2009年度第3回研究会:
 「中東社会史班」第1回研究会
  


  日時: 2009年9月5日(土),15:00時から17:30時
 場所: 東京大学法文1号館216号室
 報告者・報告題目: 佐々木紳(東京大学大学院人文社会系研究科博士課程)
      「オスマン・ジャーナリズムの諸相:民間新聞の動向を中心に」

 コメント:  長谷部圭彦(日本学術振興会特別研究員 PD.明治大学)



 本報告では、19世紀のオスマン帝国に現れた民間新聞の動向およびオスマン政府の言論統制政策を紹介しながら、同時期の言論状況を分析するための新たな視点として、「オスマン・ジャーナリズム」という舞台を設定し、その有効性を提示しようと試みた。

はじめに、オスマン帝国の民間新聞に関する先行研究を紹介し、その全般的傾向を「トルコ語/トルコ人新聞」を中心とする歴史叙述とした。これに対して報告者は、オスマン帝国において多様な言語・文字で発行された新聞雑誌を通して形成される言論空間の存在を指摘し、これを「オスマン・ジャーナリズム」という言葉で仮設定義した。つぎに、18世紀末から1870年代半ばまでの民間新聞の動向を整理し、トルコ語新聞のみならず、非ムスリムの文字・言語による新聞、外字新聞、海外新聞、亡命新聞等が19世紀半ばより多数発行されていくことを確認した。また、それと並行してオスマン政府による言論統制が強化されていく過程を通観した。最後に、1860年代に発行された『情勢通詞Tercümân-ı Ahvâl』や『報道者Muhbir』を取り上げて、オスマン語民間新聞の創刊や停刊に関する具体的な事例を提示した。

当日は長期休暇中にもかかわらず10名ほどの参加者を得て、活発な意見交換がおこなわれた。コメンテーターの長谷部圭彦氏からは、「オスマン・ジャーナリズム」という視点の有効性について好意的な意見を賜ったのみならず、「教育史」と「出版印刷史」との共同研究の可能性について貴重な示唆を得ることができた。他の参加者からは、「オスマン・ジャーナリズム」の多元性とその実例について質問が相次いだ。とくにオスマン帝国における「公共圏」の創成にまで議論が及んだことは、報告者にとって大いに学ぶべき点であった。また、「オスマン・ジャーナリズム」なる視点が孕むオスマン帝国中心史観とも呼ぶべき限界を相対化する必要性についても言及があった。今後は一次史料を用いてオスマン帝国における言論状況の多元性を解明することはもとより、それを世論形成や公共圏の創成というテーマにつなげていく作業が必要であると痛感した次第である。

(文責 佐々木紳)



                        NIHU Program: ISLAMIC AREA STUDIES
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