2008年度第2回研究会:「中東社会史班」第1回研究会
  
 
日時: 2008年7月26日(土) 14:00~17:30
  場所: 東京大学法文1号館
  報告者・報告題目:  福田義昭(大阪大学)

             
「ターバンかタルブーシュ(トルコ帽)か、それが問題だ
            ー近代エジプトにおける男性の被りもの」
            
            木村伸子(早稲田大学大学院)
            「象徴の赤いザント帽
            -衣服から見たマムルーク朝社会-」

            コメント 後藤絵美(日本学術振興会特別研究員)

 報告者(1):福田 義昭

 中東には豊かな「被りもの」文化の伝統があり、現在でも様々な種類の被りものが各地域で日常的に用いられている。それは着用者の多様なアイデンティティや価値観などを象徴的に表すものとして、社会生活において重要な役割を果している。本報告では、近代エジプトにおける男性の被りものの変化を取り上げた。なかでも、20世紀前半のエジプトで男性知識人にとって大きな問題となった「ターバンかタルブーシュ(トルコ帽)か」(あるいは西洋帽か、それとも無帽か)という選択問題を中心に報告を進めた。報告の中では、できるだけ多くの事例を各種自伝、エッセイ、フィクション、雑誌記事等から紹介し──たとえば、ターバンを捨ててタルブーシュを被る場合でも種々様々な動機があった──、選択行為の背後に働いた社会的・宗教的な力などを考察した。さらに、エジプト社会内部における文化変容という側面だけでなく、直接的な異文化接触や比較の視点から、この問題をより広く考えるため、西欧やトルコ共和国に渡航したエジプト人(や他のアラブ人)の経験も紹介した。とりわけトルコの例は歴史的皮肉に満ちていて興味深い。トルコは、オスマン朝時代の19世紀にタルブーシュを中東一体に広めながら、共和国成立後、それを法令によって(ターバンとともに)禁止した。それとは逆に、20世紀前半のエジプトではターバンもタルブーシュも健在で、両者に象徴される価値観が様々な社会空間において競合する一方、政治的空間ではタルブーシュが国民的シンボルの一つとして確固たる地位を築くにいたった。そのような状況のもと、1930年代前半に王制下のエジプトからトルコに赴任してきた外交官とトルコ共和国大統領ムスタファ・ケマルのあいだに持ち上がったタルブーシュ着用をめぐる騒動は、両国が辿った近代化のコースを考える上でも示唆的なエピソードと言える。

報告後の質疑応答では、「20世紀前半にエジプトで国民服が議論されたとき、(なぜ)男性の服装のみが問題になったのか」、「1952年の革命後にエジプトでタルブーシュが廃れたとき、なぜ代わりの国民帽が出てこず、無帽になかったのか」、また「タルブーシュを脱いで無帽になる際には、ターバンからタルブーシュへと被りものを変えたときのような葛藤はなかったのか」など色々な質問が寄せられた。準備不足ゆえに、報告者はそれらにあまりうまく答えることができなかったが、今後この問題をより深く考える上で参考になることが多かった。当日コメンテーターを務めていただいた後藤絵美氏ほか、貴重なコメントを寄せていただいた方々に、改めて感謝申し上げたい。

(文責:福田義昭


                        NIHU Program: ISLAMIC AREA STUDIES
                          IAS Center at the University of Tokyo (TIAS)
                                            
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  Structural Change in Middle East Politics