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第26回中央ユーラシア研究会報告 
秋山徹(日本学術振興会)

 概要

  • 日時:2011年2月5日(土) 14:00〜17:00
  • 会場:東京大学本郷キャンパス法文1号館2階、217教室
  • 報告者:桜間瑛(北海道大学大学院文学研究科博士後期課程)
  • 報告題目:「現代ロシアにおける民族的祭りの変遷と多層性―タタルスタン共和国における事例より―」

 報告

本例会は北海道大学大学院の桜間瑛氏にご報告をお願いした。桜間氏はこれまで、ヴォルガ・ウラル地方のタタール人の一グループで、ロシア正教を信仰する「クリャシェン」と呼ばれる集団について研究してきた(桜間瑛「「受洗タタール」から「クリャシェン」へ―― 現代ロシアにおける民族復興の一様態 ――」『スラヴ研究』56、2009年を参照されたい)。今回の報告は、氏が2008年9月から2010年10月までの約2年間におよぶ現地でのフィールドワークの中で得られた豊富な知見にもとづくものであった。帰国後間もないなかにもかかわらず報告を快諾してくれた桜間氏に感謝申し上げたい。

本報告で氏が着目したのは祭りである。現代タタールのシンボリックな祭りとなっている「サバントゥイ(ジエン)」とそれを流用した、クリャシェンの祭り「ピトラウ」の歴史的な変遷とその多様な相貌を、祭りを企画する側・受け止める側の認識の多様性に着目しつつ、そこに反映した、「民族」「文化」観を析出するという手法がとられた。

まず第一部ではロシア帝政期からソ連時代末期に至るサバントゥイとジエンの歴史的な変遷が概観された。革命以前のサバントゥイは代表的な「民族的な祭り」として位置づけられ、イスラーム、正教とのアンビヴァレントな関係にあった。ところが、ソ連期において、とくにサバントゥイはソ連権力による、そのイデオロギーに対応した変容の要請を背景に、「タタール民族」の文化のシンボルとして明確に位置づけられていったことが明らかにされた。

第二部では、現代のタタール、タタルスタン共和国におけるサバントゥイの位置づけについて、筆者の村落でのフィールドワークに基づく考察が示された。現代タタルスタンにおけるサバントゥイはソ連期以来の形式の踏襲している。「タタールあるところ、サバントゥイあり」という言葉が示すように、現代タタール、タタルスタン共和国にとってサバントゥイはタタールの存在証明であり、タタルスタン共和国における民族文化政策の中枢であるとの指摘がなされた。

第三部において、上述の考察を踏まえたうえで、現代クリャシェンの運動におけるピトラウ実践とその受容が検討された。クリャシェンにおいてサバントゥイ(ジエン)とは、古代からの民族的要素、正教的要素およびソ連期の変容が混在する多層的なものである。ママディシュ郡ジュリ村での事例によれば、同村落のピトラウにおいて「クリャシェン」という存在が顕示されており、現代タタルスタンにおける民族文化政策を利用しての、「民族文化」の宣伝が行われている。このなかでピトラウはサバントゥイとのアナロジーと、その差異化の努力が認められ、「民族文化」とその知識を重視する方向性が指摘された。最後に、ピトラウに対する人々の反応について言及され、彼らがピトラウに、過去の「本来の」姿との乖離や宗教的な要素を強く意識している点が指摘された。総じて、本報告はタタール、クリャシェンという集団の夏の祭りを例に、それが時代とともに変化をしつつ、様々な要素を内包しながら現在にいたっていることを提示するとともに、そこには、民族認識の多様性も反映していることを示した。

報告に対して、参加者たちからは、サバントゥイの歴史的起源、構成および地域差について、クリャシェンがサバントゥイに対して抱く違和感が果たして実際に経験したものなのか、あるいは知識として習得したものなのか、サバントゥイの開催には生活習慣のロシア化への危機意識が反映されているのか、サバントゥイを見せる対象は誰なのか、またサバントゥイと地方政治との関わりの如何といった、多岐にわたる質問やコメントが寄せられた。また、ロシア全体でのアイデンティティ・ポリティクスとの関わりにおいて、タタールスタン以外の地域における祭りの活性化の有無についてのコメントが参加者から寄せられたが、今後、博士論文の執筆作業を進めるに当たっては、イスラームおよびスラブ・ユーラシア地域研究、ロシア・ソ連史、あるいは文化人類学といったより大きな文脈への位置づけが重要な鍵になってくるように思われた。今後の研究の進展におおいに期待したい。
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