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内陸アジア史学会2008年度大会公開講演会報告

 概要

 内陸アジア史学会2008年度大会公開講演会

内陸アジア史学会大会ポスター(PDF)
  • 日時:2008年11月8日(土) 13:00〜17:00
  • 会場:
    • 東京大学本郷キャンパス・法文2号館2番大教室
    • 住所:東京都 文京区本郷7-3-1
  • 主催:内陸アジア史学会
  • 共催:イスラーム地域研究東京大学拠点
  • 公開講演(15:00-17:00)
    • 石見清裕(早稲田大学)「漢文墓誌より見た唐代中国のソグド人」
    • 濱田正美(京都大学)「「中央アジアのイスラーム」再考―その「特殊性」について―」

 報告

石見清裕(早稲田大学):漢文墓誌より見た唐代中国のソグド人

従来学界では、唐代の中国社会には西域文化の流入によって国際色豊かな文化が花開いたといわれてきた。そして、それをもたらしたのは主としてソグド商人であり、ソグディアナと経済的に結びついていた東・西突厥の遊牧帝国が崩壊することによって、ソグド商権が唐と結びついた結果の現象と考えられがちであった。これらは決して誤った理解ではないであろうが、近年中国各地で出土した漢文のソグド人墓誌を見ると、ソグド人に対する認識はそれだけでは不十分のように思われる。

本講演で取り上げたソグド人墓誌は、固原南郊出土の史氏一族墓誌や西安北郊出土の安伽墓誌・史君墓誌・康業墓誌、太原南郊出土の虞弘墓誌などである。彼らは、隋以前にすでに中国に来住しており、「薩宝」「薩保」に就任している。この官職は、ソグド語s'rtp'wの漢字音写で、この時代にはソグド人聚落のリーダーを指す。この解釈に従うならば、すでに北魏末〜北周期の華北各地にソグド人聚落が形成されていたことになる。

このうち、固原史氏墓誌の最も早期の「史射勿墓誌」を見れば、その生涯は商業とは全く縁遠く、彼は都督として地域の郷兵(おそらくはソグド人郷兵)を率い、北周・隋の軍事行動に従軍していた。その子の史訶耽は、隋末の乱に際し唐と結んで華北の群雄薛挙を討伐し、その後は唐の朝廷で通訳として務めている。そればかりか、彼は唐第二代太宗が起こした「玄武門の変」に荷担した節があり、これは涼州安氏の「安元寿墓誌」を見ても同様である。すなわちこれらの史料は、北魏末の民族移動のうねりの中から唐が成立してくる姿を我々に示唆しているのである。

さらに近年では、「ソグド系突厥」という概念が提唱されている。これは、身体的にはソグド人の特徴を示すが、言語・生活などはテュルク系遊牧民の文化を身につけたソグド人を指す。安史の乱に際して軍事行動を示したのは彼らであり、その子孫は唐末に「沙陀」勢力を形成する一要素ともなった。

すなわち大きく分類すれば、唐代のソグド人には、@隋以前より中国に聚落を形成していた人々、Aソグド系突厥、B主として都市部の商業民、の三種が存在していた。従来はBのみが強調されてきたが、それだけでは不十分であり、我々は@、Aをも認識した上で、あらためて歴史を構築しなおさねばならない。

(文責:講演者)


濱田正美:「中央アジアのイスラーム」再考――その「特殊性」について

先に刊行した小著『中央アジアのイスラーム』において、筆者は、主としてイスラーム信仰の確立と展開に対する中央アジアのムスリムの寄与について論じた。その際、ハディース編纂、マートゥリーディー派神学とハナフィー派法学およびそれらに密接に結びついた教理要綱、更には哲学など、広くスンニー・イスラーム世界全体に普遍となった知的基盤のいくつかが、中央アジアにおいて出現・展開したものであることを述べるのに終始した結果、中央アジアのイスラームの他地域と比較しての特殊性については、殆ど言及することがなかった。この講演は聊かなりともその欠を補うことを目的としている。とは言うものの、ある現象を指して地域的特殊性であると認定するためには、他の地域におけるその不在が前提となるから、その証明は必ずしも容易ではない。なかにあって、例えばテュルク・モンゴル的な要素の残滓、もしくはそれとイスラーム信仰のシンクレティズムとして解釈可能な要素の如きは、比較的容易に中央アジアの特殊性と認定されうるであろう。いずれにしても、イスラームの「純化」を鼓吹する運動が世界的に展開されるようになった現在、これへのカウンターバランスとして地域的特殊性を再評価する動きも顕著になっており、例えば、S. Prozorov主編の百科事典『嘗てのロシア帝国の領域におけるイスラーム』は、地方的伝統を正確に紹介することにより純化主義への「最も効果的なイデオロギー的反論」を提供することを目指している。イスラームの地域性は、各地の聖者崇拝に最も顕著に現れる。ただし、聖者崇拝自体はイスラーム世界の全域にわたって遍在する現象であり、それにまつわる儀礼や観念にもむしろ共通する要素が多い。地域性はむしろ、それぞれの地域にはそれぞれ固有の聖者が存在するとの観念において顕著となる。様々な聖者伝は、聖者たちが自らの領分を守護し、最後の審判に際しては、自分の墓の近隣に埋葬された信者たちを神に執り成すと言い、こうした聖者からの加護を担保するのは、聖者の墓に奉献される布施に他ならないことを強調する。かくして、聖者の崇拝は、イスラーム信仰をいわば地域ごとに完結する恩寵と救済のシステムに細分化したとも言いうる。預言者が父祖たちの誤った信仰を破壊してアブラハムの信仰に立ち戻るという先例を示したのであるからには、現時点において地方的伝統が真に、イスラームの純化に対する対抗軸たりうるか否かについては、疑問なしとしない。

(文責:講演者)

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