パレスチナ研究班」第4回研究会

JCAS次世代ワークショップ「イスラエル/パレスチナ地域をめぐる総合知の育成 ―次世代研究者による知の蓄積と発信に向けて―」第一回準備研究会

日時:20101127日(土)13:0019:00

1128日(日)10:0017:00

場所:東京外国語大学アジア・アフリカ言語文化研究所3306

報告者・報告題目:
 細田和江(中央大学政策文化総合研究所準研究員)

「「Ani Israeli運動」とイスラエルにおける「国籍」を巡る議論の変遷」
今野泰三(大阪市立大学文学研究科博士後期課
「ラビ・イェフダ・アミタルの思想と政治スタンスの変遷」
役重善洋(京都大学大学院人間・環境学研究科D1「「中東和平」プロセスにおけるキリスト教シオニズムとイスラエルの「ノーマライゼーション」」
吉年誠(一橋大学社会学研究科)
「イスラエルにおける土地制度改革を巡る議論から」
武田祥英(千葉大学大学院修士課程)
「第一次大戦初期英国における中東分割構想の検討」

 

概要:

 細田和江による報告は、「ウズィ・オルナン(Uzzi Ornan: 1923- )の活動とイスラエルにおける「国籍」を巡る議論:独立宣言における「ヘブライ」と「ユダヤ」というタイトルであった。 報告はまず、イスラエルの「ユダヤ人」言語学者にして活動家のウズィ・オルナン(1923 )の生い立ちとその活動を追い、彼の主張の変遷とその活動がイスラエル社会に与えたインパクトなどを整理した。またイスラエルの独立宣言において「ユダヤ」と「ヘブライ」という、ユダヤ人を表すとされている用語の意味を考察し、社会主義シオニズム思想が本来持っていた「ユダヤ」観と現代イスラエル社会の「ユダヤ」観の矛盾を問いただした。 発表後のディスカッションでは、イスラエルにおける「国籍」と「市民権」の法的定義や用例に関してより厳密かつ詳細にまとめるべきだ、などさまざまな角度からの貴重な指摘を受けた。こうした指摘は京都で行われる公開シンポジウムでの発表に向け、非常に有意義であった。

今野は親族や仲間の死が宗教右派入植者のイデオロギーを再考する契機となる可能性を考察する必要性を指摘した。この問題意識に基づき、本報告では、「ラビ・イェフダ・アミタルの思想と政治スタンスの変遷」と題して、宗教右派入植運動グッシュ・エムニームの指導者で、1980年代後半以降、領土返還を支持するようになったラビ・アミタルに着目し、彼の思想と遍歴を考察する必要性を論じた。参加者からは、方法論上のアドバイスや質問があったほか、ラビ・アミタルがグッシュ・エムニームに参加した経緯や、彼が創設したメイマド運動の活動方針や支持層の分布等も考察していく必要があるとの指摘があった。

役重は本発表でアメリカにおけるキリスト教シオニズムを植民地主義イデオロギーの一形態として歴史的に位置付け、考察した。アメリカ自身、イスラエルと同様、「聖書」の民族主義的解釈を建国イデオロギーの不可欠な要素とし、西洋文明の前衛として、自らの「征服」の歴史を位置づけている。そのことがイスラエル国家への自己同一化をもたらしていると考えられる。そのことが、アメリカ主導の「中東和平」プロセスにおいて、パレスチナ人の民族自決権の形骸化と、イスラエルの「ノーマライゼーション」が進められてきたことの背景にあると考えられる。そのなかでアメリカのキリスト教シオニズムが果たした役割について、具体的な事例を通じて考察した。そこでは、キリスト教シオニストの政治的影響力が、ユダヤ人シオニストとの協力関係のなかで発揮されてきたことが確認された。数千万人のオーダーで組織化されていると考えられるキリスト教シオニストは、「イスラエル・ロビー」の大衆動員という側面において中心的役割を果たしていると考えられるのである。

吉年は本報告では、1990年代以降のイスラエルの土地制度とその改革を巡る議論、中でも土地の「私有化」の議論について、考察した。その際、それらの議論が、パレスチナでの近代的土地制度の歴史的発展過程の中に位置づけられうるものであると同時に、その制度の存在自体が生み出す多様な社会集団の意図や利害関係の中から結果として生まれたものであることを明らかにした。出席者からは、「オスマン法からイスラエル法への転換の要因についてより深く論じるべき」、「法自体ではなくその適応のされ方をより重視すべき」といった指摘がなされた。

武田は本研究会で第一次大戦期の英国における対中東政策について報告を行った。これを扱う研究の多くは、英国がパレスチナの確保を決めたことの背景に、シオニストの国家建設への努力が英国政治家たちに影響を与えたことがある、と強調してきた。しかし報告者は本発表において、英国政府首脳がシオニズムへ関心を向ける以前に、オスマン帝国における戦後処理の仕方を巡って、想定しうる諸事態とそのそれぞれに合わせた緻密な戦後構想が存在し、中でもオスマン帝国の領土的な解体と境界線の再画定を含む戦後処理政策案においては、実際に行われた「委任統治」政策に非常に近しいものがすでに存在していたことを指摘した。こうした戦後構想を策定した大戦期初期の英国首脳の議論からは、19156月の段階で英国政府は戦後イスラームを中心とした民衆の結束に大きな懸念を抱き、解体後のオスマン帝国諸地域の分断統治を行う方向に大きく舵を切っていたことが明らかとなる。当時の政策諸案は、当然のことながらいずれも戦後における英帝国全体の利益を保持するために最適化されている。本発表では、パレスチナ統治政策案が形成されるにあたって重要なファクターとなった、大戦期の英国政策担当者たちの対アラブ観、対イスラーム観との相互関係から、シオニストに割り当てられた役割を再検証することの重要性を指摘した。

                        NIHU Program: ISLAMIC AREA STUDIES
                          IAS Center at the University of Tokyo (TIAS)
                                            
GROUP2
  Structural Change in Middle East Politics