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B.M. Babadzhanov, A.K. Muminov, A. fon Kyugel'gen [A. von Kügelgen]
Disputy musul'manskikh religioznykh avtoritetov v Tsentral'noi Azii v XX veke: kriticheskie izdanie i issledovaniya istochnikov 

 書誌情報

  • Author: B.M. Babadzhanov, A.K. Muminov, A. fon Kyugel'gen [A. von Kügelgen]
  • Title: Disputy musul'manskikh religioznykh avtoritetov v Tsentral'noi Azii v XX veke: kriticheskie izdanie i issledovaniya istochnikov
  • Place: Almaty
  • Publisher:Daik-Press
  • Year: 2007
  • Page: 272 s

 紹介

近年、帝政ロシアおよびソ連時代の中央アジアのイスラームにたいする関心が高まっている。その理由としては、まず第一にソ連邦の解体によって、これまでほとんど利用することのできなかった資料が公開されるようになり、また現地調査も可能になったこと、そして第二にペレストロイカ時代からあらわになった現代のイスラーム復興の潮流との歴史的な、あるいは直接的な関係性が注目されていることをあげることができる。

ここに紹介する新刊書もこのような関心に基づいており、Disputes on Muslim Authorities in Central Asia (19th-20th Centuries): Critical Editions and Source Studiesと題するプロジェクトの一環として刊行された。このタイトルが示すように、本書の目的は、近現代中央アジアにおいて展開されてきたイスラームをめぐる重要な論争について、そのテキストを提示することにある。これは中東地域などではすでに蓄積されてきた作業であるが、中央アジアではまだ始まったばかりの、そして今後の研究に大きく貢献することのできる意欲的なプロジェクトである。

本書は、ロシア語と英語による詳しいイントロダクションに続いて、4人のウラマーによる論説のテキストとそのロシア語あるいは英語の訳注を解説とともに収録している。第1部は、シリア出身のシャーフィイー法学派の学者で、ワッハーブ派の嫌疑を受けてオスマン帝国から追放されたシャーミー・ダームッラー(1870年頃-1932)が、一時東トルキスタンに滞在した後、ソビエト時代初期のタシュケントに残したイマーム・ブハーリーに関するアラビア語の論説とその訳注からなる。彼は、ソビエト政権からはイスラーム社会主義を体現する「進歩的な」学者として利用された面もあったが、その雄弁な議論によって地元のハナフィー派ウラマーに衝撃を与え、最後は流刑先の監獄で死去した。

第2部は、ソ連時代のイスラームに対する抑圧を堪え忍びつつ、門弟の指導にあたったムハンマドジャン・ヒンドゥスターニー(1892-1989)によるワッハーブ派の歴史とソ連時代末期にハナフィー派の伝統的な教義に異を唱えた革新派(通称はワッハービー)への論駁書、いずれもタジク語の論説の、前者はロシア語、後者は英語の訳注からなる。なお、この英語訳注は、Babadjanov, B. and M. Kamilov, "Muhammadjan Hindustani (1882-1989) and the Beginning of the "Great Schism" among the Muslims of Uzbekistan," in S. A. Dudoignon and H. Komatsu (eds.), Islam in Politics in Russia and Central Asia (Early Eighteenth to Late Twentieth Centuries), London-New York-Bahrain: Kegan Paul, 2001, pp.210-219の再録である。

第3部は、コーカンドの学者ナスレッディン・ダームッラ・トイチエフ(1936-1990)のウズベク語書簡とそのロシア語と英語の訳注からなる。これは、ぺレストロイカ時代の1989年に落成したコーカンドの金曜モスクのイマーム職をめぐる、かつての師弟間の確執を述べているが、その背景にはフェルガナ地方で顕在化していた伝統主義的なハナフィー派ウラマートとワッハービーとの厳しい対立関係があった。

第4部は、ソ連末期に中央アジア・カザフスタン・ムスリム宗務局長(ムフティー)を務め、退職して久しい今もウズベキスタンにおける指導的なウラマーとして活動するムハンマド=サーディク・ムハンマド=ユースフ(1952-)が、ハナフィー派とワッハービーという上述の信徒間の不和を仲裁すべく筆をとった論説「不和について」(初版は1995年)のロシア語訳注である。両派に対して中庸の立場から議論を進めた彼の説得は、結局は効を奏さなかったが、中央アジアにおける現代イスラーム思想の一面を明示する論説であることは疑いがない。その全体像をうかがう意味でも、続巻の刊行を待ちたいと思う。

小松久男

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