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第14回中央ユーラシア研究会報告
濱本真実(人間文化研究機構・研究員)

 概要

  • 開催日時:2009年2月21日(土),13:00〜17:00
  • 会場:東京大学本郷キャンパス法文1号館2階、217教室
  • 報告者:
  1. デュセンアイル・アブディラシム(京都大学・院)「18世紀前半以降におけるカザフ語文書文献について」
  2. 小沼孝博(学習院大学東洋文化研究所・助教)「北京のトルコ系ムスリム居住区「回子営」の250年」

 報告

第14回中央ユーラシア研究会では、ご自身もその出身であるところのカザフ人の歴史について、カザフ・ハン国史を中心とした研究を進めているデュセンアイル・アブディラシム氏と、中国西北部から中央アジアにわたる地域の歴史を、18-19世紀を中心に研究している小沼孝博氏(本研究会の幹事でもある)によって、史料の綿密な読解に基づく2つの報告がおこなわれた。

デュセンアイル氏はまず、「カザフ語文書」に関する先行研究について詳述し、ソ連の研究者によって出版されたカザフ・ロシア間の「カザフ語文書」、さらにソ連崩壊後にカザフスタン共和国の研究者によって、また、少ないながらも中国において出版されたカザフ・清朝間の「カザフ語文書」としてどのようなものがあるかを列挙した上で、これまでの「カザフ語文書」研究がいかに不十分であるかを指摘した。

報告の後半では、中国第一歴史档案館所蔵の「カザフ語文書」のうち、「軍機処満文録副奏摺」に含まれる乾隆51年2月25日(西暦1786年3月24日)付けのタルバガタイ参賛大臣惠齢等の上奏(マイクロフイルム136リール2127コマ)に添付された文書が取り上げられ、そのテキストと転写・翻訳の紹介がおこなわれた。この文書は、中ジュズの首領であったアブルフェイズの次子ジョチからタルバガタイ参賛大臣に宛てられており、アブルフェイズの第4子ハダイの死を知らせ、参賛大臣に送った馬の代わりに、ハダイの葬儀に必要な米を求めるために送られた文書である。

デュセンアイル氏は、1786年3月頃のカザフの状況を伝えるこの文書を特にその文言の解釈について詳細に検討しており、文献学的な観点から非常に興味深い報告となった。質疑応答の時間に指摘されたように、今後は、この史料について詳細な歴史学的考察がなされることが期待される。

小沼氏の報告は、清朝支配下の北京に創設された回子営について、その端緒から現代にいたるまでの歴史を、さまざまな資料、なかでも回子営のモスクに建てられた、満漢蒙回合壁「御製勅建回人禮拝寺碑」注目してたどるものだった。この碑文は1764年に記されたものであり、内容において「一視同仁」の思想を謳い、新たに清朝に臣従したウイグル人について、乾隆帝がその独自の文化や慣習を保護することを保証しているという点で、多民族帝国としての清朝の統治理念を明示したものということができる。

この碑文についての考察のほか、小沼氏は、回子営と深く結びついた香妃伝説や、回子営の住民についての説明、また、清朝滅亡後から現代までの、日本人も関わる回子営の変遷について、多くの画像や写真を用いて解説し、聴衆は回子営の歴史を多面的に理解することができた。特に、小沼氏自身の聞き取り調査に基づく、すでにほとんど痕跡を消しつつある現代の回子営についての説明は興味をそそるものであった。北京の再開発によって完全に回子営が姿を消す前に小沼氏の調査がおこなわれたのは、まさに僥倖であったといえよう。

なお、小沼氏による報告は、NIHUプログラム・イスラーム地域研究東京大学拠点が刊行するCentral Eurasian Research Series No.2: 250 Years History of the Turkic-Muslim Camp in Beijingとして、2009年3月中旬に英文で出版される予定である。
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