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第22回中央ユーラシア研究会特別講演会報告 
河原弥生(日本学術振興会特別研究員)

 概要

  • 日時:2010年4月23日(金)15:00〜17:00
  • 会場:東京大学本郷キャンパス法文1号館3階314番教室
  • 講師: バフティヤール・ババジャノフ氏(ウズベキスタン国立東洋学研究所主任研究員)
  • 演題:“A long road from “Dar al-Harb” to “Dar al-Islam”: The first discourse on the relationship with Russians in Turkestan[英語・通訳なし]
  • 司会:小松久男 (東京大学教授)

 報告

講演者であるバフティヤール・ババジャノフ氏は、ウズベキスタンの気鋭のイスラーム研究者であり、特に中央アジアにおけるスーフィズムの動向や、現代のイスラーム復興などに関して優れた研究を発表している。2009年11月から2010年4月までの半年間、日本学術振興会外国人研究員として東京大学に滞在し、コーカンド・ハーン国期におけるイスラームをテーマとして研究を行った。氏は滞在中に『コーカンド・ハーン国:政治、権力および宗教』と題する著書を完成させており、近々ロシアの出版社から出版される予定である。今回の講演は、氏の日本滞在中の研究成果であると同時に著書の一部でもあるとのことであった。

講演では、コーカンド・ハーン国がロシア帝国に併合される際に、現地の知識人が、異教徒であるロシア人によるトルキスタン支配をどのように受け止め、理解しようとしたのかが論じられた。鍵となるのは、知識人たちがロシア帝国支配下のトルキスタンを「ダール・アルハルブ」と「ダール・アルイスラーム」のいずれと見なしたかという問題である。氏によると、中央アジアで優勢なハナフィー派法学においては、「ムスリムの居住地が異教徒に政治的に支配されたとしても、そこにイスラームの規定が少しでも残されているのなら、そこはダール・アルイスラームである」とする思想が主流であるという。さらに、氏は、この議論がすでに中央アジアがモンゴル帝国に征服された際、13世紀の法学者たちによってなされていたことを指摘した。

ロシア軍による中央アジア征服に際し、ムスリムたちは当初は異教徒に対する「聖戦」としてこれを戦った。しかし、モンゴル帝国期と同様に、シャリーア法廷、金曜礼拝、ザカートなどのイスラームの規定が保持されることがロシア人によって約束されると、地元知識人は、征服地をダール・アルイスラームと見なそうとし、ロシア軍に対して抵抗運動を行う者たちを批判し、彼らの運動は「聖戦」とは見なされないと主張したことが一次史料を提示しながら解説された。

氏は、しかし、ムスリム知識人たちは、ロシア人に対して、住民自身のムスリムとしてのアイデンティティを保つための具体的な要求を行う段階には至っていなかったとの見解を示して締めくくった。このような要求が行われるのは、この後現れるジャディード運動家たちの時代においてであり、知識人たちの思想の変化についてより後の時期を視野に入れて検討する必要性が指摘された。

氏の講演に対して、聴講者からは、中央アジアの知識人が、同じく西欧列強の植民地となっていた周辺諸国、イランやインドの知識人と何らかの思想的繋がりを持っていたのか否か、中央アジアのこのような知識人の活動に対して、ロシア人東洋学者たちはどの程度理解していたのか、何らかの反応をしたのかといった質問が寄せられた。モンゴル帝国期における法学者の議論が19世紀後半に繰り返されたことを指摘する氏の思想研究のスケールの大きさを示した今回の講演は、学界の最先端をゆく研究に触れる良い機会となった。
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