2007年度第7回研究会:「中東民主化班」第2回研究会
  
 
日時: 2007年10月26日(金) 16:00~18:00
  場所: 東京大学法文1号館
  報告者・報告題目:  
アフマド・アル=キブシー(イエメン・サナア大学副学長、商・経済学部教授
             
「イエメンの民主化」

 キブシー教授は、イエメンの現代政治史や政治制度、民主化に関わる多くの著作をもち、またサーレハ現大統領のブレーンとしても活躍する、イエメン民主化研究の第一人者である。さらに、日本とのかかわりで興味深いのは、キブシー教授の祖父が日本の立憲君主制(明治憲法)につき見聞を深めていたことである。東京モスクの開設式に当時のイエメン・ムタワッキル王国(北イエメン)皇太子が招待された際、その随行員として来日した祖父は、皇太子が帰国した後も193840年かけて日本に滞在した。帰国後、祖父は北イエメンの1948年革命(立憲君主制導入を図った宮廷クーデタ)に参加したが、革命は失敗し処刑された。キブシー教授の発表は、祖父と日本が関係したこの1948年革命から始まった。

 1948年革命失敗の後、1962年革命で王政は打倒され共和国となったが、憲法が制定されたのは革命に続く内戦が終わった1970年のことであった。南イエメンでも、1964年革命(アデン植民地・保護領の英当局に対する武装闘争)が起こり、1967年の独立後に憲法が制定された。しかし、南北イエメンともに政情は不安定で、大統領暗殺や憲法停止、外交的孤立などが続いた。

 イエメンに政治的な安定がもたらされるのは、1990年南北イエメン統一以降の民主化によってであった。1994年に旧南イエメンの分離独立をめぐる内戦が生じたが、国民や国際社会の多くが統一を支持し、内戦後は内政のみならず外交や安全保障でも安定を維持した。その要因は、無論「民主化」と1997年以降続く総選挙・地方選挙での与党・国民全体会議(GPC)の大勝にあるのだが、サーレハ大統領の政治手腕や政局運営といたものも、大きく作用している。イエメンでは法律上、大統領に権力が集中しているが、実際には大統領により権限が副大統領、首相、閣僚、地方政府などに分散され、「ミックス・ポリティカ」とも呼ぶべき状況ができている。これが、大統領の権力と事実上の分権状態との程よいバランスを保っていると見るべきである。

 以上のように、イエメンの現代政治史のさまざまなトピックを織り交ぜながら、キブシー教授はイエメンにおける民主化の解説と現場や内情に関わる情報を含めた分析・評価を提示した。発表後も、参加者からいろいろな質問が寄せられ、それに関する議論も活発に行なわれた。               以上


                        NIHU Program: ISLAMIC AREA STUDIES
                          IAS Center at the University of Tokyo (TIAS)
                                            
GROUP2
  Structural Change in Middle East Politics