信仰し、預言者ムハンマドを崇敬する人びとである。だが、上述のことから窺えるのは、「ムスルマン」のなかにさらに「モルド」と呼ばれる人びとがおり、「モルド」自身も2つに区別が可能である、ということだ。さらに「礼拝」と「禁酒」の遵守を規準とした「モルド」は「なったりやめたり」が可能な、流動的なカテゴリーといえよう。

K村住民からしばしば聞くのは、「最近モルドが増えた」「宗教に興味を持つ人が増えた」という話である。ここで彼らの念頭にあるのは、おそらく宗教職能者としてのモルドではなく、規範遵守によるモルドのことであろう。宗教職能者としてのモルドはまず男性であり、特にモスクでイスラーム祭日を先導するイマームともなれば、結婚しておりまた五体満足でなければならない。だが規範遵守によるモルドは、当然ながら世代・性別を問わない。いきなり家族の1人や親族、隣人が一念発起して礼拝を始め禁酒し、モルドとなることがあり得るのである。こうしてモルドとなった人は往々にして、様々な機会に、他の家族や親族・隣人にもイスラーム規範の遵守を積極的に働きかけてゆくことがある。たとえばK村では墓に死者の遺影を掲げたものが数多くあるが、イスラーム規範に反しているのでやめた方がよいと言ったりするなどである。この、規範遵守による流動的なモルド層の出現は、ポスト・ソヴィエト時代のK村において大きな変化といえるであろう。


K村墓地@ K村墓地A
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