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第13回中央ユーラシア研究会特別セッション「中央アジアのイスラーム王権」報告
塩谷哲史(東京大学大学院博士課程・日本学術振興会特別研究員)

 概要

  • 日時:2008年10月25日(土) 13:00-18:00
  • 会場:東京大学本郷キャンパス法文1号館2階217教室
  • 報告者:
    1. ヌールヤグディ・タシェフ(ウズベキスタン科学アカデミー東洋学研究所)「ヒヴァ・ハンの称号」
    2. 木村暁(日本学術振興会特別研究員)「ブハラにおける非チンギス裔の即位―年代記『ハンへの贈物』が映し出す伝統への挑戦―」
    3. ウミード・シェールザードシャーエフ(非政府組織 Merosi Ajam副代表)「バダフシャンの歴史文化および現代のパミール研究概観」

 報告

第13回中央ユーラシア研究会ポスター(PDF)
第13回例会は、特別セッション「中央アジアのイスラーム王権」と題して、国外から2名、国内から1名の発表者を迎えた。国外からは、19世紀ヒヴァ・ハン国における歴史叙述に関する研究を進めているヌールヤグディ・タシェフ氏、バダフシャンの文化遺産保存に尽力しているウミード・シェールザードシャーエフ氏、そして国内からは、18世紀から20世紀初頭にかけてのブハラ・アミール国における支配の正当性と統治の実態に関する研究を進めている木村暁氏の発表が行われた。

タシェフ報告は、19世紀初頭ヒヴァ・ハン国に成立したコングラト朝のハンたちが帯びていた多様な称号に注目した。周知の通り、コングラト朝の成立は、それまでチンギス・ハンの男系子孫のみが継承しうるハン位に、非チンギス裔であるウズベクの一部族コングラト族の有力者が就くという、ヒヴァ・ハン国史上の大きな政治的転換点であった。報告者はコングラト朝のハンたちが、@ハンとしての権威とサイイドの血統に連なることからえられる権威の双方を求めていたこと、Aそれは18世紀中葉ブハラ・ハン国における非チンギス裔のハンへの即位という事実に影響を受けていたであろうこと、Bしかし一方でコングラト朝のハンたちは、ホラズムシャーというホラズム地方の輝かしい歴史を想起させる称号をも重視したこと、を指摘した。

木村暁報告は、18世紀中葉のブハラで執筆された年代記『ハンへの贈物Tuhfat al-hani』の史料的価値を確認し、自筆本が失われている当年代記を用いた先行研究の誤読や解釈の誤りを指摘しつつ、執筆年代と全体の構成を明らかにした。そして当年代記が、非チンギス裔であるマンギト朝のムハンマド・ラヒームのハンへの即位の正当化を最大の目的として執筆されたことを解明した。さらにイラン側の史料も含めた緻密な史料の分析をもとに、ムハンマド・ラヒームのハンへの即位が、1740年ブハラを服属させたアフシャール朝のナーディル・シャーによる彼へのハン位授与という既成事実に拠っており、当年代記の執筆者およびその後のマンギト朝の歴史家たちもその事実を認識していたことが明らかになった。ムハンマド・ラヒームが、中央アジアにおけるハンの概念とイランにおけるハンの概念とのずれを利用して、ハンに即位したとする指摘は、18世紀後半から19世紀初頭にかけていわゆる三ハン国で起きた非チンギス裔のハンへの即位と新政権の成立という中央アジア史上の重要な政治的転換点を説明する上で、極めて独創的な視点であると言えよう。

シェールザードシャーエフ報告では、イスラーム化以前からロシア帝国の統治期に至るまでのバダフシャンの政治史の展開が述べられた。そして、発表者の写本に関する該博な知識に裏づけられた絵画、書道、医学、天文学の分野に至る詳細な話題が提供された。こうしたバダフシャンの政治史、文化史に関する総合的な報告は、本邦でも初めての試みといえよう。報告の最後には、諸写本や遺跡のスライドが上映され、バダフシャンの歴史遺産の豊かさ、写本製作の伝統の深さが紹介された。ただし、アフガニスタンやブハラ・アミール国の支配を「圧政」とのみ評価する点には、今後検討の余地があるように思われた。とはいえ、19世紀におけるアフガンのアミールによる「圧政」からの解放者として、ロシア帝国の統治を歓迎した当時のバダフシャンの人々の歴史叙述のあり方には、出席者から深い関心が示された。

各分野から多くの出席者を迎えた。それぞれの発表者の研究の方向性が明確であったことはもとより、その方向性をより広い文脈に位置づける上で有益な質問やコメントが出されたことは、発表者と出席者との間で問題意識を共有できたことの証であろう。とくに18世紀後半以降の中央アジアに見られる非チンギス裔のハンへの即位と君主権のあり方の変化、その後の王朝の支配理念の創出プロセスに注目する研究の重要性が、国内外の研究者の間で共有されたことは非常に意義深いものである。今後、理念と呼応する実態の解明が待たれる。また近い将来、こうした問題意識の共有にもとづくセッションが組まれることを願ってやまない。
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