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セッション1 中央アジアの周縁化と地域秩序の形成(10:00〜12:20)
*共催:人間文化研究機構(NIHU)プログラム・イスラーム地域研究東京大学拠点 *後援:学習院大学東洋文化研究所、北海道大学スラブ研究センター、日本中央アジア学会
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2009年1月31日(土)、学習院大学創立百周年記念会館小講堂において、近現代の中央アジア研究に関するワークショップ「地域秩序の形成と流動化―中央アジアの"いま"を探る―」を開催した。本ワークショップの目的は、若手研究者が中長期の調査で収集した最新の資料・データにもとづく成果を公開し、情報の共有を図るとともに、今後の研究の方向性を検討することにあった。 セッション1「中央アジアの周縁化と地域秩序の形成」は、露・清征服期における現地首長層の位相や社会関係の変化に関する報告を中心とするものであった。小沼孝博(学習院大学・助教)は、ムスリム有力者のエミン=ホージャの台頭過程と、それにともなうトルファン盆地の政治的変動を検討し、中央アジア東半におけるジューンガルから清朝への支配権力の移行をミクロな視点から照射した。塩谷哲史(東京大学・院)は、19世紀前半のコングラト朝ヒヴァ・ハン国によるホラズム地方への移住政策を再検討し、それが対外的な軍事活動、部族ごとに異なるウズベク諸集団への対応策、王朝主導の灌漑事業など、様々な要素が結びついて実施されたことを明らかにした。秋山徹(北海道大学・院)は、クルグズ(キルギス)の部族首領シャブダン=ジャンタイの死に際して行われた一連の葬送儀式が、クルグズとロシアが相互に意思疎通を図り浸透しあう「場」として機能していたことを指摘し、当該時期のクルグズ首領の権力が部族的なものと帝政ロシア統治の相互作用の上に成立していたと結論した。 セッション2「近代化・現代化の潮流と社会変容」では、近代化・現代化の過程で生じた社会変容が住民の生活や意識に及ぼす影響を探った。清水由里子(中央大学・院)は、1930〜40年代に東トルキスタンのテュルク系ムスリム知識人たちの間でなされた、民族的郷土やその範囲、主体となる民族の定義を試みる議論を整理し、各主張は民族の自律性を求めるという点で一致するも、それらは中国の国家統合の影響と制約から決して自由ではなく、最終的にはそれに沿った形で枠組みが定着していったと論じた。須田将(北海道大学・院)は、1930年代のウズベキスタンでなされた、ソヴィエト的価値の扶植によるソヴィエト国家と社会への同化(ソヴィエト公民化)を検討し、公民化が伝統的なマハッラ(街区組織)を介して行われたこと、また後進的な現地社会に対して先進的なソヴィエト的価値の扶植という形で実施されたことを明らかにし、それが故にかえってヒエラルキーを固定化し、再植民地化の作用を伴うものとなったと指摘した。 セッション3「中央アジアのイスラーム:普遍性と地域性」は、近現代の中央アジアを論じる上で重要なキーワードであるイスラームに焦点をあてた。木村暁(学振特別研究員)は、ブハラの「イスラーム都市」としてのイメージの史的展開を跡づけ、時の政治権力による性格付け、及び「聖なるブハラ」という雅称の発生と敷衍が、そのイメージ形成に大きな影響を与えたことを強調した。濱本真実(NIHU研究員)は、沿ヴォルガ・ウラル地方のムスリムに対するロシア統治の変遷を追い、特に18世紀末の宗教寛容化以降における、ロシア政府と現地ムスリムとの協力関係について具体例を示しながら検討した。和崎聖日(京都大学・院)は、ウズベキスタン・フェルガナ地方において「結婚」が社会・文化的に承認されるまでの諸儀礼を紹介し、家族制度を介した社会編成の出発点となる「配偶者の選択」がどのように決定されるのかを考察した。 冷たい雨が降る中での開催となったが、合計54名の参加者をえて、盛会のうちに終わることができた。各報告は専門性が高い内容であったが、各セッションの討論者の方々には議論の方向性を明確に示していただき、会場からも多くの発言があった。近現代中央アジア研究そのものが成長過程にある分野であることを勘案すれば、若手研究者の成果公開の場となった本ワークショップは、研究水準の底上げに直結するものとなったと思う。ただし、時間的な制限もあり、研究の方法論的な側面に関しては、十分に議論を深めることができたとは言い難い。これは今後同様のワークショップを開催する際の課題である。 |