2009年度第7回研究会:
 「パレスチナ研究班」第3回研究会
 

  日時: 2009年11月20日(金),16:00時から18:00時
 場所: 東京大学 東洋文化研究所 大会議室
 報告者・報告題目: 鈴木啓之(東京外国語大学)
      「オスロ平和プロセス概観ー内包された危機と残された問題ー」

 オスロ和平プロセスについて、その具体的な内容(1.)、開始や崩壊の要因やポスト・オスロと呼ぶことができる時期における和平交渉(2.)、そしてオスロ和平プロセスに対する批判(3.)を具体的に見た。

1.においては、19939月のオスロⅠ(原則宣言)署名から、2001年のタバ交渉までを概観した。この箇所に関しては、オスロ和平プロセスはいつを終わりとして捉えられるかについて、2000年勃発のアル=アクサー・インティファーダや1999年のシャルム・アル=シェイフ交渉を終結点として示すことができることの指摘が会場よりなされた。

2.においては、オスロ和平プロセス直前のマドリード和平プロセスにイスラエルやPLO、そしてアメリカを向かわせた要因を確認し、さらにオスロ和平プロセスの崩壊について、プロセスそのものに内包された崩壊の要因、交渉当事者たちの抱える問題、社会に蓄積された不満の3点から検討した。会場からは、入植地が建設された際にパレスチナ自治政府の警察はどのように動いたのかといった質問が出された。また、被占領地に対する資金援助においてファタハのアブー・ジハードが果した役割、1980年代にすでにイスラエルが被占領地において自治区への準備を行っていたとの事実、パレスチナ自治政府が外交権を持っていないことなどについて指摘がなされた。

3.においてはエドワード・W・サイードやマドリード和平プロセス関係者、ハマースやなど和平プロセスの外に置かれた組織の代表からなされた批判について見た。この箇所においては、パレスチナ人として個人を見ることに加え、その背景にある各組織としてのオスロ和平プロセスに対する姿勢を見る必要性について指摘がなされた。

全体を通しては、オスロ‘和平’プロセスという呼称についての指摘やこのプロセスにおける諸取り決めが未だに効力を保持していること、占領の定義、国際社会におけるPLOの承認の時期などについて指摘がなされた。

                    (鈴木 啓之)



                        NIHU Program: ISLAMIC AREA STUDIES
                          IAS Center at the University of Tokyo (TIAS)
                                            
GROUP2
  Structural Change in Middle East Politics