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サンクト・ペテルブルク、オレンブルク資料調査報告
濱本 真実(東京大学大学院人文社会系研究科附属次世代人文学開発センター・研究員)

 概要

  • 日程:2007年6月5日〜6月28日
  • 用務地:サンクト・ペテルブルク、オレンブルク(ロシア)
  • 用務先:ロシアナショナルライブラリー(サンクト・ペテルブルク)、オレンブルク地方文書館
  • 用務:サンクト・ペテルブルクとオレンブルクにおける文献調査、およびカルガル村の訪問

 報告

今回の調査では、研究テーマ「近現代中央アジアにおける再イスラーム化の展開」の一環として、18世紀末のロシアにおける最初のイスラーム復興運動の研究のためにサンクト・ペテルブルクのナショナル・ライブラリーとオレンブルク地方文書館を訪れた。ここでは、日本人の訪れることの稀なオレンブルクにおける調査について述べる。

オレンブルク地方文書館は、オレンブルクの目抜き通りSovetskaia ulitsaに面した小さな建物であり、2年前に改修されたばかりとのことで内装が新しく、小さな閲覧室にはエアコンもついていて、快適に作業できる。日本の図書館からの紹介状で利用させてもらえた。開館時間は、月−木曜日が9:30−5:00、金曜日が9:30-4:00である。文書は料金を支払って自分で写真撮影することが可能である。

この文書館には、オレンブルクができた18世紀半ばから、20世紀までの文書が保管されている。第一次大戦期に、ロシアと中央アジアの関係についての文書の多くが軍人の関与によって失われてしまったということであるが、それでも、貴重な文書が数多く残されていた。しかし、3年前火事に見舞われ、その際にかなりの文書が焼けてしまったとのことで、現在は、備え付けの目録に基づいて文書を注文しても、焼けてしまったため、或いは、文書の状態が悪いために出してもらえない文書がある。調査者が頼んだ文書の中でも、四分の一ほどが閲覧できなかった。閲覧できた文書のなかにも、文書の端が黒く焦げていたり、おそらくは消火活動の影響ではないかと思われるが、水で一部インクが流れてしまっている、痛々しい文書が含まれていた。

カルガル商館
今回のオレンブルク滞在では文書館での調査以外に、タタール商人が中央アジアとの貿易の拠点とした、オレンブルク近郊の村カルガルを訪れることが目標であった。オレンブルク中心部からカルガルまではバスを乗り継いで一時間弱である。草原のなか、サクマラ川の川辺にあるカルガルは、現在はヤギや馬、アヒルなどがそこここで目に付くのんびりした村だが、商館として使われていた建物(写真右)や商店だったであろうレンガ造りの建物がいくつか残っており、この村が中央アジア・ロシア貿易の拠点として栄えていた時代の姿を偲ばせる。

カルガルモスク
カルガルには、現在は2つのモスクがあり、3つめのモスクとマドラサが建設中とのことである。入り口に「1749」と建設年が記されている、古いほうのモスク(写真左)のムッラーに話を聞くことができ、また、彼からカルガルの歴史に関する書籍を拝借した。

今回は、カルガル以外にオレンブルクでも市内に5つあるモスクを訪れたが、バシキール人のためにロシア政府が1837年に建設した、そのアジア的な建築様式で有名なキャラバン・サライと呼ばれるモスクが改修中だったのは不運だった。改修が終わった内部だけ見せてもらったが、美しく装飾されていた。外観の改修が終われば、すばらしいモスクが現れることであろう。

フサイニーヤ・モスク
かねがね訪れたいと思っていた、1894年にタタール人の豪商アフマド・フサインによって建てられたフサイニーヤ・モスク(写真右)は、すでに改修が済んでおり、外観を撮影することができた。このモスクはそばにフサイニーヤと呼ばれたマドラサがあったことでも知られているが、現在は、オレンブルク中央モスクの隣に、フサイニーヤと呼ばれるムスリムのための小さな教育機関がある。

今回はオレンブルクとカルガルのモスクにおいてムッラーたちから簡単に話を聞いたが、ちょっとした立ち話からだけでもオレンブルク周辺において現在、かなりの勢いで再イスラーム化が進んでいることが窺われた。続々と建設されているモスクやマドラサの資金源や、タタールスタンとの宗教的・文化的なつながり等、現在のバシキーリアにおけるイスラーム復興は、今後日本でも研究の待たれる課題である。
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