2008年度第4・5回研究会:「中東社会史班」第2・3回講演研究会
  
 
日時: 2008年11月25日(17:30~19:00),28日(17:30~19:00)
  場所: 東京大学法文1号館
  報告者・報告題目:  
アフマド・ザーイド教授講演会
           

 

 去る20081125日と1128日に、カイロ大学文学部長であるアフマド・ザーイド教授(社会学)をお迎えして、講演会を催した。前者は東京大学本郷キャンパス法文2号館教員談話室を、そして後者は法文2号館一番大教室を会場とした。講演会は東京大学グローバルCOEプログラム「死生学の展開と組織化」と共催であった。
 ザーイド教授はエジプトを代表する社会学者であり、その射程はムスリム社会における“宗教的言説の分析や、エジプトにおけるグローバリゼーションの影響から、今回お話しいただいた「死生」をめぐる慣行や公共性まで、実に広角である。今回の招聘は、2009930日と103日にカイロとアレクサンドリアでやはりGCOE「死生学」と共催予定のエジプト国際会議を見据えてのものであった。ザーイド教授や、同教授に親しいエジプトの民俗学・人類学・社会学グループとの研究上の交流も念頭に置かれていた。
 なお、初回の講演には、島薗進教授(東京大学)と片倉もと子氏(国際日本文化研究センター前所長)から、第2回目には立花政夫・東京大学人文社会研究科長から冒頭の御挨拶をいただいた。  今回は多忙なスケジュールの合間をぬって、中国出張の帰りに寄り道いただいたのだが、資金力においてこそ中国に大きく劣ったものの、交流ヘの熱意と学問への情熱、学生のチームワークなどによって、ザーイド先生の印象は頗る良いものとなった。以下は、参加した大学院生(東京大学大学院修士課程・芹川梓)による報告である。(ここまで文責 : 大稔哲也)

1回「現代エジプトにおける死の儀礼―その社会的・文化的側面―
(Death Rituals in Modern Egypt: Social and Cultural Aspects)

この講演では、現代エジプトにおける死の儀礼をテーマに、その社会的・文化的側面について話していただいた。死は神によって定められた運命とされ、常に誰にでも起こりうるものである。ある種の夢や、普段と違う出来事などは死の予兆であると信じられている。
 人が死ぬと、直ちに通りやモスクにおいてそのことが公表される。遺体は、湯潅後手早く布に包まれて、ムスリムならモスク、コプト・キリスト教徒であれば教会に移動し、特別な祈りが捧げられたのち、埋葬地へと運ばれる。祈りの際の文句や墓に刻まれる言葉は、宗教によって異なる。
 埋葬後一から三夜にわたって、モスクや教会で葬儀が行われる。葬儀では基本的に男女が隔離される。葬儀への列席者数やその顔ぶれは、故人の社会的な地位や、その家族の影響力を物語るものである。生前あった諍い事は、死に際して解消される。
  哀悼の表現のしかたは、故人の性別、年齢、社会的地位によって規定される。遺族は、泣く、服を引き裂く、顔を引っぱたくなどして悲しみを表す。顔を黒く塗る地域もある。また、色のついた服を身につけること、料理すること、甘いものを食べること、祝祭を祝うことなどは慎まれる。 このように、死を取り巻く儀礼は、伝統や宗教などの文化的背景を反映しており、象徴性に富んでいる。そして、集団内での特定の地位を再確認したり、集団の社会的結束を高めるといった社会的な機能も果たしているのである。(文責 : 芹川梓)

2 : 「現代における生と死の統合 : 二つの事例研究から(Integration of life and Death In Modern Times : Two Case Studies)

エジプト人の文化において中心的なテーマをなしてきた死は、人々の生とどのようなかかわりを持っていたのか。二つの都市の場合を例に、解説していただいた。
 一つ目の例は、上エジプトの村バフナサーだ。大征服時代のムスリム殉教者たちが埋葬されたと伝えられるこの村は、聖なる土地とみなされ、周辺地域のための墓地となった。そして、周辺地域から人々が訪れる公共の場所としての機能も果たすようになった。さまざまな問題を解決してもらうために参詣に訪れる人もいれば、行楽のため、あるいは子供のおもちゃやお菓子を買う目的で来る人もいた。祝祭日や金曜日には聖者廟の周囲で祭りが開かれた。そこでは死者たちはご利益(バラカ)を与え、弱きものを助ける存在とみなされた。
 二つ目の例は、カイロ郊外のカラーファ地区だ。カラーファもまた古くからの墓地区であるが、バフナサーとは違い、現在に至るまで多くの人が住み続けてきた。ここでは昔から宗教的活動、特にスーフィーの活動が盛んであり、王朝によって数々の宗教施設が建設され、重要な参詣地でもあり、救貧の活動や祝祭が行われるなど、経済的および政治的活動の場としての役割も果たしてきた。 墓地は、不正や束縛に満ちた現実から解放してくれる場所であった。死は生と切り離されていたわけではない。むしろ、死者たちの眠る墓地において、人々は豊かに生を営んできたのである。(文責 : 芹川梓)


                        NIHU Program: ISLAMIC AREA STUDIES
                          IAS Center at the University of Tokyo (TIAS)
                                            
GROUP2
  Structural Change in Middle East Politics