2007年度第6回研究会:「中東社会史研究班」第4回研究会
  
 
日時: 2007年10月7日(日) 14:00~17:30
  場所; 東京大学本郷キャンバス・法文1号館2階216号室
  内容;
  《研究発表》 :(1)池田 美佐子 (名古屋商科大学教授)
        「公共圏と中東イスラーム歴史研究」
       (2)澤江史子 (東京外国語大学アジア・アフリカ言語文化研究所研究員)
        「現代イスラーム復興と公共圏」
  コメンテーター:  岡 元司 (広島大学大学院准教授)   
         「公共圏論議と近年の中国史研究-伝統中国社会史研究の視点から-」
 

(1) 公共圏と中東・イスラーム歴史研究     池田美佐子 (名古屋商科大学)

 本報告では、ハーバーマスの公共圏、それへの批評とその後の公共圏研究の展開、中東・イスラーム歴史研究への応用について検討した。初めに、ハーバーマスの公共圏の概念の特徴や問題を明らかにする目的で、Öffentlichkeitの日本語訳と英訳に言及し、この用語がもつ曖昧さや多義性、また訳語による概念のぶれを指摘した。次に、ハーバーマスの公共圏の内容を説明してその特性を整理し、さらにハーバーマスの公共圏に対する批評、非欧米地域の研究も含めた広い分野への応用の結果生じた公共圏の新しい概念を概説した。後半は、中東・イスラーム歴史研究への公共圏の概念の応用の実例を、前近代史研究と近現代史研究に別けて検討した。前近代史研究では、ムスリム社会の公共圏の存在とその自律性を共通テーマとしたHoexter, Eisenstadt & Levtzion編のThe Public Sphere in Muslim Societiesを採り上げた。近現代史研究では、インドのイスラーム公共圏における10のイスラーム組織の言説や活動をテーマとし、その公共圏における各組織の相互作用や変化を論じたDietrich Reetz著のIslam in the Public Sphere: Religious Groups in India 1900-1947を例にとった。さらに公共圏の概念を拡大した例として2つの論文を検討し、これらが国家による公共圏の創出や公共圏における行為や視覚性などに注目した点を指摘した。続いて、公共圏の議論に付随する空間概念、公共領域と私的領域の区別、市民社会論との関係に言及し、最後に考察として、ハーバーマスの公共圏の概念の拡大傾向を指摘し、この概念の使用の意味を再検討する必要性があることを示唆した。

(2) 現代イスラーム復興と公共圏:研究領域の可能性と意義についての試論                                                                                 報告:澤江史子

 本報告では、現代のイスラーム復興を公共圏という分析視覚からアプローチすることの意義を明らかにするという観点から、既存の研究状況について整理した。最初に、ハバーマスの議論の要点を確認した後、ハバーマスによる概念化には様々な批判があるものの、宗教復興運動を公共圏の一アクターとして扱うことに関しては世俗的な研究潮流においては概ね一致して反発があるということを紹介した。

 その上で、現代イスラーム復興に関連する公共圏研究について、世俗的な研究対象とは異なり、どのような概念的批判や変更が試みられ、あるいは西洋近代的な概念とどのように異なると議論されているのかを整理した。第一に、公共圏への参加者と一般的に見なされる市民概念は世俗的でリベラルなものとなっているが、イスラーム復興研究では特定の公共的な価値規範を有している市民概念の導入を提唱する研究や、抵抗や解放のみに焦点を置く主体概念を批判するもの、インターネットの発達が公共的論議への参加者を拡大し、コミュニケーションのあり方にも大きな変化をもたらしていると指摘する研究がある。第二に、公私の区別という点では、イスラームの伝統における公私認識の特徴に関する研究の他、中世に公権力から個人を守ろうとするような思想が存在していたと指摘する研究、現代の過激派に対して思想や良心の自由を守るような思想や制度化が求められ始めていることを示す研究などがある。また、公的なものの観念は社会における互酬性や社会的公正の観念と結びつくとき、共有された期待という圧力として公共圏的機能を果たすといえ、文化や宗教的な規範が公共圏において実は大変重要な要素だと考えられること、あるいは、公的なものの観念が文化的に埋め込まれており、公共圏は文化や宗教と不可分であると主張する研究がある。第三に、公共圏がしばしば空間的なものとして認識される傾向に対しては、むしろ公共の問題が話題にされるあらゆる場面に、その議論が続く限りに於いて現れるようなものとしてとらえ直すべきだとの主張もある。第四に、公共圏が文化や宗教と不可分である故に、それはグラムシのヘゲモニー闘争の場であり、また、フーコー的権力が作用している場として概念化されるべきであり、それによって国家も一アクターとして公共圏に大きな影響を与えていることや、国家対抗的なさまざまな公共圏においてもその内部で各公共圏を規定する価値規範をめぐる議論や規範に発する権力作用が起きていることが分析の射程に入ってくると主張する研究を紹介した。

 こうした検討を通じて、現代イスラーム復興研究、あるいはイスラーム地域研究において公共圏論議は、公共圏概念自体の規範性を薄め、むしろ公共的規範や政治的正当性を巡って国家も含む多様なイデオロギー・思想勢力が競争するようなものと構想し直して用いる方が、分析上、有効であるとの結論に達した。ただし、この場合、研究の射程が広範になるために、分析概念というよりは、むしろ研究上の切り口や分析枠組みとして公共圏は有用性をもつのではないかと指摘した。

〈質疑応答と討論〉

 当日は、岡元司氏(広島大学)に中国史研究の視点から、中国史研究における「公共圏」研究の現況解説と、幾つもの貴重なコメント・提言をいただいた。永らく公共圏の問題と渡り合ってこられたであろう、岡氏ならではの含蓄に富む言葉の数々は、研究会の議論に深みと射程の拡がりを与えてくれた。この場を借りて、あらためて岡氏に感謝申し上げます。

 手前味噌になるが、大変内容の濃く、盛り上がった講演会であった。議論がもっとも集中したのは、ハーバーマスの論を中東研究に当てはめることの妥当性をめぐってであった。直截的な適用については、悲観的な方向へ意見が流れ、それはある意味で予測されたことでもあった。ただ、筆者(文責=大稔)が感じたのは、ハーバーマスを読まずに否定的に裁断するは易しいが、読んで得られる刺激はそれに遥かに優る、ということである。今後、何らかの形で公共性をめぐる勉強会を続けてゆくことも検討されている。


                        NIHU Program: ISLAMIC AREA STUDIES
                          IAS Center at the University of Tokyo (TIAS)
                                            
GROUP2
  Structural Change in Middle East Politics