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2007年度収集資料

 資料紹介

ロシア帝政末期から1918年にかけて出版された、ロシア・ムスリムに関するロシア語新聞・雑誌10誌を収集。(マイクロフィルム・デジタル画像化済み)

文責:濱本真実

 一覧

1. Musul'manin(ムスリム)

パリで1908年に創刊されたロシア語の雑誌。編集長は、Magomet-Bek Khajetlashe。各号はだいたい20−30頁で、時期によってばらつきはあるものの、基本的に月二回発行された。「ムスリムの生活概観」「コーカサスからのニュース」「読者からのお便り」などの欄が設けられており、また、「外国のムスリムの生活概観」の欄には、ヨーロッパや中東のほか、日本やインドのムスリムの情報も含まれている。このほか、ロシア内外のムスリムが直面する問題に関する論文や、ムスリムの啓蒙活動に関する成果が掲載された。文学作品にも紙幅が割かれている。
2. Mir Islama(イスラームの世界)

1912年に、東洋学の碩学V. Bartol'dを編集者としてペテルブルクで創刊された、帝立東洋学会による雑誌。創刊当初は、A. Shmidt, I. Krachkovskii, A. Samoilovich等、錚々たる東洋学者が執筆者として並ぶ、歴史に重点をおいた学術雑誌であり、ムスリムによって出版されていた様々な定期刊行物や、ヨーロッパの東洋学関係の出版物についても詳細な情報を載せていた。しかし、第一巻4冊(全670頁)を出版し終えたところで編集の方針が大きく変更され、1913年、同じ雑誌名のまま、編集者や執筆者が交代して主に同時代の政治・社会問題を扱う実用的な雑誌となった。1914年廃刊。
3. Inorodcheskoe obozrenie(異民族概観)

本誌は独立した雑誌ではなく、カザン宗教アカデミー宣教部が1912年から1916年まで雑誌Pravoslavnyi sobesednik(正教の対話者)の付録として年4回出版したもの。しかし、付録とはいいながら、毎号80頁程度の分量を有し、また、編集者に東洋学の泰斗N. Katanovを迎え、内容も非常に充実している。創刊号の冒頭には、この雑誌は「ヨーロッパロシアとロシアアジア部の異族人の生活習慣と宗教」を扱うと宣言されているが、内容からすると、実際に扱われているのはロシアの東方諸民族のみとなっている。
内容は、宣教師や学者による上記のテーマに関する報告や論文と、ムスリムによる出版物の翻訳と紹介に大別できる。後者では、新たに出版された書籍が紹介されているのはもちろんのこと、Vakt, Shura等、ムスリムによって出版された定期刊行物から、論説が丸ごとロシア語に翻訳されたり、地域やテーマ別に情報が抽出されたりしており、本誌は、学術雑誌として以外にも、当時のムスリム定期刊行物のダイジェスト版としての価値を有している。
4. Musul'manskaia gazeta(ムスリムの新聞)

 1912年から1914年までペテルブルクにおいてムスリムによって出版された、ロシア語の週刊新聞。編集者はS. Gabiev と I. Shagiakhmetovであり、ウファ、カザン、オレンブルク、トロイツク、アストラハン、ニジニ・ノヴゴロド、アシュハバード、バクー、トビリシ等、広い範囲で講読されていた。創刊号の「我々はこれからも眠り続けるのか、眠り続ける権利をもっているのか?いや、絶対に違う。我々はすべての眠っている兄弟に対して叫び、文化への、新しい生活への参加をよびかける」という言葉は本誌の目的をよく表している。記事は、選挙・議会・戦争など政治的なものから、教育・女性問題など社会的なもの、また、宗教的・文化的な問題まで幅広い。ヨーロッパや東方諸国のニュースも伝えているが、特にオスマン帝国やコーカサスの情報が充実している点が注目される。
5. Izvestiia Vremennogo tsentral'nogo biuro rossiiskikh musul'man(ロシア・ムスリム臨時中央ビューロー報)(No.1 のみ)

帝政崩壊後、ペテルブルクでロシア・ムスリム臨時中央ビューローが創刊。モスクワにおける1917年5月の第一回全ロシア・ムスリム大会の開催の告知や、ロシア・ムスリムに対して行動を起こすことを呼びかける、当時の熱気を反映した記事が含まれる。
6. V mire musul'manstva(イスラーム世界において)

サンクトペテルブルクで1911年から1912年まで出版されたロシア語の週刊新聞。編集者は、パリで出版されていた上記の雑誌Musul'maninと同じくMagomet Bek Khajetlashe。記者などその他のメンバーもMusul'maninと同じだった。創刊号には、この新聞の目標として、ムスリムの要求をロシア政府およびロシア人社会に知らしめること、そして、言語の異なる様々な民族の知識人を統合することが挙げられている。政治・社会・経済・教育・文化問題などに関する論説と、ロシア帝国内外の情報が主な内容である。
7. Golos tatar(タタール人たちの声)

帝政崩壊後、クリミアのシムフェローポリにおいてクリミア・ムスリム臨時執行委員会により1917年7月に創刊されたロシア語の週刊新聞。出版の中心となったのは、I. Ozenbashly, A. Bodaninskii, Kh. Chapchakchi。同時期にA. Aivazovが中心となって創刊された、同じくクリミア・ムスリム臨時執行委員会による新聞Milletよりも急進的であったが、Golos tatarの政治的立場は、多くのクリミア・タタール知識人に支持された。記事にはクリミアの地方色が濃い。
8. Izvestiia vserossiiskogo musul'manskogo voennogo Shuro(全ロシアムスリム軍協議会報)

帝政崩壊後、カザンの第一回全ロシア・ムスリム軍臨時集会において設置が決定された、ムスリム兵士のための上級機関、軍協議会Voennoe Shuroの新聞。出版地はカザンであり、1917年11月から1918年2月まで、週1−2回の間隔で発行された。
9. Musul'manskii mir(ムスリム世界)(1号のみ)

上記のMir Islama を創刊したV. V. Bartol'dの発意により、政治状況に左右されない純粋に学術的な雑誌を目指して、ロシア科学アカデミーのもと、1917年にペトログラードで出版された。学術論文のほか、充実した書評が含まれている。
10. Turkestanskii krai

1916年4月5日にコーカンドで創刊された新聞。創刊号において、この新聞が、進歩主義をとり、無党派であること、また、新聞創刊の目標として、日常生活の事実や現象に関する客観的な編集と報告を挙げ、「理論や実践に関しても同様の態度で臨む」ことが明言されている。1916年11月13日までに66号に達しており、平均すると、3−4日に一号ずつ出版された。
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